第五章 夢の行き先⑤
深夜、転寝をしてしまっていると、玄関で物音がして、奈緒は目を覚ます。
酔いつぶれた歩が、面倒臭そうに靴を脱いでいるところだった。
「歩」
その声に、パッと目を輝かせた歩が、千鳥足で向かって来たかと思うと抱き付いて来る。
劇団マーブルを退団してしまった間宮が、また復活すると言って、上機嫌で踊りまでする始末だった。
二人が付き合うきっかけになった人が、また戻って来るニュースが、こんな日に舞いこんで来るなんて。
時の皮肉さに、奈緒は苦笑してしまう。
飲み足らない様子で、歩は冷蔵庫を覗き込む。
わざと酒を用意しなかった奈緒は、振り向きざまの歩に、胸のブローチを一度握り締め、静かに声を掛ける。
「歩、話したいことがあるの」
真顔の奈緒を見て、一瞬酔いを醒ました歩だったが、酒の力に押し流され、まともに話せる状態になってしまう。
こんな時にするのは、反則だと思う。
だけど、今日を逃してしまうと、切りだせる勇気を失くしてしまう。一度目を瞑り、決心を固めた奈緒は、姿勢を正す。
「別れて欲しいの」
夢見心地で聞く歩は、本気にしていない様子で、舟をこぎ出してしまう。
涙が一気に込み上げてきた。
気持ちよさそうに寝息を立てる歩に毛布を掛けた奈緒は、そっと唇を寄せる。
「あなたの夢はどうしたの? さよなら」
玄関の扉を閉め、奈緒はその場で泣き崩れそうな気持ちを振り切るように、階段を駆け下り、二人の暮らしにピリオド打つ。
電車の窓に広がる景色。
玄さんがいた街を通り過ぎる。
嫌いで飛び出した街。
どんな顔をして、会えばいいのか分からない、母親の顔が浮かぶ。
「親なんて、案外単純なもんだよねえちゃん」
いつか玄さんが言ってくれた言葉だった。
静かに入って来た奈緒の顔を見た母親は、何も言わず、ヨッコラショッと立ち上がり、台所へ向かう。
点けっ放しのテレビ。
間宮の話題を取り上げていた。
女性問題を頻繁に起こし、金銭トラブルまで引き起こしてしまった間宮。所属事務所からの解雇通知。芸能生活が危ぶまれる。そんな話を、深刻な顔をしたキャスターがするのを、ぼんやりと眺めている奈緒の前に、湯気を上げた料理が並べられる。
「お食べ」
そう言う母親の顔をしばらく見てから、奈緒は出された料理を口に運ぶ。
ありきたりの料理。
それでも懐かしくて、優しい味だった。
「私、仕事辞めたんだ」
「そう」
「ここに、帰って来てもいい?」
ポツリポツリ話す奈緒に、母親は顔色一つ変えず、淡々と答える。
「ここはあんたの家だ。好きにしなさい」
そう言うと母親は、洗濯物を干しに足を引きずり二階へと上がって行く。
奈緒は涙が止まらなかった。




