第2章 閉ざされた迷宮 ①
(14:00〜16:00)
午後二時、館内は異様な静寂に包まれていた。
天井から降り注ぐ光は、もはや安らぎを与えるものではなく、舞い上がる紙片と埃の中で、人々を重苦しい沈黙へと閉じ込めていた。
一瞬前まで軽やかに動いていた自動書架は硬直し、ドローンの群れも宙で停止したまま、羽音だけを微かに震わせている。
「桐生さん!」
由紀は声を張り上げた。倒れた書架の隙間からわずかに覗くポロシャツは、間違えようもなく桐生のものだ。
館内放送も非常ベルも、電話もスマホも――すべてが途絶えた。
巨大図書館アークライブラリは、今や完全に外部から隔絶された、陸の孤島と化していた。
黒崎はすぐに由紀と瑠奈に駆け寄り、冷静に指示を飛ばした。
「皆さん、落ち着いて下さい!スタッフの指示に従って行動を!」
停止した書架やドローンの位置を確認しつつ、スタッフたちが来館者を安全な場所へ誘導し、1階のエントランスに集めていく。
瑠奈は怯える来館者の手を握り、子どもや高齢者を落ち着かせる。由紀も荷物を拾い、倒れて動けない人を支えながら、人々の安全を確保することに奔走した。
子どもを抱えた母親、立ち尽くす老人、ざわめく学生たち……誰もが事故の衝撃と閉鎖状況に恐怖と不安を隠せない。
「外と連絡が取れない。一体どうなってるんだ!」
来館者の1人が大声で叫んだ。
「ただいま確認中です。落ち着いて下さい」
黒崎の冷静な声が、かえって男の興奮を煽った。
「落ち着けだと?!お前じゃ話にならん!責任者を呼べ!!」
瑠奈が小声で由紀に呟く。
「あの人、時々来ては馴れ馴れしく話しかけてくるおじさんだよね」
――確か平野という男。由紀にも何度かいやらしい目線を送ってくるので、名前を覚えていた。
その時、群衆のざわめきをかき分けるようにして、ひとりの男が姿を現した。
館長の仁科だった。
額の汗をハンカチで拭いながら、落ち着かない様子で周囲を見回す。
「わ、私が……館長の仁科です。と、とにかく、落ち着いて……」
しどろもどろの声が、かえって群衆の不安を煽る。
「俺はこの後、大事な打ち合わせがあるんだ!もしそれが上手くいかなかったら、二億の損失だぞ!責任とれるのか?!」
「に、二億……」
突拍子もない金額に狼狽える仁科館長に、平野が舌打ちをするのが聞こえた。群衆の緊張は更に高まっていく。
その時――、
「申し訳ございません。ただいま全力を挙げて状況の確認をしておりますので、もうしばらくお待ちいただけませんか」
薄くなった頭を下げたのは、黒崎と同じ警備員姿の男性だった。
「斎藤さんだ」
由紀が呟いた。黒崎が非番の日などは、斎藤がにこやかに挨拶を返してくれる。穏やかで親しみやすい雰囲気は、いつも由紀を癒してくれる存在だ。
その空気に宥められたのか、騒いでいた平野もいくらか落ち着きを取り戻す。
廊下の奥、閉じ込められた扉や停止した書架の向こうには、まだ取り残されている人がいるかもしれない。黒崎と斎藤は来館者リストと照らし合わせながら、確認作業に追われている。
由紀と瑠奈の他に、別フロアで働くスタッフも加わり、来館者を誘導してエントランスに集まっていた。
今この場にいるだけでも、三十人ほどが取り残されているようだった。
子供のすすり泣く声が響く。瑠奈がすかさず駆け寄り、その子を抱き上げた。
「大丈夫。すぐに出られるようになるよ。あ、そうだ……」
そう言ってポケットから飴玉を取り出し、子どもの手のひらに乗せた。
「これ食べると元気出るよ」
由紀は震える老人の手を握り、何度も「大丈夫、大丈夫」と声をかけ続ける。
それはまるで自分自身に言い聞かせるように――。
ふと、由紀はガラス張りの天井を見上げた。普段であれば午後の柔らかな光に包まれる心地よい空間。
だが今は、緊張に押し潰されそうな、不穏な迷宮へと変貌していた。




