第四章 星は何でも知っている⑥
引っ越しの日、奈緒は歩にあって欲しい人がいると、玄さんのところへ連れて行く。
「おじちゃん」
「おおねえちゃん、今日は珍しいなや、何でぃジーパンなんかはいちゃって。いつものヒラヒラした奴はどうしたんでぃ」
「初めまして。オレ、中田歩と言います」
「あれアンタ」
奈緒の陰から顔を出した歩を見た玄さん、少し驚いた顔を見せる。
「お久しぶりです」
「もしかして、あんた新聞配達の?」
「はい」
「随分と変わっていて、わかんなかったけど、やっぱりそうだよな」
「ご無沙汰しています」
え?え?
きょとんとする奈緒を見て、二人は笑う。
話が見えない奈緒を置いてきぼりにしての、二人の会話が始まる。
「本当だぜ。急に配達辞めちまったから、心配してたんでぃ」
「ちょっとしたトラブルがあったもんで」
「おお。所長さんから聞いたよ。こええ思いしたってな」
「いやまぁ、参りました」
「何の話?」
「オレ、しばらくこの辺で新聞配達してんだ。上京したばっかで、バイクの免許がなかったからさ、自転車で配達をしていたんだ。それで、おじさんにはブレーキを見てもらったり、パンクとかも直してもらったんだ」
目には見えないところで、自分と共通のつながりを見つけた奈緒は、嬉しくなってしまい、はち切れんばかりの笑みを溢す。
「ねえちゃん、このにぃちゃんなら、あんたを任せられりゃ。良いの見っけたなや。にいちゃん、このねえちゃん、別嬪さんだろ。それに器量よしときたもんだ。良い嫁さんになるってもんだ。幸せにしてやってくりゃ」
「分りました。絶対に幸せにして見せます」
「ねえちゃん、幸せになりなさいよ」
「ありがとうございます」
奈緒の目にうっすらとしたものが、辺りの景色をぼやかす。
玄さんの目にも同じものがあるようで、煙草を銜え、親指でそれをふき取る。
歩はそんな奈緒を、包み込むように引き寄せ微笑む。
父親不振になっていた奈緒にとって、玄さんの存在は大きかった。
「またいつでも来なさいよ。話なら聞いてやっから」
奈緒は大きく頷く。
これから始めようとする生活は、幸せだけど、心の隅に募るものがあるのは確かだ。
玄さんは、最後の最後まで名前も住所も教えてくれなかった。
自分の連絡先を書いたメモを、奈緒はそんな玄さんに手渡す。
「おじちゃん、大したことはしてあげられないけど、何かあったら連絡して。すぐに飛んでくるから」
「なんでぃ。泣かせること、言ってくれるじゃねーか」
「そうしてください。奈緒を今まで見守っていてくれたお礼、オレにもさせてください」
「あんがとうな。おいらは大丈夫だ。ここいらじゃ顔だからな。お二人さんは自分たちのことだけ心配すりゃいい」
「あっ! その言葉」
初めて会った時の言葉に、奈緒が目を輝かせると、玄さんはいつもの笑顔を見せる。
荷物を乗せたトラックで、玄さんの店の前を通り過ぎて行く。
楽しげに話している玄さんが、そこにはいた。
「玄さん」
思わずそう叫んでしまった奈緒に気が付き、ニッとしながら手を振り返してくれる。
そんな沢山の優しさが詰まった街を離れ、歩と新しい生活をスタートさせる奈緒だった。




