悪しき種族の我が魔の王
「う、うぅ……父様……父様!」
広い大理石の一室。涙を流しながら、少年は自分の腕の中に居る男に話しかけた。
男の容態は悪い。
肩、腹は刃物傷で裂けて、止めどなく血が溢れており、傷が大きすぎて少年が布を押し付けても止血しきれない。
男は少年の方に、その深紅色の瞳を向ける。
「オリトか……アイリスは……?」
「無事です……!血が!血が止まらない!フィリス!回復魔法を!」
「ダメ……オリト、回復魔法が間に合わない……!」
オリトと呼ばれた少年は横で懸命に魔法陣を展開させる少女に向けて声を上げるが、少年少女の願いむなしく、少女の脆弱な《水属性》の回復魔法は人体の奥まで届かず、血は止めどなく流れる。
「やめろ……これはもう、回復魔法でも無理だ……」
やがて男は、少年オリトの横にいるフィリスと呼ばれた少女に言う。
男はすでに諦めたように笑っていた。
そんな笑い顔がオリトには何処か安心しているように見えたオリトは声を上げた。
「そんな!あきらめないでください!母様は!母様はどうするのです!一人になさるおつもりですか!」
「馬鹿なこと言うなオリト……アイリスにはまだお前がいるだろ」
そう言って男はオリトの涙に濡れた頬に手を添える。
真っ黒に染まった血が、尚太郎の頬を濡らして、涙が血を洗い流す。
「頼むぞ」
オリトの目を真っ直ぐに見つめて、男は有無を言わせない口調で言う。
だが、オリトは首を横に振って答えた。
「父様……!国を、魔族たちを統治するには父様の力がまだ……!」
「オリト、お前は俺よりも強い力と、強い心を持ってる……保証する。お前なら彼らを守れると信じている……ぐっ!がはっ!」
「父様!」
男が口から真っ黒な血を吹き出す。
何度か咳で血を吐き出す。吐き出し終わった後、男の口から血があふれるゴボゴボという音が、妙に生々しくオリトの耳に届いた。
そして、ある程度口の中の血を吐き出し終わった男は、悪ぶった態度で言う。
「ピーピーうるせえなぁ……俺の最後ぐらい静かに逝かせてくれねえ?」
その言葉に、父親はこういった人物だったというオリトの記憶が揺れる。
目の前で横たわる男は、そうゆう人物だった。
偉そうで、武尊で、傲慢で、悪だった。
「何度だって……何度だって叱りますよ!逝ったら!あっちでもっと叱りますよ!」
そう、何度だって叱ってやる。
偉そうなアンタの無理難題に、難癖付けて起こってやる。
だから死んだらダメだ。
「おう……そうしてくれ。最後までお前は、俺に対して敬語なんだな……ちょっと残念だわ。……親子ってもんに憧れはあったけど、これも一つの形なのかね」
懐かしむような、諦めたような、そんな複雑な顔でオリトを見る。
今はただ頭を振っている自分の、たった一人の愛息子を。
「父様……!父様……!もうやめてください……!」
「うるせえ」
はっきりとそう言うと、オリトはだまりこんだ。
ここからは男と男の会話だ。
「オリトよぉ……俺はもう逝くぜ……この国を、魔族たちを頼む」
魔族。
古来より人族に悪しき者達と揶揄され、蹂躙され続けてきた種族である。
今より昔、男の曽祖父の時代から、人族に反旗を翻し、魔族は戦争を産んだ種族。
オリトがこれより守るべき種族たちだ。
「…………はい」
オリトは、涙を拭いて、男に告げた。
ここからは、自分の出番であると。
まだ逝くまでに時間があった男は、話題に困ったように「あー…」と呟く。
「それにしても、悪しき種族の我が魔の王か……やっぱ優しいお前には似合わねえな」
「……そうですね」
男が笑い、オリトが苦笑する。
以前、オリトがもし男の跡を継いだ際に、受け継ぐ称号だと言っていた。
魔族は悪である。そういった者達の象徴となるべき使命を、オリトは背負うことになるとも言っていた。
「じゃあな……オリ……ト」
やがて迎えがやっときたと言わんばかりに、目を閉じていく男。
そして、目に光が無くなり、男が最後を告げると、オリトは唇を噛んだ。
堪える。男の前でコレ以上泣きたくはなかった。
「…………またね、父さん」
唇を噛んで、涙を堪えて、オリトは男に別れを告げた。
偉そうで、武尊で、傲慢で、悪で、だが誰よりも優しい心を持った偉大な父。
オリトの父は、そうゆう男だった。
「……オリト。まだすることが」
しばらく死の実感に打ちのめされていたオリトにフィリスが声をかける。
そして、目覚めるようにオリトはその赤と青のオッドアイを開き、漆黒色の前髪から覗く向こうの景色を見る。見えたのは、現実である。
「わかってるよフィリス。こんな僕についてきてくれる……かな?」
背中越しでオリトは問う。
フィリスは、そんなオリトの背を見て、胸に手を当て、答えるのだった。
「喜んで。私の魔王さま」
オリトは、悪を背負った。
そして近しくして、新たな魔王の就任セレモニーと魔王の披露演説が開かれた。
オリトが見下ろすのは、何千、何万という同種の仲間たち。
守るべきもの達だった。
その一人ひとりの視線が、一点にオリトに集まる。
「我が愛する国民達に告ぐ!」
魔法で増幅されたオリトの声が、演説を聞きに来た全ての魔族の耳に届く。
耳の聞こえない者は脳髄に直接言葉が流れる。言葉の分からない者は概念を理解させられる。オリトを知らない者達は、彼が魔王であると認識させられる。
それは、魔法でも魔術でも何でもなく、彼らが一心にそう感じたからだった。
「先代魔王は淘汰された!憎むべき人間共に蹂躙されて、勇者と呼ばれる者と相打ちとなって討ち死にされた!」
オリトによって告げられ、魔族たちはざわめく。
勇者とは魔族達、特にオリトからしてみれば暗殺者も同然の曲者。
しかし、その実力は父の絶対的な力を前にしても劣ること無く、相打ちという結果まで持ち込んだのも事実だった。目の前に居る魔族たちではすでに相手にならない。
きっと新しい勇者がオリトの目の前に現れるだろう。
きっと数々の魔族たちが勇者に挑んで死んでいくだろう。
きっと幾つもの悲しみを生む魔族たちが憎しみに剣を取るだろう。
きっとそういった人たちを守らねばならないのだろう。
だから、自分がどうなっても良いオリトは、自分の守るべき者達を見て言った。
「だが!心配することは何もない!君たちは私が守る!守ってみせる!」
それは、悪とは到底言い難いセリフではあった。
「だから!私と共に!この国を!愛する人たちを守るために戦ってくれ!」
だが周囲に万千と存在する悪の花達は、歓喜の声を上げ、叫んだ。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
オリトは告げる。
優しき、強き悪の魔王であると。
「私には恐れるものなど何も無い!」
声が彼を「強き王。我らが王」と呼んだ。
「私を退けられる者など誰も居ない!」
声が彼を「不退の王。我らが王」と讃えた。
「私に出来ないことなど何も無い!」
声が彼を「賢き王。我らが王」と敬った。
魔王が、声に問いた。
そうだ。私は誰か。
「「「「悪しき種族の我が魔の王!」」」」