四夜
夜鷹が目を開けると、空中にいた。
ええ!どうなってるのこれ!
夜鷹は頼りない網に縋り付き、落ちないように体を強張らせる。
まだ、全然昼だし、月読尊様は鏡の中だよね。
助けを求めることも出来ず、自らの力で降りる方法を考えるも、明らかに夜鷹の身長では足が床に届かない。
ああ、もう。元鳥なのに、情けない。
夜鷹がウジウジしていると、足元から月読とはまた違う青年の声がした。
「おーい。君、捕まっているのかい?月夜見尊様の仕業か?」
夜鷹が恐る恐る、下を覗くとそこには白い蛇がいた。
え?何でここに蛇?間違って入って来ちゃったのかな。
夜鷹が何も言わないのが、月夜見のせいだと思った蛇は、スルスルと鏡の近くまで移動すると、大きな声で叫ぶ。
「おーい!月読様!新人の子が網に捕まってますよ!」
すると、中からまだ眠そうな月読が姿を現す。目は完全に開かないようで、窓からの光が眩しいのか、片手で目を隠し、白い蛇に尋ねる。
「何が網に引っかかっているって?」
「新しい子ですよ。名前は分かりませんが、降りられないみたいですよ。」
「何…」
月読は目を少し開けて、夜鷹を見る。あまりに凶悪な顔に夜鷹は竦み上がる。そんな夜鷹の様子に、月読は不機嫌そうに、鏡の中へ戻って行く。
「え?月読様。あの子助けなくて良いんですか?」
「構わん。ちょこまかされて煩いから、私があそこに吊るし上げただけだ。お前も用が済んだら帰れ。」
月読が去ると、どこかションボリした様子の少年と何も出来ずに狼狽える白蛇だけが取り残された。
目障りだったんだ。やっぱり、出しゃばった真似なんかしたから…
白蛇は少年の負のオーラを感じ取ると、周囲の壁を伝って、夜鷹の元まで登ってくる。
「やあ、その、月読様はあんなだけどさ。気にすることないよ。きっと、寝起きで機嫌が悪いんだ。」
そうかな?それだけじゃないと思う。
「うーん、参ったな。あ、そうだ。君の名前教えてよ。俺は八岐大蛇。今は力を封じているから、こんなだけど本当は首が八つの大蛇なんだ。君は?」
夜鷹は白蛇から顔を背ける。
僕は、夜鷹。醜い鳥だ。でも、どうせ八岐大蛇には伝わらない。
八岐大蛇は何も話さない夜鷹に、首を傾げる。
「そう言えば、君はどうして顔に布なんて巻いてるの?服は汚れてるし…」
そう言って八岐大蛇の目に、床に置いてある布が目につく。
「なるほど。分かったよ。君、この部屋の掃除をしようとしたんだね。それで、怒られてこんな所に吊るされてるんだ。」
そうだよ。僕は気の利かない鳥だからね。あんなに月読尊様は嫌がっていたのに…
「はは。余計に落ち込ませちゃったかな。ごめんね。でも、そろそろ君の名前知りたいな。」
そんな気分じゃない…
夜鷹は再びハンモックに横になると、八岐大蛇に背を向けて目をつぶる。八岐大蛇は痺れを切らして、赤い舌をチラチラとさせる。
「君!そんなに心が弱くてどうするの
?そんなんじゃ、月夜見尊に話を聞き出すなんて不可能だよ。君は自分の願いを叶えるために、ここまで来たんでしょ。」
八岐大蛇の一括に、夜鷹は自分が声が出ないということも忘れて、言い返す。
そうだよ!僕は星になるためにここに来たんだ!だけど、月読尊様に迷惑かけてばかりで、この部屋には二人きりなのに邪魔者扱いだ!どうしたらいいんだよ!
