第7章 THE MEMORY CODE ①
午前11時頃。
警報の音が遠ざかっていく。
空気がゆっくりと動き出し、館内に閉じ込められていた時間が再び流れ始めた。
由紀は壁際のモニターを見つめ、小さく息を吐く。
Libriaの光はすでに消え、あの穏やかな声も、もう聞こえない。
ただ、耳の奥に微かに残る残響が、まだこの場所のどこかで息づいているようだった。
「……終わったのかな」
由紀の問いに、黒崎はゆっくり首を振った。
「まだ、終わっていない……」
次の瞬間、鋭い懐中電灯の光が差し込んだ。
「氷室さん!」
黒崎が声を上げた。
光の向こうから、氷室慎一と長谷川葵が現れた。
防護服に包まれた姿で、背後には警察の特殊班が数名続く。
「黒崎……無事か」
「ええ、なんとか。そっちは?」
「封鎖システムは全解除。館内の生存者は全員保護した」
氷室の視線が階段下に落ちる。
そこにはまだ、藤川瑠奈の身体が横たわっていた。
その傍らで、斎藤が担架に乗せられ、救護班に引き取られていく。
長谷川が端末を操作しながら、低く言った。
「Libriaの中枢プログラムは自己停止しています。ですが、電力供給は維持されてる。……誰かが外部から制御を切り替えた形跡があります」
「桐生か」
氷室が問い返す。
「まだ断定できません。けど――彼のIDが監視ログに残ってました。最後のアクセスは……一時間前」
由紀が顔を上げた。
「じゃあ、桐生さんは……やっぱり?」
氷室が頷いた。
「図書館南側の地下通路で、桐生の痕跡を確認した。今、封鎖を解除して追っているところだ」
黒崎は短く息を吐き、腰の通信機を掴む。
「俺も行きます」
「待て」
氷室の声が制した。
その声は厳しいが、どこか穏やかさも帯びていた。
「三年前の事件と向き合うことになるかもしれない。その覚悟があるか?」
黒崎は短く目を閉じた。
だが、その顔には迷いはなかった。
「……わかっています」
氷室は黙って黒崎を見つめ、やがて頷いた。
「一緒に来い。過去の自分に蹴りをつけろ」
「はい」
黒崎は由紀の方を見た。
「君は残れ。危険だ」
彼女は首を振った。その瞳には、恐怖よりも確かな光が宿っていた。
「いいえ。ここまで来たんです。最後まで見届けたい。……桐生さんが何をしようとしたのかを」
氷室は短くため息をつき、部下に指示を出した。
「長谷川、黒崎たちをサポートしろ。南側地下通路の出口を封鎖する。……桐生を必ず生かして確保だ」
「了解」
長谷川が携行端末を握り動き出す。
黒崎と由紀もそれに続き、光の差す通路へと足を踏み出した。
建物全体が、かすかに揺れていた。
断続する細かな振動が足元から伝わり、由紀は思わず黒崎の腕を掴んだ。
「……地震?」
「いや、これは――」
すぐ後ろで、長谷川が鋭く声を上げた。
「――地震じゃない」
同時に、氷室が振り返る。
「ここは危険だ。急げ!」
警告の声とともに、天井から微かな粉塵が舞い落ちる。
遠くで、軋むような音が響いた。
外では、灰色の雲が流れていた。
そしてその下で、アークライブラリの巨大な構造体が、静かに――しかし確実に――崩れ始めていた。
まるで、そこに宿った神が自ら幕を引くかのように――。




