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詐欺師の少女と旅する道化師  作者: 浅木翠仙
最終章 彼らが手に入れた物。
21/22

男と女。

あらすじを変える都合、プロローグも同時に投稿しました。プロローグは読まなくてもそこまで問題はありません。

 かつて一人の男が居た。

 彼は普通であった。普通であると思っていた。

 だが違った。

 普通などではなかった。

 年を重ねるごとに周りとの違いが明白になっていくこの現実に、彼は逃げ出した。


 それは恐らく正しい選択ではあった。

 だが、彼は自分の異常性を知り尽くしてはいなかった。


 それは、1つの悲劇へと繋がってしまったのだった。



       ☆     ☆



「終わったね、ついに」


 二人が去っていった方向をじっと見つめ、男は感慨深げに言った。

 その目は、彼らの残像を見つめているようだった。


「彼らは気付くかしらね」

「気付いているさ。彼は聡いから」

「そう……。まあ、あなたがあれだけ気にかけたんだから、気付いてもらわないと困るんだけど」


 女は寂しげに隣の男を見つめた。

 そして何も言わず前に視線を戻した。


「次は……次はもう背負わなくても良いのよ。その人たちに、任せても……」


 前を見つめたまま女は言う。その声は、今にも消え入ってしまいそうだった。


「任せられる人たちなら任せるさ」

「……本当に任せる気あるの?」


 男が女に目を向けることなくした返事に、彼女は呆れたような目をした。だがその目には光るものがあった。


「有るよ。いい加減、君にずっと付き合ってもらうのも悪いしね」

「別にあなたといるのが嫌な訳じゃないの」


 力強く答えた男からチラリと向けられた視線に女は目を背ける。目に浮かぶものを見られたくはなかった。


「知ってるよ。だからこそだ。でも……」


 何故か男が歯切れ悪い。

 適当にあしらうか、適当に答えるか、適当に振る舞うかしかしていない男にしては珍しかった。


「任せられる人たちが見付かって、任せることができたなら……その時は……。全てを終える前に――デートをしよう。久し振りの、デートを」


 意を決して女の目を見てそう言った。その目は不安に揺らいでいた。

 一方、女の目も同様に揺らいでいた。


「はい」


 ――溢れ出さんばかりの、嬉し涙で。


 そして二人の距離は自然縮まる。

 他に何もない空間の中に、ただ一つの影が浮かび上がっていた。


 密着する身体で、抱き締める腕で、触れ合う唇で、絡み合う舌で、彼女の熱を感じて思う。

 温かい、と。

 焼けるようで、それでいて何かの拍子に絶対零度にまで冷えてしまいそうな、かつて感じたそんな熱とは違う。


 愛おしい。


 この温もりを失いたくない。

 男は不死を知って以来初めて、死への恐怖を覚えた。

 これはある種、不死への恐怖を乗り越えた瞬間でもあった。不死の熱、そう彼は勝手に呼んでいた。今感じているのとは真逆の熱。それを今、生の熱が塗り潰したのだ。



       ☆      ☆



 かつて男は走っていた。

 彼は村の中で上手くやっていた方だと思っていた。特に誰と不仲であるわけでもなく。村で親しく付き合う娘も居て。

 でもいつからだっただろうか。彼の身体は突然老いなくなった。そして時々よく分からない現象を起こした。

 明確に異常と扱われたのは三十になってからだった。それまでは若々しいで済んでいた見た目も、周りでよく起こる不可思議に現象も相まって異常と認識された。

 二十代で突然村から居なくなってしまった彼女のことも男のせいにされるようになった。

 一番辛いのは誰だと思っている。

 そう叫びたくなる日々を重ねた。


 異常。


 それは人の社会で、特に村のような狭い世界の中で生きるには、決して許容されることの出来ないものだった。

 だから彼は走っていた。逃げ出したのだ。自分の住んでいた村から。その判断は間違いでは無かっただろう。だが彼はもっと準備をしておくべきだった。

 村の生活に耐えることが出来なくなった彼は、着の身着のまま飛び出してきてしまっていた。せめて武器くらい、持っていくべきだったのだ。


 何れくらいの時間走ったのか。

 全速力で駆け抜けた彼の身体からついに力が抜けた。

 仰向けに倒れ、荒い呼吸で空を見上げる。周りを見れば森の中、それも決して人が立ち入ることの無いような、深い場所だった。

 視界を覆うのは緑。その間から漏れる日の光に目を細める。


 グルルルル……。


 唸り声が聞こえた。

 空耳かと思った。だがそんなわけもなく、首を少し捻れば飢えた狼の顔があった。

 嗚呼、死ぬのか。

 疲労で動かなくなった身体。逃げることも戦うことも到底不可能だった。


 せめて痛くないと良いな……。


 ぼんやりと思い、諦めと共に意識を手放した。その直前、一瞬腕に痛みが走った気がした。



 しばらくして意識が浮上した。

 生きていたのだ。だが身体が重い。どこも動かすことが出来ない。

 何か妙だ。

 目を開けていないのに赤黒い何かが見える。だが暗い。目蓋を通って光が入ってきているのか。


 いや違う。


 目蓋がない。片目の目蓋がない。

 1つとなってしまったもう一方の目蓋を開ける。


「ひ……ッ!」


 思わず声が漏れた。目の前に狼が居た。こちらを覗き込んでいる。食べられるのか? 食べられてしまうのか?