夜鷹が声を荒げたのは、これが始めてのことだった。実際には声が出ていないにも関わらず、夜鷹はそう言い切ると、肩で息をして、再び倒れこむようにハンモックに寝そべる。そんな、夜鷹の様子を見て、八岐大蛇は心配そうに夜鷹の枕元に移動する。
「おい、まさか。君、声が出ないのか?」
八岐大蛇の問いに、夜鷹は浅くうなづく。
「何だよ。それならそうと…言えねえか。分かった。じゃあ、待ってろよ。」
そう言って、八岐大蛇は下に降りると、筆と紙を運んで再びハンモックに登ってくる。
「よし、これで文字を書いてみろ。それなら話せる。」
夜鷹は首を横に振る。
無理だ。僕は文字を書いたことがない。言葉が分からない。
夜鷹の仕草から、文字が書けないということが分かると、八岐大蛇は少し考えてから、提案する。
「じゃあ、俺が今から簡単な言葉を教えてやる。これさえあれば、紙で会話するのは困らねえはずだ。」
八岐大蛇は器用に、筆に体を巻きつけると、紙にすらすらと50個の文字を並べた。八岐大蛇の様子に、拗ねていた夜鷹も起き出して、その踊りのような習字に目を釘付けにする。
「いいか、初めは"あ"だ。次は…」
八岐大蛇の熱心な指導と、夜鷹の勉強意欲のおかげで、日が傾き出す頃には夜鷹は五十音を覚えられていた。
「いいぞ。じゃあ、最後にお前の名前を教えてくれ。」
夜鷹は、八岐大蛇が書いた五十音を指差す。
「ぼくはよだか。よるのとり。」
八岐大蛇の反応がないことに、不審に思って夜鷹が隣を見ると、八岐大蛇が蛇とは思えない大ジャンプで夜鷹に飛びついてきた。
「よくやったな夜鷹。これで、俺たち話せるぞ。やったな!」
喜びすぎだよ。自分のことみたいに喜んじゃって、でも…
夜鷹は再び紙の上に指を滑らす。
「ありがとう。きみのおかげ。」
「やめろよー。そんなことないってー。いや、俺が教えたからってのもあるか。でもでも。」
八岐大蛇は体をくねらせ、喜びを現す。そこへ、鏡の中から月読が出てくる。
「なんだ、お前まだいたのか。早く出て行かないと、お前も出られなくなるぞ。」
「え?もうそんな時間?じゃあ、またな。夜鷹。」
八岐大蛇はハンモックから大ジャンプをすると、床にうまく着地し、そのままスルスルと壁の穴から出て行く。
うん!またね!八岐大蛇!
夜鷹は八岐大蛇に大きく手を振る。途端、バランスを取るのを忘れた夜鷹は、バランスを崩し、ハンモックから転げ落ちる。
いたた。ああ、もう情けない。
夜鷹が顔を上げると、間近に月読が心配そうに立っていた。
「大丈夫か。すごい落ち方だったが。」
その様子に、先程までの悩みも飛んでいき、夜鷹は元気に返事をする。
はい。大丈夫です。
元気を取り戻した夜鷹と対照的に、月読は表情を曇らせる。
「嫌だったか?君は空ばかり思い出していたから、生前は空を飛んでいた何かじゃないかと思って、そのハンモックに乗せたんだが…」
え…そうだったんですか…僕はてっきり、掃除されるのが嫌で、吊るされたのかと。
「お仕置きと勘違いしてしまうということは、あまり気に入ってもらえなかったようだな。」
月読がハンモックを撤去しようと手をかけると、夜鷹は月読に駆け寄り、服の裾を遠慮がちに引っ張る。
嫌じゃないです。最初は突然で驚きましたけど、今のお話聞いたら、その網気に入りました。これから、そこで寝起きします。
月読は夜鷹の言葉を聞くと、僅かに口角を上げた。
「そうか。気に入ったか。だが、もう少し低くした方がいいようだな。君のは降りるというよりは、落ちていたからな。」
月読はハンモックを夜鷹の身長に合うように付け直す。作業が終わると、いつものように月読は、窓際の文机に向う。夜鷹はその背中に向けて、深く頭を下げる。
ありがとうございます。
足元には何故だか、水滴が垂れていた。
あれ?なんで?
夜鷹は、溢れる涙を服の袖で何度も拭う。
こんなに優しくされたの、生まれて始めてだ。
夜鷹の顔は昨日のように濡れていたが、心はとても満たされた気分だった。




