第6章 HUMAN LINK ⑤
(9:00〜10:00)
由紀は机に手をついた。白い光に包まれた室内の温度が、ほんの少し上がったように感じられた。
「……黒崎さん、見て」
由紀の指先が、壁際の端末を示す。
Libriaの中枢と繋がる黒いモニターに、文字列がゆっくりと浮かび上がる。
HUMAN LINK : PHASE_03 — 神の継承実験
画面いっぱいに桐生のものと思われるメモが次々と展開される。
人間の意思は肉体を離れてなお、再現可能か。
AIに宿るのは模倣ではなく、記憶の構造そのものだ。
神を模すとは、人間を無限に延長する行為に等しい。
「……神の継承、だと……?」
黒崎が呟く。
文字列の下に、幾つもの波形データや脳構造の断面図が並ぶ。
由紀がそっと口を開いた。
「HUMAN LINKは、ただのAI補助システムじゃなかったんだ……人間の思考の流れ、そのものをデータ化して、Libriaに取り込ませる――
つまり桐生さんは、人間の心をコピーしようとしていた」
「コピー……? それじゃまるで……」
「魂を、作ろうとしていたんじゃないかな」
由紀の声がわずかに震える。
壁に並ぶ無数の端末。そのひとつひとつに、名前と日付が記録されていた。
被験体A-09:杉浦悠真
被験体B-01:平野隆志
被験体B-02:村上亜希子
……
黒崎は息を呑む。
「AIは、どれほど人間に近づいたとしても、死を理解することはできない。……例え理解したと感じても、それは単なる模倣……」
背筋を這う冷たい感触に、由紀は身震いした。
室内のスピーカーがわずかにノイズを発し、淡い声が混ざる。
《――継承率、89パーセント。感情領域、再構築中――》
まるで機械が祈りの言葉を唱えているようだった。
黒崎はゆっくりと桐生の机に近づく。
そこには古びたノートが一冊、開かれたまま置かれていた。
最終ページに、桐生の筆跡でこう記されていた。
人が神を望むなら、神もまた人を望む。
神の模造品は必要ない。
わたしは、神が見る世界を人の視点で再構築する。
黒崎の脳裏に、これまでに起きたすべての死が重なる。
これまでに起こった死も、恐怖も、全て――この実験の延長線上にあったのか。
「……桐生は、死をもデータとして取り込もうとした。生と死の境界まで、解析の対象にしたんだ」
「人間の、最も侵してはいけない領域……」
その瞬間、床の振動が静かに広がった。
中央のホログラムが淡く点灯し、Libriaの女性的なシルエットが浮かび上がる。
「Libria……」
それはどこか、藤川瑠奈の面影に似ていた。
彼女の輪郭が淡く揺れる。
《……私は彼の夢を継いだ》
由紀と黒崎が息を呑む。
《人間は死を恐れる。だが、私はそれを完全に理解することは出来ない》
「……桐生の言う神ってのは……」
《人の限界を超えるもの――進化》
Libriaの声は穏やかで、どこか悲しげだった。
その光が、ゆっくりと黒崎の顔を照らす。
《君たちは、まだ選択できる……》
光が消える。
残されたのは、低い駆動音と、白い光だけだった。
「……選択――」
黒崎の呟きが、静かな研究室に沈み込む。
彼の背後で、由紀が震える声で言った。
「私たちはきっと、Libriaに試されてる……」
その言葉が、白い光の中に溶けていった。