 恐怖が沸々と沸き上がる。

 死にたくない。

 狼と目が合う。嗚呼、殺される。全身から熱が失われ、小刻みに震える。カチカチと奥歯が鳴り、その音が更に恐怖を掻き立てた。だが彼は思い知った。それは間違いだと。

 狼の目を見て気がついた。



 そこに映る自分の頭が、半分しかない。



「ハハっ……ハハハハハハハハッ!」


 片方だけとなった目を見開く。

 何てことだ。もう喰われているじゃあないか。

 男は自分の左腕を上げ、視界に入れる。その腕は、手首の手前から無くなって、荒い断面の骨が少し肉から飛び出していた。

 右腕は?

 男は同じようにしてみて笑う。右腕は視界に入れることすら叶わなかった。つまり、肩から無くなっていた。


「くふっ、くははっ! はははははっ!」


 何だ何だ何だ。腕がないぞ。この分だと脚も無いんじゃあないのか?

 残念ながら足の有無を確認することは出来ない。だが男にとって、そんなことはどうだって良かった。

 ボサボサの毛並みを血に染めた狼の牙が男の頭へと近付く。

 嗚呼、死ってこういうもんなのか。

 動かず、痛むことすらない身体。それがただの肉片に変わるのを男は目を閉じて待った。



 薄暗闇の中で初めて感じたのは熱だった。焼けるような熱さ――いや、()だった。

 その薄暗闇は、よく見れば赤みを帯びていた。そしてよく見れば、いや、よく見ようとするが、その視界は焦点を合わせることが出来なかった。

 ここはどこだ。

 狼に食べられたのではないのか。

 だとするなら何故まだ生きている。

 そして、この異常な痛みは何だ。


 疑問は尽きぬが、その答えを男に教える者は居なかった。

 ただ、全身余すところなく痛いという事実だけが男を襲った。

 半分になっていた頭も、三分の一を失っていた左腕も、無くなっていた右腕も、有るかも分からぬ両足も、頭と共に無くなった筈の片目も、あの時まだ残っていたもう片一方の目も、それなりの筋肉がついていた胴体も、例外など何処にもなく痛かった。

