第五章 夢の行き先⑥
少し膨らみが目立つようになったお腹に手を当てる奈緒。
まだ母親に、妊娠のことを告げられずにいる。
つわりが酷く、食事もままならない奈緒は、胃を悪くしたと理由づけ、そのために会社も辞職したことにしてしまっていた。
この母親に、そんな嘘がいつまで通じるかわかないが、まだ言い出す勇気が持てなかったのだ。
病院も、近くの産婦人科に変え、こっそりと通う。
その日も、かえでにあって来ると家を出た奈緒。
思ったより時間がかかってしまい、遅く帰ると、母親が珍しく玄関先までやって来て、まじまじと顔を見る。
「何?」
「あんたにお客さんが来たんだけど」
「お客?」
帰ってきていることは、一応かえでにだけは知らせてあった。その伝手で、演劇部の誰かに伝わったのだろうか?
首を傾げる奈緒に、母親はそれでもじっと見ていた。
「だから、何なのよ。そのお客がどうかしたの?」
居間へそう言いながら入って行く奈緒を見やると、そのまま台所へ入って行ってしまう。
「母さん、お昼なら、お寿司買って来たの。お茶だけ入れて」
ようやくつわりが落ち着き、食欲が出て来た奈緒は、無性にこんなものが食べたくなる。
「胃の方は、もう大丈夫なのかい」
「うん。ストレスだったみたい。会社辞めて、家でのんびりしてたら治っちゃった」
「それは良かった」
それぞれの前にお茶を置いた母親が、座り、お寿司に手を付けながら言う。
「あんた、付き合っていた人、いたのかい?」
一瞬、手が止まってしまった奈緒は、誤魔化すように笑いながら言う。
「ないよ藪から棒に」
「今日、そう言って訪ねてきたからさ」
「また、そんな冗談言って」
「私もね、あんな好青年があんたと付き合っているとは思えなかったから、追い返したけど」
「そ、たちの悪いセールスマンじゃないかしら。やたら扉空けちゃだめよ。母さんは、そういうところあるから。不用心すぎるのよ」
懸命に顔が引きつるのを誤魔化し言う奈緒の顔を、母親はニコリもせずにじっと見る。
「また来るって言っていたから、あんたがきちんと追い返しなさい」
話はそれっきりになる。
自分の部屋に戻った奈緒は、息が止まりそうだった。
いつか対峙しなければならない問題。
机の上のブローチを手に取り、そっとお腹に手を当てる。
大丈夫。きっとうまくやれる。
そう自分に何度も、言い聞かせた奈緒は、再び鳴らされるチャイムを待った。




