小指をかすった
どうやって帰って来たのかほとんど覚えていない。
ガツンと脳を揺さぶった衝撃は自分のベッドに転がってもまだ波紋を作ったままだった。
案の定色々からかわれた記憶やそのあと普通の練習に戻った記憶はうっすらと残っているが、俊は魂ここにあらず状態だったに違いない。
“千葉っち!あんたの大好きな滝井君があんな所で告られてるよーっ!”
“あんたの大好きな滝井君が”
…っ!
俊は、今まさに自覚したようにバッと顔を大きな左手で多い、頬を赤らめた。
千葉が、
あの千葉が。
俊は初めのワタワタと絆創膏を貼り付けて来た彼女を思い出す。
彼女の、白くて折れそうなのに柔らかそうな手首を思い出す。
勤勉なペンのリズムを、誰の記憶にも残らないような大人しい後ろ姿を、思い出す。
「……はぁ。」
俊は自分を落ち着かせるために、出来るだけゆっくり息を吐き出した。
◆◆
ズガシャンッ!
同じ一年なのに、すでに頭一個分実力を伸ばしてきている滝井がボールがたっぷり入ったカゴを足元に落とした。
これから練習に使った玉を全部拾い上げて試合形式の練習をする。
玉を集めて来るのは一年の仕事だ。
いつもはそんなヘマなんてしない気合いの入っているはずの滝井を不思議そうに松浦が見つめる。
「大丈夫か?」
「あ…ああ。」
一瞬カチンコチンに固まっていた滝井が、慌ててこぼれたボールを拾い始めた。
憎いぐらい整っているポーカーフェイスが、少し崩れている。
松浦は怪訝そうに首をひねった。
「どうしたんだ?さっきの足の指にでも落としたのか?」
「なんでもない。」
早口で応えるのが更に怪しい。
なんかあるなと睨んだ松浦は自身も近くのボールを拾いながらじっくりと彼を観察した。
本人自体になにがあるでもない。だが。
…ん?
勘の良い松浦は視線を校舎上に向ける。
何を言っているのか内容はよくわからないが、音楽室からキャッキャッと女子の声が聞こえてきた。
背中をバシバシと叩いている子と、叩かれながらワタワタと慌てている子。
…んー。
「おい、あれ…。」
滝井に声をかけ、音楽室の方をゆっくり指さそうとした時。
「っ指、指すな!」
滝井が珍しく練習意外で声を荒げ、松浦の手をガシッと隠した。
松浦はびっくりして滝井を見つめる。
滝井は辛そうに眉を下げ、
顔を薄っすら赤くしていた。
◆◆
「…それは、反則だろー…。俺が女だったら今ので惚れてるわ。」
「…はぁ、?」
わけのわからない事をブツブツ言う松浦に俊は試合の時とはまた違う汗をかきながらなんとか話題をそらせたかった。
幸運な事に、二人の会話を割るようにして笛の音が鳴り響く。
ふぅ、とため息をついて最後のボールを拾い、俊は列に並んだ。
集中。
「整列‼︎よろしくおねがいしゃっす!!」
定位置につきながら、俊は既に流れ出す汗をぬぐう。
集中するのは得意だ。
じゃりっと足の裏の感触を大きく感じる。
ボールを、死ぬ気で取る。
試合中はそれしか考えない。
考えられない。
…。
…得意な、はずだった。
時々、爆弾が放り込まれるのだ。
俊にしか内容が聞こえない、絶妙な音量で。
“千葉っち、泣きそうになるほど滝井君が…”
先程のよく通る声が脳内で再生されそうになって、俊は慌てて頭を振った。
今は、考え、ない。
言い聞かすように、言葉を区切って自分の足元を見る。
俊は気持ちを完全に切り替えて、グイッと顔を上げた。