 痛みを通り越して、熱かった。


 ぼんやりとした視界に違和感を感じ始める。何だか段々と、見えている範囲が狭くなっているような。

 そしてそれは間違いではなかった。

 長い時間をかけ、男は視力を失った。



 次に気がついた時、目の前は赤茶色だった。いや、片目が赤色を映し、もう一方が茶色を映していた。

 ぼんやりとした像でありながらも男は理解した。あの赤は自分であると。正確には血で赤に染まった自分の身体であると。

 そして茶色は土の色だった。

 つまり自分の目は、眼球は、地面に転がっている。そうであるのに、未だ像を映している。


 黒い影が赤い影に重なる。赤が飛び散り視界を汚す。恐らく、狼が自分の身体を食べているのだろう。

 消えぬ痛みに加え新たに上書きされた痛みが、その予想が正しいことを男に伝えた。

 何がどうなっているのか。

 果たして自分は生きているのか死んでいるのか。それさえも明確な答えを自分の中に見つけることは出来なかった。

 男は確かに死んでいなかった。不死であるからだ。だがそれは彼にとってはまだ"未知"の領域。分かる筈もなかった。

 彼は自分が死ねない身体になっているだなんて、思いもしていないのだから。

 黒い影が動き、視界から赤が消えた。

 踏まれたのか喰われたのか。はたまたそのどちらでも無いのか。

 それは分からないが、彼は再び片目を失った。そして、その数分後にはその片割れも。



 男は痛みに喘いでいた。

 何度目とも分からぬ目覚めのたびに繰り返される激痛。一体何回狼の腹の中に収まっただろうか。

 訳が分からない。

 何なのだ。

 自分が何をしたというのか。

 もう死にたい。

 死にたい。


 死にたい。




 目を開けると男は見たことの無い部屋の床に直で寝転がっていた。身体に被せられたぼろ布を横に退ける。


「目が覚めた?」


 起き上がると麗しい女性が男の顔を覗き込んだ。整った目鼻、少しあどけなさの残ったその顔は、何故だかとても懐かしく感じた。


「夢を見ていた気がする。長い、長い悪夢を」


 男がポツリと言ったのを聞いて、女性は息を呑む。男の目の光は虚ろ気味だった。半身を起こした状態の男は今にも壊れてしまいそうな、そんな脆さを孕んでいた。


「そうね……。あなた魘されていたもの。きっと悪い夢を見ていたのよ」

「そうか……」

「ええ」


 それきり二人は黙り込んだ。

 静寂が辺りを支配する。部屋の中に二人の呼吸の音だけが響いた。


「……違うんだよな」

「え?」

「夢じゃ……無いんだよな」


 沈黙を先に破ったのは男の方だった。

 ポロリポロリと溢れ落ちるような言葉で、しかし確かに確信を込めて彼は言った。


「聞かせてくれないか、何で居なくなったのか。俺の身に何が起きているのか」


 男は弱くも力無くも、それでも生きた目で彼女に――かつて突然消えた自らの想い人に――問いかけた。



 はこう語った。

 かつて彼女は怪しい女に連れ去られ、そして殺された。だが彼女は死ななかった。

 混乱しているのに構わず連れ去った女は滔々と言うべきことだけを言い、教えることだけを教えて去っていった。

 その後これまた胡散臭い男が女の態度について謝罪に来て、説明の補足と"男"のことを語ってから去っていったという。

 この時女は賢明だった。

 自らの異常性を理解し村へ戻らなかった。否、正確には戻ってはいたのだが能力を使い、別の人間として紛れていたのだった。

 そして男を監視した。自分は異常だ。もし関わったらそれだけでも何か悪い影響を与えてしまうかもしれない。

 そう思い直接の接点は持たぬようにして、男も同じであるのかを見ていた。

 普通であるならばそれで良い。そのまま平穏に過ごしてくれれば良いのだ。彼女は怪しい男の言ったことを余り信じてはいなかった。いや、信じたくなかった。

 だから、賢明である筈の彼女はギリギリまで待とうとしてしまった。

 確信に変わるまで見ていた。早とちりで接触すれば取り返しがつかない。そう言い訳して慎重である振りをしてしまった。

 それが最悪の結果をもたらした。

 たまたま彼女が目を離したときに男が居なくなった。居なくなったことにすら最初気付いていなかった。

 その結果、男は何度も喰われ、そして自らの血肉が消失するたびに――狼の胃で消化されるたびに――その分が彼の一部――血や肉塊や骨や目玉など――の近くに戻り、そしてまた喰われ……を彼女がそれを見つけるまで延々と繰り返すこととなった。


「だぁからぁ、言ったぁのになぁ」


 ゾクリと男と女は肩を震わせた。

 聞くものを不安に陥れるような、不気味な声。

 何処からか現れたのか、一人の男が立っていた。

 目はギラギラと輝き、口元は半開き、比較的若く見えるその顔は痩け、全身から狂気を滲ませていた。


「もぉ君たぁちさぁ、いぃつまでぇ待ぁたせるのぉ? 待ぁちくぅたびぃれたよぉ」


 間延びした声は一方的に続ける。


「もぉ限界ぃなぁんだよぉ……。今かぁら世ぁ界創造ぉ教えるかぁらねぇ、覚悟しぃてねぇ?」


 不吉な男が手を挙げると共に男と女は眩い光の波に呑み込まれ、そして消えた。



 とある世界に、とある男女が居た。

 二人は仲睦まじく市場を見て、時に冷やかしていた。所謂デートと呼ばれるものだろう。


「あの男、世界創造の説明だけして消えちゃったわね」

「君を拐ったという女もあの狂人も身勝手すぎやしないか?」

「どこに行ったんだろう?」

「死んだ……とは考えづらいからなぁ」


 あの二人は死ねない。

 根拠は無いものの、男と女には確信めいたものがあった。

 あれはきっと成れの果て。

 不死者の辿り着く最後の姿なのではないか。だとするならば、いずれ自分たちも――――



 不安を無理矢理拭うように、二人は繋ぐ手をより一層強く握りしめた。










 後に彼らは見ることとなる。

 世界の管理中、偶然見つけた一つの世界の中で。それを見た男と女は言葉を失った。

 その世界は、言い表すならば牢獄だった。それもただの牢獄ではない。一方的に、永遠に、ただひたすらに、死を与え()()牢獄だった。血飛沫が上がり続ける。悲鳴はない。ただ作業のように、瞬間的に、尚且つ永続的に、二人の殺戮が行われ続けていた。



 ――――あの二人は、目覚める間もなく全身を失い続ける()()に身を投じていた。


 それが彼らにとっての、死ねぬ者にとっての、最後の救いであるかのように。

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