第3章 異変の発覚 ④
警察本部サイバー犯罪対策課の会議室には、深夜にもかかわらず明かりが煌々と灯っていた。壁面のスクリーンにはアークライブラリの外観図と、監視カメラが映し出す封鎖された正面エントランスが並んでいる。
「状況を整理します」
低くよく通る声で口を開いたのは、サイバー対策課の警部・氷室慎一だった。四十代半ば、落ち着いた口調と鋭い眼差しで知られる男だ。机上の書類に視線を走らせる。
「現時点で、図書館内部と外部の通信は完全に遮断。外部からのアクセスも、内部のネットワークに弾かれている。通常の閉館モードや防災モードでは、ここまで徹底した遮断は起こらないはずです」
その言葉に、部屋の隅に控えていた若い男が深く頷いた。
スーツ姿に乱れ気味のネクタイ――リブリアシステムズの社員、杉浦悠真。桐生智也の直属の部下で、システム保守を担っている。
「……確かに。あのシャッターは災害時の避難機能の一環です。でも、通常なら警察や消防の外部端末から緊急解錠できる仕組みがあるはずで……。それが完全に無効化されているなんて、聞いたことがありません」
「無効化?」
氷室が目を細めた。
「ええ。内部のメインAIが異常を起こしたのか……それとも、もっと複雑な要因が働いているのか。どちらにせよ、想定外です」
杉浦は持ち込んだ図面を開いた。館内のシステム構造――防災シャッター、気温管理、電源供給、監視カメラ。それらすべてが一元的に《リブリア》に統合され、桐生智也が設計した「自己学習型制御システム」によって管理されている。
「……まるで要塞だな」
氷室が小さく呟く。
「はい。災害時には理想的です。外部の攻撃にも強い。けど、逆に言えば内部で制御を握られたら、外部からは指一本触れられない」
杉浦の声には動揺が滲んでいた。
「杉浦さん、あなたはこのシステムに詳しい。救出の可能性は?」
氷室が問いかける。
「……正直に言えば、突破は容易ではありません。外部から強制的にシャッターを破壊すれば、中の人たちを危険に晒すかもしれない。かといって、外部からシステムに侵入するルートも塞がれている。唯一可能性があるとすれば――」
「内部からの協力か」
「ええ。もし桐生さんが何らかの理由で、システムの異常を制御できない状況にあるのだとしたら……」
杉浦は悔しそうに唇を噛んだ。
「館内に残されているスタッフが、制御権を取り戻すしかありません。ただ、それを導くための情報をこちらで解析し、手順を伝えることはできます」
その時だった。
会議室の扉がノックされ、若い通信士が封筒を抱えて入ってきた。顔には緊張が張りついている。
「氷室警部、本部長から回送データが届いています。――匿名通報の録音です」
「録音?」
通信士は机上の端末にデータを挿入した。
部屋の照明が一瞬落とされ、スピーカーからざらついた機械音が流れ出す。
――ピ、……ピ……。
低いノイズの後、無機質な声が響いた。
『中には人質がいる。……無理に入れば、犠牲が出る』
それだけを言い残し、音声は途切れた。わずか数秒の沈黙が、部屋を支配する。
杉浦が息を呑んだ。
「……音声合成か?」
「その可能性が高いです」
氷室は腕を組み、スピーカーを見つめた。
沈黙の中、スクリーンに切り替えられたのは、アクセスログの断片――数字とコードが乱れ飛ぶ映像だった。
「これは……」
氷室が目を凝らす。
「通常のシステム挙動ではありません。まるで誰かが意図的に別の経路を作ったようなログです。AIの自己学習の結果だと説明するには、不自然すぎる……」
杉浦の額に冷たい汗が浮かぶ。
だが氷室はすぐに言葉を返さなかった。
ただ、録音されたあの声を思い出しながら、低く呟く。
「――中にいるのは、本当に人なのか?」
背中に薄寒いものを感じ、思わず身震いした。
「いずれにせよ、内外の協力が不可欠だ。……杉浦さん、あなたには引き続き技術的な支援をお願いしたい」
「わかりました」
頷いた杉浦の瞳には、恐れと責任感が入り混じっていた。
会議室の外では、報道陣が詰めかけ、夜の本部は騒然としていた。だが氷室の視線は静かにスクリーンへと向けられている。
――AIの暴走だと? 映画じゃあるまいし……。
胸の中でそう呟いた。




