第6章 HUMAN LINK ①
(6:00〜7:00)
黒崎は、通信が途絶えたトランシーバーを無言で見つめた。
かすかに残っていたノイズも、やがて消えた。
「……黒崎さん、警察の方とお知り合いなんですか?」
由紀の問いに、黒崎は短く息を吐いた。
「三年前、俺はネット犯罪を扱う捜査に関わっていた」
「捜査……じゃあ、警察官だったんですか? 潜入捜査とか……?」
「いや、あの事件を最後に警察を辞めた」
黒崎の表情に、かすかな影が落ちた。
「あの頃、俺たちは捜査支援AIに依存していた」
初めて聞く言葉に、由紀は瞬きした。
「捜査支援AI?」
「そうだ。Hermes――そう呼ばれていた」
「ヘルメス……」
「あの時Hermesは、ある青年を容疑者として特定した。俺は逮捕を強行し……青年は、取り調べの途中で自殺した」
言葉は淡々としているが、声だけがわずかに震えていた。
「……誤認逮捕だった」
その瞬間、由紀の脳裏にひとつの線が繋がった。
「まさか、Libria……」
「ああ。HermesとLibria……似ている。思想が、どこか同じだ」
「もしかするとHermesの開発に桐生さんが関わっていた――?」
「ああ、その可能性はある。だが、青年を追い詰めたのは俺の判断だ。責任をAIに押し付けるつもりはない」
黒崎はあの時の青年の顔を再び思い出し、拳を握りしめた。罪の感触だけが、今も確かにそこに残っているかのように。
そして――、
その扉は、書架の後ろに隠れるようにして口を開けていた。
その先には、まるで二人を導くかのように、階段が上へと続いている。
「……行くしかない」
由紀が息をのむ。
冷たい金属の階段が、黒崎の持つ懐中電灯の光に照らされ、淡く白光を放つ。
黒崎は階段を一段、ゆっくりと上った。
上層から吹き下ろしてくる空気はひんやりとしており、電子機器の焼けるような匂いと、微かに薬品の匂いが混じっていた。
――カチリ。
背後で扉が施錠された。黒崎が反射的に振り返る。
「――辿り着いたのね……」
そこには藤川瑠奈が立っていた。
髪は乱れているが、その目は異様なほど静かだった。
「……瑠奈さん?」
「それ以上、行ってはダメ。この先は、人が踏み入ってはいけない場所です」
彼女が手にした何かが、鈍く光る。
――拳銃だ。
「もし、計画が邪魔されるようなことがあれば……桐生さんに託されたの」
「落ち着け。俺たちは――」
「黒崎さん、由紀ちゃん、あなたたちは、わたしたちの未来を壊そうとしている」
その声は震えていない。
まるで祈りを告げる巫女のように、静かだった。
「桐生さんは、完成させようとしていたの。LibriaはただのAIじゃない。人の意思を継ぎ、未来を選ぶ神になる存在」
「瑠奈さん! どうして……?」
「あなたたちには理解できないでしょう?」
僅かに首を傾げた瑠奈が、ゆっくりと銃口を二人に向けた。
黒崎が由紀を庇うように立ちはだかる。
「やめろ!」
その瞬間――
「藤川さん! やめるんだ!」
斎藤だった。
彼は息を荒げ、黒崎と瑠奈の間に割って入った。
「これ以上、罪を重ねては駄目だ!」
斎藤の声が反響した。
だが、耳をつんざく銃声ととともに、彼の体がのけぞった。
「……っ!」
胸元を押さえ、膝をつく。
血が指の隙間から滲み、床に赤い滴を落とした。
「斎藤さん!」
黒崎がすかさず、瑠奈の手にある拳銃を蹴り上げた。由紀が斎藤に駆け寄る。
斎藤は苦痛に顔を歪めながら、静かに首を振った。
「……大丈夫だ。藤川さん、もう、やめるんだ……」
「桐生さんは……完成させたのよ。あなたたちは、理解できない……」
瑠奈は震える手でポケットから何かの包みを取り出した。
中にあるラムネ菓子のような粒を取り出す。
「やめろ……!」
黒崎が叫んだが、遅かった。
瑠奈は迷いなくそれを口に含み、噛み砕いた。
数秒後、彼女の身体がふらりと傾き、階段の手すりにもたれかかる。
瞳の焦点が、ゆっくりと失われ、体に赤い斑点が現れた。
彼女の手から、AKINAI FOODSと印字された包み紙がひらりと落ちた。
「瑠奈っ!」
由紀が駆け寄るが、すでに彼女の呼吸は浅く、喘ぐように胸が上下していた。
「……桐生さんは、神になるのよ……」
そう言った唇には、かすかな笑みさえ浮かんでいる。
しかしその言葉を最後に、瑠奈の身体は静かに崩れ落ちた。
「うそ……そんな……どうして!」
由紀が瑠奈の体に縋って泣き崩れた。
黒崎は拳を握り締め呟く。
「……人が、神の領域に触れようとした代償がこれか」
斎藤は壁にもたれ、かすれた声で言った。
「……村上さんを殺したのは、多分……藤川さんだ。……、あの子はもともと優しい子だったんだ。桐生が変えてしまった……黒崎、確かめてくれ。そして残ってる皆んなを助け……」
斎藤の口から血が溢れた。
「斎藤さん、必ず戻ってきます。それまで待っていてください」
黒崎は由紀と共に階段を見上げた。
その先に続く闇は、天へと伸びる奈落のように静まり返っていた。
 




