第5章 侵入不可領域 ③
午前二時。
サイバー対策課の臨時本部は、ほとんど眠りのない戦場だった。
無数のモニターが壁一面に並び、データの奔流が青白い光となって人々の顔を照らしている。
「封鎖解除のアルゴリズムはまだ特定できていません」
長谷川が低い声で報告する。
「外部からの侵入試行は、すべて防御コードにリダイレクトされています。しかも、そのコード……生成されたあと、誰かの手で上書きされているようです」
「上書き?」
氷室が眉を寄せる。
「はい。自動生成ではなく、手動挿入。外部アクセス拒否コードを誰かが意図的に走らせています」
室内の空気が重くなる。
誰かがこの封鎖を仕組んだ――それはつまり、事故ではないということだ。
「中にいるスタッフと来館者のリスト、照合できました。合計四十五名」
スクリーンに映し出したリストの中に、氷室は一つの名前を見つけた。
黒崎 陽(35) 警備員
目を細め、画面を見つめる。
「……黒崎が、そこにいるのか」
低く呟く声に、長谷川が顔を上げた。
「ご存じなんですか?」
氷室はしばらく無言だったが、やがて静かに語り始めた。
「三年前、あるオンライン銀行で不正アクセス事件があった。犯人はAIを駆使し、セキュリティを突破した。黒崎は捜査班の中心だったが――事件の核心を突く前に、突然辞めた」
「なぜです?」
「AIが、命令を待たずに自己修正を始めたそうだ」
長谷川が小さく息を呑む。
「……Libriaと似ていますね」
「ああ、よく似ている……」
氷室の声に、杉浦が小さく身を揺らした。
モニターの冷たい光が、彼らの表情を照らす。
桐生智也(37)株式会社リブリアシステムズ 技術担当
氷室は来館者リストに記された、その名を凝視した。
そのときだった。
通信モニターが、一瞬だけちらついた。
「ノイズ……?」
長谷川がヘッドセットに手を当てる。
「今、一瞬だけ内部からの反応がありました」
「生存者か?」
「――無線通信です」
氷室が素早く指示を出す。
「全チャンネルをオープンにしろ」
ノイズ混じりの波形がスクリーンに走る。
すぐさま長谷川が呼び掛ける。
『こちら警察です。応答できる方はいますか。繰り返します――』
通信室に沈黙が落ちる。
しばしの静寂の後、スピーカーから声が返ってきた。
《こちら館内に避難中の者です! 聞こえますか、応答お願いします!》
長谷川が顔を上げる。
「今の……内部からの応答です!」
波形が乱れ、ノイズが重なり、やがて通信が途切れた。
電子音が残響のように室内を満たす。
だが次の瞬間、通信が途切れた。
電子音が高く鳴り、波形が一気に崩れた。
ACCESS TERMINATED
NETWORK BLOCKED
長谷川が操作パネルを叩く。
「通信が遮断されました! 内部AIが外部通信をブロックしています!」
氷室はモニターを見据えたまま、低く呟いた。
「……Libriaが妨害したということか」
静かな声が室内に重々しく響いた。




