第七話 英雄 1
白に塗り替えられた場所。足音は絶え、呼吸一つ聞こえない無の世界。
それは全てを閉じるための世界だろうか。
いや、違う、生を送り出すための世界と表現した方が、綺麗なイメージを描くことができるだろう。
歩きながら、一つの影は一度振り向いて、今の世界の色に取り込まれないように、前を向き直して目指す。
彼女は彼女となり、彼は彼となり、お互いが居すべき世界へと歩み始めたのだ。
その中間地点。
彼女たちを見送った影――彼は、辿りついた。
人ならざる者として、彼は最後の役目を果たすため、自らが鍛えた剣を振りかざす。
同種と争った事は初めてではない。ただ、彼が旅で得た経験は、この世界しか知らない同種をねじ伏せるのに十分であった。
最後は、同種を呆気無くも切り払い、彼は新たな支配者としてその世界を統べる義務を与えられる。
けれど、彼は抗う。
嫌だ、と。
素直に、且つ正直に話したはずなのに、許したくないと言ってくる君がいた。
そして、悲しそうに瞳を濡らした君が、影を消す。まるで、燃えたものが灰となって消えていくように、とても簡単に影は消えた。
喜ぶ彼に対し、君は告げる。
絶対的な存在である君に抗えた者は、彼が初めてらしい。
そんなの、知らない。
子供のように無邪気で、自分が先に何をして生きてきたのか忘れてしまったはずなのに、彼は何故か否定したのだ。
魔神として君臨し、全てを侵しながら生きることを。
すると君は一つだけ条件を掲げると、彼はそれを承諾してしまった。影の消滅は、その結果である。
これが――全ての始まりであり、終わりを迎えるための物語の、序章である。
「はぁ」
溜め息ばかりが溢れる店内には、太陽の暖かな陽気に溢れ、穏やかな空気が流れていた。
今日はいつもより人が少ない。
……嘘はやめよう。誰一人として来ていなかった。更に言えば、席に座る今の今まで職務を放棄し、食料のために湖へと釣りに行っていた事を、テイナは白状する。
台の上に両腕を置き、その中に顔を埋めながら。
横目で、高く積み上がる薬瓶を見る。釣りから戻ってきても、早朝には並べ終えていた薬瓶が減っている様子は無かった。
「暇ぁ。暇に暇で暇な今日ぉ~」
誰も聞いていないことを良い事に、自身でさえ理解ができない独り言を喋り始めるテイナ。
非常に、虚しくなった。
きっと、今日は人が来なくても、明日は来てくれるだろう。
現実逃避をしている内に、テイナは自分が眠気に誘われていると思った。
そう思うことにした。
できる事が無いからだ。
「なら、お休みだねぇ……」
太陽はまだ高い。
このまま眠ると、夜は眠れないだろうと完全に眠る寸前まで考えていたが、人は欲求には勝てないんだと呟いて、眠りに落ちた。
――絶対的な君に抗ってしまった挙句、ついに泣かせてしまった彼は、綺麗な銀のびらを持つ花になる。
月に照らされた時にだけ、開花することが出来る花。
手も足も口も耳も使えなくなり、不満しか残らなかった彼はしばらくして、これからは花として生きるしか無いのだと考えるようになった。
彼だけでは無いかもしれないが、人は自分には出来ない不可能な場面と遭遇してしまった時、流れに従うようにできているのかもしれない。
けれど、夜になると彼は涙を流す。その涙は決して、花に変えられてしまったことを悔しんでの涙では無い事を知っておいて欲しい。
思い出。
かつて、共に旅をしてきた仲間たちは、元気にしているのだろうか。
彼女に勇者の名を与え、彼女から英雄の名を与えられた彼は、今までの冒険の数々を思い出していた。
――自分のこと。他に忌み嫌われ、世界から敵視されるべき存在だったのに、彼女たちは自分たちの時間を犠牲にしてまで、救ってくれる方法を考えてくれた。
そして、現実に救われたと思う。
本当に、最愛の彼女たちには迷惑をかけた。
――はずなのに、何も覚えていない。彼は時間の流れを読み取り、事実だけを今、記憶している。だが、それが本当に自分が行ったことなのか、紛れもない真実なのかを裏付けられないでいた。
もう一度会って、話をしたい。しかし、それをしてしまえば、今までの苦労を水に流す事になる。
なら、元気に生きてさえいてくれれば構わない。ここで、花として永遠に生きれば、良いではないか。
だから彼は、涙を流す。
悔しい、と世界に訴えかけながら。
扉が開く音がする。
眠ってから数分も経っていなかったから、テイナがその音に気付いたのはすぐのことだ。
そう、テイナのすぐは、店内に入った客にとっては数十分のことだった。
「おい、店番くらいちゃんとしろよ」
世間話なら、何度か聞いている。ただそれは、テイナ以外の周囲に居る者とのみ行われていることだ。
だが、テイナの頭上から聞こえるこの声は、明らかに――テイナに向けられていた。
「え!?」
驚き、頭を上げたテイナの前にあったのは、一言で言い表すなら、無愛想な人間の顔。
短めの銀色の髪に、自分と大差無い年相応の少年。気になるのは、手と首に輝く銀色の痣だ。
一体、いつ以来だろうか。
そもそも、これが初めてなのかもしれない。
外の国の人間との、交流の瞬間だった。
上雛平次です。
自作のキャラクターというのは、不思議と愛着が沸くものです。
今作のキャラクターの七割は、前作のキャラクターと同じとなっていますが、心理描写やキャラクターの明示はしていきますので、よろしくお願いします。
では、次回の更新で。