三夜
夜鷹は窓から入る西日で目を覚ました。
あ、昨日は掃除していて、それから…
目を擦りながら、昨日のことを思い出す。
そっか、途中で休憩しようと思って、部屋の隅で丸くなってたら寝ちゃったのか…
ふと、記憶にない布が一枚、夜鷹の上にかかっていることに気がつく。
もしかして…
辺りを見渡しても、その布をかけてくれた本人は見当たらない。
ありがとうございます。
夜鷹は心の中でつぶやくと、その布を綺麗に畳んで、綺麗に掃除した床に置いておく。
さて、続きをしますか。
夜鷹は腕を捲り上げ、床掃除の続きを再開する。半尻は子供用の狩衣のため、あまり動かない貴族にとっては、動きやすい格好ではあるものの、床掃除には向いていないため、度々裾を踏んでは盛大に転ぶ。
ああ!もう!これ、すっごい動きづらい!
最初は青空を思わせる鮮やかな狩衣に、感動こそしたものの、今ではすっかり埃で黒ずみ、ただのぼろ切れのようだった。
やっぱり、もっと身軽なのがいいな。
夜鷹は狩衣を脱ぎ捨て、袴の紐に手をかける。ふと、視線を感じて振り返ると、月読が鏡から出てきたところだった。
あ、おはようございます。
のんびりとした様子で、夜鷹はにこやかに挨拶すると、再び固く締められた袴の紐と奮闘する。
「何をしているのだ?」
この服だと、掃除しづらいので、脱いでしまおうと…
夜鷹がそう言いかけると、月読は血相を変えて夜鷹に詰め寄る。
「何を考えているのだ!本当に君はバカなのか?!」
夜鷹は月読が焦っている理由が分からず、キョトンとしたまま月読を凝視する。
月読尊様、何をそんなに焦っていらっしゃるのですか?
「君、何も知らないのか?」
一応、お役目については理解しているつもりですが…
「なら、何故姉さんにもらった服を破いたり、脱ごうとしたりするのだ!」
ダメでしたか?
「当たり前だ!その服は一種のお守りのようなもので、私から身を守るためのものなんだ。それを脱いでしまったら、いざという時に、君は一瞬で八つ裂きか嬲り殺しだ。」
夜鷹は顔から血の気が引いていくのを感じる。そして、再び初日の恐怖が蘇る。
そうだった。僕はこの後、月夜見尊様と交渉しなければならないんだった。死の呪いと…
「分かったら、もう余計なことはするな。」
月読はため息をつくと、踵を返して文机に向う。夜鷹はまた脱いだ狩衣を着込み、部屋の隅で丸くなる。
月、綺麗だな。
ぼおっと部屋の隅から見上げる月は、細い針を湾曲したようで、触れれば切れそうだった。月の周りの星々は、そんな月に切られないよう、輝きを潜めているようだった。
カワセミは元気にしてるかな。ハチドリは、もう戻ってきただろうか。
生きていた頃に飛んでいた空を思い出し、兄弟達のことが今更心配になってくる。
もう、絶対に会えない。もっと、ちゃんとお別れしてくれば良かった。
鋭利な月は、不思議とボヤけて見えた。
もっと、生きたかった。
そう思うと、途端に後悔の渦が夜鷹に押し寄せる。もう戻れないことや、兄弟達に会えないこと、自由に空を飛べないことが、とても悲しかった。
声が出なくて良かった。
音を立てず、夜鷹はひっそりと泣く。泣き疲れると、急に眠気が襲い、その体制のまま眠ってしまった。夜鷹が眠りにつくと、月読は文机から離れ、鏡の中から網を取り出す。その網の端と端を部屋の隅に吊るすと、簡単なハンモックが出来上がった。月読は夜鷹を起こさないように、抱きかかえる。
まったく、姉さんの結界は強力だ…
月読は腕に電流の走るような痛みを感じて、顔をしかめる。それでも、夜鷹を落とさないようにしっかり抱きかかえると、夜鷹をハンモックにそっと乗せる。
まったく、今までの中で一番手間のかかる奴だ。
ハンモックに眠る夜鷹は、ちょうど月読の覗き込める位置になる。
顔は見えぬが、この大きさだと年は十か九つか…本当に小さい。
スヤスヤと寝息を立てる夜鷹に、月読は思わず手が伸びる。しかし、天照大神の結界が織り込まれた服を思い出し、手を引っ込める。
こんなに小さい子でも、あいつは容赦ないのだろうな。もって、後二十日か。
月読は夜鷹から目を背けると、再び文机に向かう。




