第1章 微細なノイズ ④
館内は午後の柔らかな光に包まれ、棚に並ぶ無数の書物が白い床に淡い影を落とす。高くそびえる書架の頂上で、ドローンが静かに羽を休め、機械音はほとんど聞こえない。
あのトラブルから数日経つが、あれからは何事もなく、全てがいつも通りの日常に戻っていた。
由紀は返却された資料を整理しながら、ふと通路の向こうに人影を見つけた。いつもの白いポロシャツには「Libria」のロゴがある。この図書館のAIシステムを構築した株式会社リブリアシステムズの桐生智也だった。
「こんにちは、朝倉さん。ここも少し整理しておこうと思って」
その柔らかい笑顔と穏やかな声は、午後の静かなフロアに自然に溶け込む。由紀も瑠奈も、安心感とともに自然と顔がほころんだ。
「お疲れ様です、桐生さん」
「お疲れ様です藤川さん。資料棚の位置を少し調整しようと思っているんだ」
桐生は一冊の資料を手に取り、Libriaの端末でデータを確認しながら、棚の間を丁寧に進む。由紀と瑠奈もそれに続き、並行して書架の整理や本の確認を行った。
「この棚は少し傾いているかもしれませんね」
「ほんとだ、指摘ありがとう。すぐに調整します」
桐生は笑顔を崩さず、丁寧に返答する。その動きの一つ一つに、由紀は安心感を覚え、瑠奈も心の奥で尊敬の気持ちを抱いていた。
通路の先で、自動書架が軽く軌道を修正する。その動きに合わせて、桐生は手を差し伸べて本を支える。たとえLibriaが全てを管理していても、人の手による気配りがあることに、二人は微かに心を温められる思いがした。
「朝倉さん、この棚の整理が終わったら、次のフロアも少し見てくれる?」
「はい、瑠奈さんと一緒に行きます」
桐生は頷くと、笑顔のまま通路を進み、次の書架へ向かう。彼が中心となり立ち上げた『Libria システム』への自信が、彼の言動に滲んでいる。
瑠奈は、広大な図書館の機械音と光の反射に包まれながら、遠ざかる彼の背中を眩しそうに見ていた。
「桐生さんがいるから、この図書館は安全だよね」
「そうだね」
午後の光が書架の間をすり抜け、Libriaの静かな管理音と混ざり合う。日常の延長にある平穏な時間、それが崩れる時が刻一刻と近づいている事に、気がつくものはいなかった――。




