第五章 夢の行き先①
二人で暮らし始めてから、6年の歳月が過ぎようとしている。
歩の生活は、以前に増して目まぐるしくなっていた。
「まったくもう、分からんちんで困るわ」
木綿子は次々に皿を空にしていく。
歩と暮らすようになり、奈緒はよく木綿子とこんな時間を過ごしている。大概、木綿子が野村と喧嘩をした時が多いのだが、一人っ子だった奈緒は、姉が出来たように慕っている。今日も、あったまにきたと言って、奈緒を食事に誘っていた。
細身の躰で、どこに入って行くのかと思うくらい木綿子は、怒りながらぱくぱくと食べ物を平らげて行くのだ。見ている奈緒は、それだけでおなかがいっぱいになってしまうくらいだった。
「そう言えばさ」
そういう木綿子を、奈緒は目をあげて見る。
「奈緒さんは、歩が芝居をしていたのを知っているの?」
「なんとなく。それがどうかしたんですか?」
「何でもないの。ちょっと聞いてみただけだから、気にしないで。そろそろ出ましょうか」
話はそこで終わってしまった。
奈緒の胸がズキンと痛む。
この5年、二人の間でタブーとされていた話題。何重にも鍵をかけてしまったのは、この生活を手放したくなかったからだった。
「どうかしたの?」
車中で暗く沈む奈緒に、信号待ちをしつつ、木綿子が尋ねる。
「私、マーブルの公演は何度も見に行ってたのに、歩がどこにいたか思い出せないんです」
「無理もないわよ。本当に初期の舞台にしか出ていなかったし、それにちょい役だったから」
「でも……」
言いかけて、奈緒は止めてしまう。
中島が言っていたことが、ずっと頭に引っ掛かっていた。
「でも何?」
車を静かに発進させた木綿子が訊ねる。
「歩って、どんな芝居をしてたんですか?」
「あいつは結構いい芝居をしてたわよ。駆け出しで、点数にすれば低いけど、でも何だろう? 感性っていうのかな、人を惹きつける何かがあるのよね。奈緒さんも感じたことがない? ちょっとした仕草とかで」
奈緒はしばらく考え込む。
思い当たる節は沢山あった。
「出来ればもう一度、一緒の舞台に立ちたいわね」
木綿子の横顔を、奈緒はじっと見つめる。
「きっとね、ずぶの素人だった私さえ思うくらいだから、野村はもっと思っているんじゃないかな」
木綿子を見る奈緒の瞳が、ゆらゆらと揺れる。
「参ったな。道路工事している。こっちの道、通れないじゃない。仕方がないわね」
そう言いながら、木綿子は別の道をナビで探し始める。
単調な道案内人の声を遠くに感じながら、奈緒は窓外に目を向ける。
懐かしい景色だった。
木々に囲まれた道。
何棟もある団地の切れ間。
奈緒は景色を目で追う。
玄さんの姿を捜していた。
引っ越したばかりの頃、歩とぶつかる度に愚痴を聞いてもらいに、会いに訪れていたが、それもだんだん足が遠のいてしまっていた。
木々の隙間から落とされる光に照らされた道に、玄さんの姿はなかった。
いつも見慣れた景色が見えてきて、歩と暮らすアパートの前、木綿子は静かに車を止める。
「どうしたの? 元気がないわね」
「木綿子さん、私、あんなにマーブルの公演見に行っているのに、全然、思い出せないなんて」
「ああさっきの話。仕方ないわよ。歩が出ていたのって、本当に初期の頃だったし、台詞も一行二行で、殆どが台詞なしの役ばかりが多かったんですもの。思い出せないのも無理ないわ。気にしなくていいわよ」
「でも私、知りたいんです」
切実迫る物言いに、木綿子は緩ませていた頬を引き締める。
「本当にさっきの話は、気にしなくていいの。昨日、チラッと中田の話が出て、どうなのかなって思っただけだから」
すっきりしない気持ちで、奈緒は木綿子の車を降りる。
「本当に気にしちゃだめだからね」
念を押された奈緒は、小さく笑って、胸の前で手を振る。
クラクションを短く一回鳴らし、木綿子の車は走り去っていった。
幸せの隣りあわせに、いつもこの問題がいる。
暗い気持ちのまま部屋の鍵を開ける。
当然のように、そこには二人の空間があった。
急に吐き気がこみあげてきた奈緒は、そのままトイレへと駆け込む。
泣きたい気分だった。
「ねえちゃん、いつでも相談にくりゃいい」
奈緒の頭に、玄さんのあの笑顔が浮かぶ。
……玄さん。




