第一章 謎の住人玄さん⑥
久しぶりに会った父親は、小さく縮んでしまったように、棺の中に収められていた。
道々考えた、父親への罵声。
顔を見たらなくなって消えて行ってしまい、代わりに涙がとめどもなく流れ落ちる。
仲たがいをしている母親とも、ぎこちはなかったが話すことが出来ていた。
かえでが手伝いにやって来て、意味もなく涙を流しているのには、奈緒は笑ってしまう。
玄さんの言う通りだった。
出る話は、あまりいいものではないけど、母親はそれを嬉しそうに頷いて聞いている。
あんな奴、別れちゃえばいいのにって、何度も思った相手なのに、どうしてそんな顔をしていられるのか、奈緒は不思議で仕方なかった。
「奈緒」
「ああかえで、今日はありがとうね」
「んん」
そう言って首を振ったかえでは、親戚にビールを継いで歩く母親の方を顧みる。
それにつられて、奈緒をそちらに目をやる。
「おばさん、幸せだったのかな?」
「そうだよね。生活費も満足に入れてくれない人だったのにね」
「私なら、耐えられないな」
「だよね」
「夫婦には、夫婦にしかわからないものがあるって、ウチの親もよく言うけど、きっとなんかあるんだろうね」
「そうだね。あんなろくでなしでどうしようもない夫なのに、私がいくら言っても別れなかったんだからね」
庭へ抛り出した足をぶらぶらさせながら、奈緒は空を見上げる。
幼い日々のことを思い出していた。
手先が器用で、折り紙でいろんなものを作ってくれた。自転車の乗り方を教えてくれたのも父親だった。夜中、母親と二人ここに座って、酒を酌み分けていた。喧嘩はたえなかったけど、ほんのわずかな隙間を埋めるように、笑顔があったのも確かだ。そんなささやかな幸せを支えに、母親は頑張れていたのだろうか。
玄さんと父親が重なり、奈緒の胸が苦しくなる。
玄さんが見せた表情が気になった。
踏み入れてはいけない場所。
それはもしかしたら、家族なのかもしれない。
翌週の水曜日、奈緒は久しぶりに花柄のお姫様ルックで、玄さんが店を開く路上へ向かっていた。
「よ、ねえちゃん。今日もきれいだね」
その言葉に、ニコッとした奈緒が近づいて行く。
スカートを摘まんでのあいさつに、玄さん、またあの笑顔を作る。
「親父さんとは、きちんと別れられたかい?」
「おじちゃんの言った通り、会ってよかった。ありがとうね」
「それは良かった。そんなおしゃれして、今日はどちらにお出かけだい御嬢さんよ」
「ゴスロリは、私の趣味じゃないから、気晴らしに原宿でも行ってこようかなって」
「そっか。気ぃつけてな」
「ありがとう。行ってきます」
さり気ない会話が心地よかった。
振り返り、また手を振る奈緒に玄さんは満面の笑みで見送ってくれている。




