第五章 夢の行き先②
残暑もなくあっさり秋を迎え、年明け早々、大プロジェクトだーと大騒ぎして用意した公演は順調に時を刻み、追加公演を重ね、ようやく終演を迎えていた。
劇団マーブルは、確実に大きくなりつつあった。
団員たちは、舞台だけでなく様々な分野で活躍を見せている。
歩と一緒に暮らすことで、奈緒の周りもにわかに変わっていっていた。
「おかえり」
暖簾をくぐり入って行く奈緒は、酔いが回った木綿子の声に出迎えられる。
劇団員でもない奈緒が、当たり前のように、打ち上げに顔を出せるように仕組んだのは、紛れもなく歩だった。
付き合い始めてすぐ、奈緒は野村に紹介されていた。
とりあえず、ワークショップに参加する。という運びになったが、その時点で心はバキバキに折れてしまっていた。
実力の差がありすぎる。
「そんなもん、稽古で何とでもなるよ」
そう励ましてくれる歩に、奈緒は口を開きかけてやめる。
店を埋め尽くす面々を顧みて、奈緒は申し訳ない気持ちになってしまう。
「ほら、そこ空けてあげなさい」
「おう奈緒、来たか」
歩は酔いが回り、かなり上機嫌でいた。
「取り敢えず、はいビール」
「ありがとうございます。大成功だったようですね」
「まぁね」
盛り上がり方で分かる。特に野村は分かり易い。大声で演劇談議に花を咲かせている。こういう時は、大成功した時なんだ。それを教えてくれたのも歩だった。
「そうなの。奈緒さんのお陰。あの衣装は良かったわ」
「お役にたててうれしいです」
「どうせなら、奈緒さんもこっちの世界に来ちゃえば。私も全然興味なかったけど、あのバカのお陰で、何とか出来ちゃっているし」
「そんなこと言っていいんですか?」
「いいのいいの」
木綿子の喋りも軽快になっている。
「そうだよ、奈緒ならいい芝居ができると思うな」
上機嫌で、歩も口を挟む。
「お前が言うな中田。お前こそ芝居をやれ」
木綿子が絡む。
歩は意味もなくゲラゲラと笑ってばかりで、話にならない。
「だめだこりゃ」
諦めて木綿子が行ってしまう。
楽しそうに仲間と肩組んで歌を歌う歩を見ながら、奈緒は考え込んでいた。
二次会に行くと言う木綿子達と別れ、深夜の交差点を二人して歩く。
空気がピーンと澄んでいて、月が大きく見える。
歩は鼻歌交じりで、奈緒の少し前を歩いて行く。
「ね、歩。ヒーローにならなくてもいいの?」
奈緒の震えた声に、驚いたような表情を見せて振り返った歩の顔が、すぐに微笑みに変わる。
「なるよ。いつかはな」
そう言った後、大きなあくびをしたかと思うと、力任せに自分の方に奈緒を引き寄せ、歩は唇を重ねる。
「ドラマティックキッス」
唇を離した歩がにっこり微笑む。
「はぐらかさないで」
「ドラマのワンシーンみたいだっただろ? 奈緒はそんなことを心配しなくていいよ」
奈緒の手を、歩はそっと握る。
風で落ち葉が音を立てて転がって行く道を、二人は黙ったまま歩く。
不安げに見上げる奈緒の瞳を、真正面から見つめ返せない歩だった。
いつかは……出さなきゃいけない答え。
アパートの前、立ち止った歩はもう一度奈緒を抱きしめ唇を合わせる。
……とっくに答えは出ている。切り出す勇気がないだけ。
「もう少しだけ、待って欲しい」
奈緒は小さく頷き、大粒の涙が頬を伝う。




