第5章 侵入不可領域 ⑤
午前四時。
アークライブラリ対策本部は、夜明け前の静寂に包まれていた。
壁面を覆うモニターには、雨粒が流れる外部映像が映し出されている。
「……断続的な通信波を検知。周期は不規則、平均で二分間隔です」
長谷川が眉間にしわを寄せ、端末を操作した。
「ただのノイズじゃありません。パターンが繰り返されてます。何かの暗号信号かも」
彼女の声に、氷室がモニターへと視線を向ける。
波形は確かに人為的だった。人工的なリズム――まるで呼吸のように、規則的に脈打っている。
「送信元は?」
「Libria本体の中枢。内部で生成されているようです」
「内部からの発信、だと?」
氷室が小さく呟いた。
長谷川は端末を叩きながら、波形を変換していく。
「暗号化レベルが高いです。通常のAESとは違う。量子乱数を用いた独自形式……」
背後から、杉浦が静かに歩み寄った。
「そのチャンネル、共有は控えた方がいい。Libriaのコア領域は危険です。システムが自己防衛を始めるかもしれませんから」
長谷川は一瞬ためらったが、氷室が目だけで合図を送ると、解析を続けた。
――杉浦の指先が、机の下で何かを打ち込む。
通信ログに一瞬だけ、見慣れぬ識別コードが走った。
ID: TK-001Y
長谷川が気づくより早く、コードは自動的に消去された。
「……警部、これを見てください」
長谷川の指先が、波形の一部を拡大する。
断続する信号が、まるで文字列のように並んでいた。
「HUMAN……LINK ……?」
氷室が読み上げる。
「それは何だ」
「不明です。でも、人間……繋げる、って意味ですよね」
「人間、繋げる……?」
氷室は椅子から立ち上がった。
「人か、あるいは……意識か――」
「意識をリンクさせる……?」
その時、杉浦が言った。
「以前、桐生さんは言っていました。『Libriaは人類の記録を保存するためだけの箱舟ではない』と」
その声は妙に高く、上擦っていた。
その瞬間、解析用モニターが一斉にフリーズした。
「システムがロックされました!」
長谷川が叫ぶ。
赤い警告ウィンドウが次々と現れる。
ACCESS OVERRIDE――外部操作による権限奪取。
「誰だ……?」
氷室が鋭く振り返る。
杉浦の端末に、ひとつだけウィンドウが開いた。
そこにはLibriaのロゴと共に、淡い光の文字が浮かび上がっていた。
Observation: Phase Completed
そして、すべてのモニターが同時に暗転した。
静寂の中、長谷川が小さく息を呑む。
「警部……いま、微弱な信号が返ってきました。音声化します」
ヘッドセットから、かすかな電子音が流れた。
ノイズの奥に、人の声が混じっている。
《……こちら警察です。応答できる方はいますか。繰り返します――》
長谷川が眉をひそめた。
「これは……私たちが送信した音声です……」
氷室は低く唸る。
「内部からじゃない――Libriaが、こちらの通信をコピーして」
その瞬間、通信は唐突に途切れ、再びLibriaのロゴが画面に浮かんだ。
――そして、白い文字が一行だけ表示される。
NEXT PHASE: HUMAN LINK
氷室はゆっくりと顔を上げた。
モニター越し――じっとこちらを見つめる気配に、彼は思わず身震いした。




