第二章 出会いは雷のごとし⑤
周囲の人は、病み上がりだから仕方ない。と思っているようだが、気を引き締めていないと、顔がとろけそうになり、奈緒は困った。
体調がまだ芳しくないと三種に思われた、奈緒は早めに帰えされると、一目散で玄さんの姿を捜した。
居た!
玄さんはプードルを連れたおばあさんと、パンク修理をしてもらっている中年の男性と、楽しそうに会話をしているところだった。
「おじちゃん!」
「おっ、ねえちゃん。なんか良いことあったね」
「分かります」
「わかるよなぁ。肌のつやが違うってもんだ」
「うっそー」
奈緒はそう言われ、自分の頬に手を当ててみる。
「若いって良いわね」
プードルを抱きかかえたおばあさんが、目を細める。
お互い名前も知らない者同士。
ただの顔見知り。そういう関係だけど、玄さんを挟んで一気に話の花が咲く。
「恋でもしたか」
的を射た発言に、奈緒の顔はみるみる赤くなる。
「かわいいね」
パンク修理を待っているおじさんが、ニヤニヤと会話に参加してきた。
「相手は、どんな人なの?」
おばあさんの質問に、奈緒は一瞬、言葉を詰まらせる。
緊張のあまり、良く覚えていなかった。
「うーん、ヤマアラシのような人」
「ヤマアラシ? また随分と変わった趣味だね」
「恋なんて、そんなものでしょ。良く言うじゃない。痘痕も笑窪って」
「ほい出来た。600円ね」
「ありがとうございます。じゃあこれで」
「毎度あり」
「じゃあお幸せに」
中年男性にそう言われ、奈緒は小恥ずかしくなってしまう。
「ねえちゃんは別嬪さんだからな、そいつはラッキーな奴だな」
「ホントホント。マモちゃん行きたいの。ごめんなさい。私はこれで」
腕の中のプードルがむずかり、おばあさんが行ってしまうと、玄さん、胸ポケットから煙草をだし吸いだす。
「本当に良かったな。あんたはいい嫁さんになれんだから、しっかりその人のこと、捕まえておきなさいよ」
「おじちゃん、ありがとう」
玄さん、またあの笑顔です。
この笑顔が見たくて、奈緒はここへつい足を運んでしまうのだった。
何なんでしょう?
不安だらけだった心が、スーッと楽になるのです。
玄さんに別れを告げた奈緒は、改めて自分の携帯に入れられている名前を眺め、顔をにやけさせます。
駅近くにあるファミリーレストラン。
窓際の席。
奈緒とかえでの姿があった。
夢のような出会いの報告を、奈緒に聞かされたかえでが、目をぱちくりさせた。
「何よその顔」
「奈緒、その人本当に大丈夫」
かえでが訝るのも無理はありません。
奈緒にさえ、信じがたい事実。
「その人、本当に劇団の人なの?」
「うん、それは確か。ほらこの人」
奈緒は持ってきたパンフレットを広げ、遠藤を指さす。
「遠藤木綿子。フーン。この人は確かに劇団員かもしれないけど、そのヤマアラシみたいな人ってのは、役者じゃないの?」
「間宮さんの話だと、新人俳優みたいなことを言ってたけど……」
「どこにもないじゃない。その中田歩なんて名前」
「そうなんだよね」
「まぁいいや。22年目の春にちゃちゃをいれるのも、悪いしね。私はそれどころじゃないし」
「就活どう?」
「最悪。もうくたくただよ。何枚エントリーシート書かせるだって感じ」
「コーヒーのお替り、如何ですか?」
「あっ」
にっこりとするウエイトレスに、奈緒は会釈をする。
「あの人、知り合い」
「うん。たまに美容室で一緒になる人」
「美容室?」
「なんかおかしい?」
「いやー普通美容室で仲良くならないかなって、しかも客同士でしょ」
「たまたま共通の話題があったから、それで」
「共通の話題って、何よ」
「玄さんの話よ」
「玄さん?」
「話したことなかったっけ」
「聞いてない。何々、奈緒も隅に置けないね。二人目の男?」
「ばーか。そんなんじゃないわよ」
かえでの反応があまりに可笑しくて、奈緒は吹き出してしまう。
それから奈緒は玄さんの話をし始めた。
「なーんかさ、奈緒。意外とファザコンだったんだね」
話を全部聞き終わった、かえでがポツリと呟く。
「そんなことないよ。なんであんなろくでなしの話になるのよ」
口を尖らせて怒る奈緒を見て、かえでは愉快そうに笑う。
「もうここ、奢ってあげない」
「ごめんごめん。奈緒様、わたくしがわるーございました」
「分かればよろしい」
胸を張って言って見せる奈緒。
二人は弾けるように笑いだす。
奈緒は降って湧いたような、幸せを噛みしめていた。




