第三章 ヤマアラシとアリスの恋③
「おじちゃん、前に好きな人が出来たって話したでしょう」
「おおそう言えばそんな話、していたなぁ。なんだぁ、もう別れちまったのか」
そう言われ、奈緒は小さく笑って、首を振る。
玄さん、奈緒が持ってきたスポーツドリンクをおいしそうに飲み干し手唸り声を上げる。
「うめぇ」
また顔から噴き出る汗を、タオルで拭く。
「なんとなく、うまくいってたんだけどね」
玄さん、短くなってもまだその煙草を吸い続け、奈緒はその先をじっと見つめていた。
吸い口まで、灰が来てしまった煙草を足でもみ消した、玄さん木にもたれかかり、通りかかった人に声を掛けられ、手を振ってそれに答える。
奈緒は何から話していいか、分からずにいた。
「幸せそうだったじゃねーか」
押し黙っている奈緒を見て、玄さん一言。
「うん。幸せは幸せ」
「じゃあ問題ないんじゃねーの」
「その人、忙しくてね、ずっとメールでやり取りをしていただけなんだ」
「また随分と古風だなぁおい」
「うん」
「なんでぃ。はっきりしねーな。それが嫌っていうなら、言ってやればいいじゃねーの。私をもっと構ってよって」
声色を使う玄さんに、奈緒は顔を綻ばせる。
「うん、そうだけどさ」
「なんでぃ。おいらそういう回りくどい話し方、好きじゃねーんだよ。はっきり言っちまいなよ」
そう言われ、奈緒は躊躇うように一呼吸を置いてから、玄さんに尋ねる。
「おじちゃん、私がする格好どう思う」
「どうって。可愛いんじゃねーか。その白いワンピースなんて、小百合ちゃん見て―だしな」
「そうじゃなくって。ほら、お出かけのときにする」
「ああ、あのお姫様ルックな」
コクンと頷く奈緒を見て、玄さん目を細める。
「おいらは好きだぜ。あのチェック柄のスカートとかも可愛かったし、ピンク色のひらひらした奴なんか、ほら良く歌唄っているなんとかっていうグループの子たちみたいだしな。ありゃアイドルって言うんだろう。おいらは嫌いじゃないな」
「彼、知らないんです。私の趣味」
どうにも止まらない汗をタオルで拭く玄さん、被っていた帽子を脱ぎ、それでパタパタと仰ぎ始め、奈緒の顔見やる。
奈緒は袋からもう一本、スポーツドリンクを出し、玄さんに渡す。
「随分と、用意が良いんだな」
嬉しそうに言う玄さんに、奈緒は小さく微笑むと、自分も一口飲む。
「ずっと、隠し通した方がいいのかな」
ポツリと言う奈緒を見て玄さん、また煙草を出して銜る。
最近、気が付いたことがひとつだけ、奈緒にはあった。
玄さん、考え事をするとき、必ず煙の輪っかを吐き出す癖がある。
しばらく空に向かって輪っかを作っていた玄さん、奈緒の方を向いてニッと笑う。
「おいら、二人の関係がどうなもんだか知らんけどよー、あれじゃねーか。無理して自分を隠しても、ぼろが出ちまうんじゃねーかなぁ。ねえちゃん、そういうの器用そうじゃねーし、そんなんで付き合っていても、苦しくなるってもんでぃ。見せちゃれよ。ねえちゃんの可愛さがわかんねー男なら、こっちからふっちゃれよ」
「おじちゃん」
奈緒はその言葉に勇気付けられ、決心をつける。




