遅刻した
「あ、やべ。遅刻だ」
昨夜、彼女と長電話をしすぎたので、少し寝過ごしてしまったようである。今日に限って遅れるわけにはいかない。何せ、同僚でもある彼女の昇進日なのだ。
もし遅れたら、なんて怒られるか分かったものではない。
私は背広に着替えると、大急ぎで家を飛び出した。しかし、それがマズかったのだろう。体が少しドアに当たり、左腕がポトッと落ちてしまったのである。
「……って、くそ。こんな時に、めんどくさいなぁ」
私は慌てて左腕を拾い上げ、鞄の中にしまい込んだ。そして、全力で走り出したのであった。
ただ、それがマズかったのだろう。
今度は左足がゴテッと外れたのだ。またかよ、そう思いつつ私は左足を拾い上げてリュックの中にしまい込んだ。それから直ぐ走り出したのだが、次は両耳がポーンと飛んだのであった。
「……もう、今日は完全についてない日だな。どうして悪い事って、こんなに続くんだか。幸運と不幸は、同じぐらいの量にして欲しいわ」
私は飛んでいった耳を広い、ポケットに突っ込んだ。その力が強すぎたからだろうか。次は、右腕が。そのまた次は、右足が。下半身が。胴体が取れてしまったのだ。
「……おいおい。もう全部を拾っている時間は無いか。仕方ない、会社に遅刻するぐらいだったら、後で探しに来るしかないな」
頭だけになった私は大急ぎで、ゴロゴロと地面を転がった。途中、バリアフリーされていない場所に出くわしたときは、近くを歩いていた人にお願いして持ち上げてもらった。早く全ての道が平坦になってくれると楽になるんだが……。
「お、あと少しで会社にたどり着くぞ」
私は嬉しそうに呟き、更に加速しようとした。だが、それがマズかっのただろう。ほんの少し道ばたに落ちていた石ころに引っかかり、頭から目玉だけがポーンと飛び出してしまったのである。
ほんと、ツイテねー時は、なにをしてもダメだな。
もう今更、頭部だけを集めても仕方ないだろう。それよりも遅刻するワケにいかない。もし間に合わなかったら、気の強い彼女から本気で怒られてしまうだろう。
私は目玉のまま転がり続けた。
幸い、飛び出した時の衝撃で、距離はあと僅かになっていた。だから、賢明に転がり続けると、何とか出勤時間ジャストでたどり着けたのであった。
ただ、何ごとも急には止まれない。
私は勢いのまま、偶然にも入り口の所に立っていた美しい女性の足下にまで転がっていってしまったのだった。
「え」
美しい女性は初め、ギョッとしていた。
そりゃそうだろう。
気持ちは分かる。
ただ、彼女はしかめっ面になると、スッと私を持ち上げていたのだった。
「……って、やっときたわね。遅いわ、なにしていたのよ。社会人なら15分前行動が常識でしょ。しかも、今日は私の昇進日なんだから」
いやぁ、ごめん、ごめん。深夜まで電話していたから、少し寝坊してしまって……。
「それは私も同じでしょ。でも、私は遅刻してないわよ。だらしないわねぇ」
……面目ない。
「まったく。私だって、こんな日にまで怒りたくないんだからね。少しは、しゃんとしてよ。こんなのが彼氏だなんて、他の人に思われたくないんだから」
……はい、すいません。
そうやって美しい彼女が私を持ち上げたまま立っていたら、近くにいた別の同僚が話し掛けてきた。
「ねえ、目玉をもったまま何してるの?」
「何って、彼と会話よ」
「目だけで話ができるワケないじゃない」
すると、美しい彼女は微笑んだ。
「あら、平気よ。だって目は口ほどにものを言う、っていうじゃない」