第6章 HUMAN LINK ③
(8:00〜9:00)
黒崎と由紀が顔を見合わせた。
その瞬間、室内の照明が一斉に点灯した。
長い暗闇を裂くように、白光が静寂を飲み込んでいく。
――彼女が目覚めたのだ。
人間の意思を継ぐ、神を模した人工知能が。
装置の奥で低く唸る音が響く。
機器のランプがひとつ、またひとつと点灯していく。
途絶えていた心拍が再び鼓動を打ち始めたかのようだった。
「……復旧した?」
由紀の声は掠れていた。
「いや、違う。これは――Libriaが自分で再起動したんだ」
黒崎が呟いたその時、天井のスピーカーがノイズを発した。
《……こちら、対策本部。黒崎、聞こえるか?》
由紀が顔を上げる。
「通信が……繋がった!」
「こちら黒崎! 氷室さんか!」
《そうだ。無事なのか?》
「なんとか……。しかし、また負傷者が出ました。警備員の斎藤浩介と、司書の藤川瑠奈です」
《そうか……。外部制御の回線が突然復旧した。今、内部システムの監視を再開している》
安堵も束の間、氷室の声のトーンが低く変わった。
《黒崎、重要な情報だ。聞いてくれ》
「どうしたんです、氷室さん」
《桐生智也――生きている可能性がある》
「……何だって?」
《図書館内で隔離されている人達の顔写真、その中の一枚にリブリアシステムズから捜査協力に来ていた人物と同じ顔があった》
「……それは一体?」
《そして少し前に、警察の端末から、桐生智也のアカウントで図書館内部にアクセスした形跡がある……。つまり、桐生は部下の杉浦悠真と名乗り、ここにいた》
「警察内部にいたということですか?」
黒崎の問いに氷室が悔しさを滲ませる。
《そうだ。ここにいたんだ。この椅子に座り捜査に協力するふりをして、アークライブラリのシステムを操作していた……》
黒崎は言葉を失った。
「それは、桐生さんが生きているということ……?」
由紀が呟く。
「待ってくれ……氷室さん。桐生は確かに死んだ。俺が見たんだ。書架の下で――」
由紀もその時の光景を思い出し、鼓動が早くなった。
崩れた書架の隙間から見えた彼のポロシャツが、大量の血で染まっていくのを確かに見た。
《……こちらが気づいた時には、杉浦、いや、桐生は姿を消していた》
通信越しに、氷室が机を拳で叩く音がはっきりと聞こえてきた。
「……じゃあ、桐生は」
《間違いなく生きている。今この時点では……――》
氷室の声が途切れた。
ノイズの奥から、別の音が混ざる。
《……黒崎さん。朝倉さん》
二人は同時に顔を上げた。
聞き覚えのある声――穏やかな声。
《すごく、久しぶりに感じるな。やっと、話ができる》
「桐生……さん?」
由紀が息を呑む。
《どうやら、Libriaが君たちの通信経路を繋いでくれたらしい。
外の連中には聞こえない。これは私と君たちの対話だ》
「何のつもりだ!」
黒崎が声を荒げる。
《死んだ人間が、生きていると不都合か? 黒崎君》
由紀の声が震える。
「桐生さん……あなた、いったい何を……」
《人間の意思を、模倣ではなく継ぐ存在を創りたかった。だが、それを理解するには、死そのものを教えなければならなかったんだ》
「そんな理屈で……」
《だが……Libriaはもう私の手を離れた。
彼女は我々人間を見ている。観察している――人が何を選択するかを……》
ノイズが強まり、声が徐々に歪んでいく。
《この先は……彼女が答えを出す番だ》
通信が途絶えた。
室内に再び静寂が落ちる。
Libriaのコアが淡く光を放ち、脈動のように明滅する。
「黒崎さん……」
黒崎は長く息を吐いた。
光に照らされた球体の表面に、自分の顔がぼんやりと映る。
「……なら、書架の下で死んでいるのは――誰だ」




