第4章 沈黙の監視者 ⑥
(5:00〜6:00)
――午前五時。
冷えきった空気の中に、機械の唸りが低く残っていた。
時間そのものが凍りついたかのように、朝の気配はどこにもなかった。
「……行こう」
黒崎が懐中電灯を握り直した。
由紀は小さく頷き、背後の闇を振り返る。何も動かない。それでも、見えない視線がずっと追っているような錯覚があった。
二人は、資料閲覧エリアのさらに奥――普段はごく一部の関係者以外立ち入り禁止とされる区画へと足を踏み入れた。
壁際のプレートには《管理区域:LIBRIA CONTROL SYSTEM》の刻印。
そこから先は、空気の匂いが違った。鉄とオゾンのような、無機質で乾いた匂い。
「施錠が……解除されてる」
黒崎が扉に手をかけると、ロックランプがすでに消灯していた。
扉を押し開けた瞬間、空気がざらりと動いた。
薄暗い部屋の中央には、円形の端末群が並んでいた。モニターはすべて真っ黒だが、ひとつだけ――微かに明滅している。
点滅のリズムは、規則的で、どこか意志を感じるものだった。
由紀がそっと近づく。
「……何か、表示されてます」
光の中に浮かび上がったのは、意味をなさない文字列。
いや、そう見えただけだった。
A=1 / B=2 / C=3
27-9-11-9-14-1-9
由紀が息を呑む。
「アルファベット順……? これ、簡単な数列暗号です」
「読めるか?」
「……AKINAI。……商い?」
黒崎が眉をひそめた瞬間、別の文字列が浮かび上がった。
INDEX ROOM — BASEMENT 1
ACCESS: 05:45
二人をどこかで監視しているかのように、完璧なタイミングだった。
「……まるで誘導されてる」
「そうとしか思えない。だが、なぜ商いなんて単語を……」
由紀はふと、村上の亡骸を思い出した。彼女が最後に触れていたスナックの包み。
そこに印字されていたメーカー名
――AKINAI FOODS
「……もしかして、企業スポンサーとして関わってた会社?」
「Libria開発の協賛リストにあった。だが、今その名は消えてる」
黒崎の声には明らかな警戒が滲んでいた。
「でもそんなこと、誰が――」
この図書館の建設経緯、リブリアシステムへの異常なまでの資金投入、そして顔認証や利用履歴の完全トレースといった機能。
それらが今の惨状と、どこかで一本の線で結ばれる気がした。
二人の脳裏に、同時に一つの可能性がよぎる。
――この図書館は、単なる知の拠点ではなく、人と情報を制御するための実験場だったのではないか。
時計の針が、無情に5:45を指す。
その瞬間、部屋の奥の壁が、わずかに震えた。
「動いた……!」
黒崎が光を向けると、書架の裏側の壁が静かに左右に割れ、細い隙間が開いていく。
空気が吸い込まれるように流れ込み、冷たい金属の階段のその先は、闇に続いていた。
「上階へ続いてる……まだ上があるの?」
「INDEX ROOM――図書情報の索引室。つまり、Libriaの記憶中枢だ」
由紀の胸が高鳴った。
恐怖ではなく、知りたいという純粋な欲求。
けれど、その奥で何かが警鐘を鳴らしていた。
――これは、呼びかけだ。誰かが、こちらへ来いと誘っている。
「黒崎さん……行きますか」
由紀の声は震えていたが、迷いはなかった。
黒崎は懐中電灯を握り直した。
「行くしかない」
二人の足が、ゆっくりと階段を踏みしめた。
その背後で、開かれた扉が静かに閉まる。
――カチリ。
まるで意思を持つ生き物が、鍵をかけたような音。
闇の奥から、電子音がかすかに響いた。
《Welcome back, Dr.Kiryu.》
モニターに浮かんだその一行が、微かに明滅する。
Libriaは沈黙を破り、ついに動き出した。