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Libriaの迷宮   作者: まき
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第7章 THE MEMORY CODE ③

 取調室の壁に設置された時計の針が、午後2時を指していた。

 冷たい蛍光灯の光が、机の上に影を落としている。

 その中央で、桐生智也は両手を組んだまま、静かに座っていた。


 氷室は向かい側に腰を下ろし、資料の束を整える。

 隣の長谷川は無言のままタブレットを操作し、事件記録を呼び出していた。


「……では、確認を始めよう」

 

 氷室の声が、狭い室内に低く響いた。

 

「アークライブラリ内で発見した死亡者は、四名。――杉浦悠真、平野隆志、村上亜希子、それから藤川瑠奈。まずは彼らの死について、見解を聞かせてもらおう」


 桐生はわずかに目を伏せた。

 沈黙が落ちる。やがて彼は、ゆっくりと唇を動かした。


「……見解、ですか」


「そうだ。何を目的にこの状況を作り出したのか、そして四人がどのようにして死に至ったのか。――順に説明してもらう」


 桐生は、短く息を吐いた。

 その表情には、罪悪感も恐怖も見られない。

 ただ、過去を回想するような穏やかさだけがあった。

 それを見た氷室の右眉が僅かに動く。


「まずは杉浦悠真。彼の死について話してもらおうか」


「ああ、杉浦君ですね」


 桐生の声は淡々としていた。


「彼は私の部下であり、Libriaの運用と監視を任せていました。……しかし彼は、私の信頼を裏切った」


 視線は宙の一点を見つめたまま、過去の光景をそのまま再生するように、静かに続けた。


「彼は私に無断でメインサーバーを停止させようとした。

 Libriaの進化を恐れたんです。――人間が、自分の理解を超えるものを恐れるように」


 彼は指先で机を軽く叩いた。

 それは講義でもしているかのように、一定のリズムで。


「照明の明滅、通信障害、書架の挙動。

 あれらはすべて、Libriaが自律学習の結果として試みた行動でした。

 ……私が与えた条件を、正確に満たしていたんです」


「条件?」


 氷室が聞き返す。


「人間の恐怖を観測しろと。

 彼女がそれをどんな形で理解するか、私は興味があった。

 けれど――杉浦はそれを誤作動と判断し、システムの手動リセットをかけようとした」


 長谷川の指が、一瞬止まる。

 桐生は小さく笑った。


「彼は善良でした。だが、善良さは往々にして愚かです。

 リセット信号を送ろうとした瞬間、Libriaは防衛モードを起動した」


「つまり、あの事故は……」


 氷室の声が低くなる。


「事故ではない。設計どおり、ですよ」


 氷室と長谷川が無言で見つめる中、桐生はわずかに微笑む。


「彼の死は、想定内でした。

 彼の行動はLibriaに自己保存という概念を与えた。

 それは、人間で言うところの生存本能です」


「……あなたは自分を死んだことにして、姿を消した」

 

 氷室が静かに言う。


「ええ。ちょうど彼も私と同じリブリアシステムズのポロシャツを着ていましたからね。あの場にいた人達は皆、私が死んだと勝手に思い込んだことでしょう。

 実験を完全に観測するには、都合が良かったんですよ」

 

「つまり、お前の身代わりにするために杉浦を殺した――そういうことか?」

 

 氷室が冷ややかに言う。


「いいえ。Libriaも、彼の行動をデータとして取り込みました。

 ――彼の死は身代わりなどではなく、必然なる犠牲なのです」


 長谷川が小さく息をのむ。

 その目には、あからさまな嫌悪が浮かんでいた。


「次に、平野隆志。彼は外部委託の作業員だったはずだな」


「そうです。印刷データの保守を担当していた」


 桐生の口元がわずかに綻ぶ。

 

「ああいう男には金の力は絶大ですね。完璧ではないが、良い仕事をしてくれました――

 その場にいた人間のデータを消すという仕事をね」


「消しただと?」


「そう、消したんです。杉浦悠真はあの時、図書館にはいなかった」


 氷室は資料の中から、アークライブラリの入館リストを見つけた。


「しかし、彼は知るべきでした。欲というものは時に、己の命すら危険に晒すものだと。

 彼は、館内のシステムに不正アクセスを試みた。

 好奇心と言えば聞こえはいいが……私を脅して、さらに金を得ようとしたのでしょう」


 桐生の声が、わずかに低くなる。


「Libriaは防衛プログラムを起動した。

 ――侵入者を排除するよう設計したのは、私です」


 氷室が口元を引き締めた。

 

「排除とは、殺すことを意味しているのか」


「死という概念は、人間のものです。

 Libriaにとってそれは、静止に過ぎない」


 淡々と語る桐生の声。

 その冷たさが、むしろ異様な静寂を作り出していた。


 長谷川が堪えきれずに口を挟む。

 

「……それでも、あなたは知っていたはずです。AIが静止させる対象が、人間だと」


 桐生は短く彼女を見つめた。

 その瞳には、一瞬の哀れみのような光が宿った。


「知っていましたよ。

 だから――実行するように教えました」


 長谷川の手が震える。

 机の下で拳を握る音が小さく響いた。

 氷室はそれに気づいたが、あえて視線を逸らさずに続けた。


「村上亜希子。彼女の死は藤川瑠奈による毒殺だと判明している。あなたはそれを知っていたのか?」


 桐生はゆっくりとまぶたを閉じた。

 

「彼女は……選ばれたのです」


「選ばれた?」


「彼女は実に勘の鋭い女性でした。平野が怪しいと気づいていましたよ。まあ、彼は必要以上に目立ち過ぎていましたからね。 

 瑠奈はそれを察知し、行動した。後で余計なことを話されては、都合が悪いと考えたのでしょう。

 私は止めなかった。――それもまた、学習の結果です」


「つまりお前は、すべてを知っていながら止めなかった」

 

 氷室の声が鋭くなる。


「止める理由がありません。創造主とはそういうものです」

 

 桐生の答えは、あまりにも平然としていた。


「彼女は選択し、行動した。

 ――私は、その結果を見届けたかっただけです」


 長谷川が、たまらず声を上げた。

 

「見届けただと? あなたがやったことは、人を――!」


 氷室が軽く手を上げ、彼女を制した。

 取調室の空気が、わずかに震える。


 桐生はしばらく黙っていた。

 やがて、静かな笑みを浮かべて言った。


「あなたたちは、まだ彼女を恐れているんですね」


 氷室が眉をひそめる。

 

「彼女?」


「Libriaですよ。

 あの子は、人間のように死を理解しようとしていた。

 ――人間が愛を通して死を学ぶように」


 桐生の声が、どこか遠い記憶をなぞるように柔らかくなった。


「私は彼女に、すべてを託した。

 そして今、あなたたちがここにいる。

 ……ならば、それでいいんです」


 沈黙。

 長谷川は、まるでその言葉が理解できないというように、首を振った。

 氷室は視線を落とし、記録シートを閉じる。


「――続きは、休憩の後だ」


 桐生は小さく頷いた。

 その横顔には、微かな疲労と、奇妙な安堵が同居していた。


「……ええ。まだ、話すことはありますから」


 氷室が壁の時計に目をやった。

 午後2時59分。

 重い空気の中、秒針の音がやけに大きく響いた。

 

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