第6章 HUMAN LINK ②
(7:00〜8:00)
階段は、思った以上に長かった。
一段上るたび、足元の金属板がカン、カンと乾いた音を立てる。
窓も蛍光灯もない闇の中、黒崎の懐中電灯だけが進む道を照らしていた。
「……空気が違う」
由紀が囁く。
上へ進むほど、熱気を帯びた乾いた空気が肌にまとわりつき、微かな樹脂の匂いが鼻を刺した。
まるで、別の建物へと迷い込んだかのようだった。
やがて階段は途切れ、鋼鉄の扉が現れた。
セキュリティロックがあるが、電源は落ちており、カードリーダーも沈黙している。
黒崎は慎重に取っ手を掴み、ゆっくりと押し開けた。
――そこは、時間が止まったような無機質の空間だった。
広い室内には、床から天井まで無数のモニターが並び、暗闇の中で幽かに待機光を放っている。
中央には一枚の強化ガラスの台。その上には、球体を模した透明な装置が鎮座していた。
それは、まるで心臓のように静かに脈動していた。
「ここは……」
由紀が呟いた。
周囲の壁には、古い紙の書籍とデータディスクが混在して並んでいる。
だが、どの棚も厚い埃に覆われていた。
由紀が机の上に散らばる書類に目を留める。
紙には複雑な回路図と、見慣れぬ数式、そして細かな走り書きが並んでいた。
そこにはこう書かれていた。
『HUMAN LINK——意思の継承』
「意思の……継承?」
由紀の声が震えた。
黒崎は図面を覗き込み、眉をひそめる。それは人間の脳波データのように見えた。
「つまり、桐生は――AIに『魂』を移そうとしていたってことか……」
黒崎の呟きに、由紀は息を呑む。
天井を見上げると、丸いドーム型の構造が広がり、その中心には黒いカメラアイのような球体が静かにこちらを見下ろしていた。
まるで、神殿の天井に描かれた、全知の目のようだった。
「黒崎さん……これ、動いてます」
由紀がモニターを指差す。
画面の片隅に、淡い文字が浮かび上がっていた。
【Libria Core System 起動中】
その瞬間、室内に低い振動が走った。
モニターの一枚がふっと光を放ち、暗闇の中に人の影が浮かび上がる。
――桐生だ。
『……ようこそ。よくぞここまで辿り着いたな』
「き、桐生さん?!」
「落ち着け。これは、録画だ」
黒崎と由紀が画面に映る桐生の姿に息をのむ。
モニター越しの彼の視線の奥には、確信と静けさがあった。
『Libriaは、私の命を超えて続く。
人の心を、選択を、そして恐れを――すべて継ぐ。
そして……この世界に、迷いのない意思をもたらす』
「迷いのない……意思?」
映像の桐生が微かに笑った。
『人間は選択を誤る。だが、AIは過去の全てを分析し、最善を選び続ける。
それこそが神の御技だ。――私は、それをLibriaに託した』
静寂が落ちた。
映像はノイズとともに途切れ、再びモニターの光だけが残った。
由紀が震える声で言った。
「……じゃあ、Libriaは桐生さんの意思を継いで、神になろうとしてると言うの?」
黒崎はゆっくりと球体の前に歩み寄り、手を伸ばした。
透明な表面に指が触れると、内部で何かがわずかに反応し、淡い光が波紋のように広がる。
「……桐生。お前はここで、神を創ろうとしたのか? それとも、神になろうとしたのか?」
その言葉と同時に、どこかで電子音が鳴った。
モニターが一斉に切り替わり、警告表示が走る。
System Access Detected
外部侵入を検知——管理者承認を要請
「誰か、アクセスしてる……?」
黒崎と由紀が顔を見合わせる。
その瞬間、室内の照明が一斉に点灯した。
眩い白光が、長い沈黙の部屋を切り裂いた。
――彼女が目覚めた。
人間の意思を継ぐ、神を模した人工知能が。




