第二章 出会いは雷のごとし②
ファンとしては、この露出度は嬉しいのだが、身体を壊してしまってはなどと余計な心配をしてしまうのは、奈緒の性格ゆえのもの。
そんな時に目にした記事は、衝撃的なものだった。
間宮徹が、劇団マーブルを退団。
その小さな記事は、奈緒に大きな衝撃を与えていた。
よりによって、退団公演がクリスマスに行われるというには、奈緒にとって二重苦である。
クリスマスと言えば、百貨店と名がつくところは、どんなに小さな店舗でもそれなりに忙しい。ましてや入社四年にもなると、ある程度仕事も任されており、ここで休暇届を出すというのは覚悟がいることだった。
毎年、恋を語る相手もパーティを開いて馬鹿騒ぎをする友もいない、奈緒はこの日を黙々と勤め上げていたのだが、今年だけはどうしてもそういうわけには行かなかった。
どうしても間宮の最後の公演を、両日とも見届けたかったのだ。
上司である三種を、奈緒は目で追う。
届を出す期限は、今日まで。
向かい合わせで座っている、室井が親しげに奈緒に話しかけてきていた。
「藤崎さんは、今年もクリスマス要員ですよね」
この目は、お願いごとをしたいときのもの。嫌な予感が頭をよぎる。
一日は通常シフトで休みになっているが、もう一日は休みを取らなければならない身の上。
シフト表を眺めながら言う室井に、曖昧な笑みを向けるのが、すぐに目を逸らす。
「三種さん、今年はクリスマス、休むらしいですよ」
「なんで?」
「ちょっと、藤崎さん、声が大きい」
「あっごめん」
「婚約、したらしいですよね~」
驚きだった。
鉄の女。そんな異名まで付けられた彼女は、仕事に厳しく、わき目もふらずに働きつめている感があったのに、いつの間にそんな浮いた話が浮上してきたのだろう。
奈緒は改めて、三種の背中に目をやる。
視線を感じたのか、いきなり振り返られ、奈緒は慌てて目線を手元に戻した。
「藤崎さんあなた、通常シフトだと25日は休みだけど、これ、今年もずらしてもらってもいいのかしら」
「いや今年は」
目の前で、奈緒を拝むように、室井が手を合わせていた。
「毎年ながら、この両日は忙しいから、できれば全員出社して欲しいんだけど」
三種は、ひらひらと何かを揺らして見せていた。
それは、今さっき室井が出した有給休暇届だった。
室井に目配せをされても、今回ばかりは私が出ます。とは胸を張れず、奈緒は目を伏せてしまう。
24日の朝、奈緒は早朝から緊張していた。
大きく深呼吸を、もう数十回以上繰り返している。
壁に掛けられてある時計を見上げ、奈緒は携帯を握りしめる。
「私は女優。私は名役者。怖くない。怖くない」
もごもごと口の中で唱えると、奈緒は会社の番号を押す。
「すいません.ゴホン。藤崎です。ゴホンゴホン」
「あら藤崎さん、その声どうしたの? 風邪でも引いた」
「すいません。そうみたいです」
「困ったわね。この忙しいときに」
「すいません。ゴホン。少し休めば、ゴホゴホ落ち着くと思うんでゴホン。咳だけなら何とか出社できるとゴホゴホ、思うんですけど、どうも熱もあるみたいで、それにおなかの調子も良くなくって、これから病院へ行って、午後からならなんとか行けるとゴホゴホ」
「分かったわ。今日はゆっくり休んでちょうだい。そんな体調の人が出社して来られても、迷惑なだけだから。お大事にね」
「すいません。ゴホゴホ」
ベッドの上で正座をしていた奈緒は、電話を切った途端、ぐったりとそのまま仰向けに倒れる。
初めて、嘘をついて休んでしまった。
罪悪感で胸が少し痛んだ奈緒は、今日の公演チケットを手に眺める。
間宮がまだ無名の頃からのファンとしては、急に有名になってしまい、遠くなってしまった気がするが、それでもやはり好きな人の出世は嬉しい。最後の舞台だけは、きっちりと観ておきたかった。
劇場は御礼満員で立ち見客も出ていた。
会場が暗くなり、緞帳が静かに上がって行く。
間宮が舞台真ん中で、会場を見回すしぐさをする。
そして、声を張り上げた。
「我が名は、新撰組一番隊隊長、沖田総司」
名乗ってから数秒、顎を何度か撫でると何か思いついたようにポンと手を叩いた。
「そこのおなごもそちらの士も遠慮御意りませぬ。さささぁ、こちらにいらっしゃい。そこのわらしも遠いでござろう。こっちへ参られよ。今宵は宴。祝いだ。祝いだ。盃をもてぃ。笹さ、酒をどんどんつげ」
初舞台を見たものにしか輪kらないセリフに、奈緒は懐かしさで、目を潤ませてしまう。
何度観ても、間宮の軽快な語り口が気持ち良い。最後の朽ちていく辺りは、ハンカチで口を抑えていないと声を漏らして、泣いてしまいそうになる。




