表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Libriaの迷宮   作者: まき
13/41

第2章 閉ざされた迷宮 ⑦

(22:00〜24:00)


 エントランスから続く廊下の暗がりで、平野の亡骸は動かぬ影となって横たわっていた。

 黒崎がその体に掛けた毛布の膨らみが、この現実味のない出来事が紛れもない事実である事を、否応なく突きつけていた。

 誰も近寄ろうとせず、誰も声を発さなかった。ただ重苦しい沈黙だけが、人々を縛りつけていた。


「俺が探した時、あそこには何もなかった筈です」


 黒崎が仁科に詰め寄る。


「では、急にあの場所に死体が現れたと?」


「そうとしか思えません」


 そのやり取りを聞いて、斎藤が低く呟いた。


「あるいは、誰かが置いたのかもしれませんね」


 仁科、斎藤、黒崎の3人が小声で言葉を交わすのを、由紀は不安な気持ちで見つめていた。

 現実味のないことが、いま目の前で起きている。突然、ぶるりと体が震えた。

 それは冷気のせいではなかった。足元から這い上がってくる恐怖に、鳥肌が立つ。

 隣に立つ瑠奈の手も小さく震えているのを感じ、思わずその指を握った。

 瑠奈は振り返り、かすかに笑おうとしたが、頬が引きつっていた。

 

 張り詰めた空気を断ち切るように、仁科が前へ出た。

 

「……皆さん、落ち着いてください」

 

 抑揚の少ない、しかしよく通る声だった。

 

「まずは冷静になることが第一です。今は状況を整理しなければなりません」


 その口調はあまりに整然としていて、かえって人々の心にひやりとしたものを残した。


「冷静にって……こんな状況で……」

 

 小さく呟いたのは村上亜希子だ。彼女は顔を蒼白にし、視線を逸らしたまま唇を噛み締めている。

 やがて、川村達也がたまらず声を上げた。

 

「これ……ただの事故じゃないですよね?誰かが、意図的に仕組んでるとしか思えない」


 言葉が落ちるや否や、空気がざわりと波立った。

 互いの顔を見やり、疑念の影が一斉に走る。


「や、やめてください!」

 

 村上が悲鳴のように叫んだ。

 

「そんなこと言ったら……誰も信じられなくなるじゃないですか!」

 

 彼女の声は震え、涙が溢れ出した。

 その隣で、中年の男性が小さく呟く。

 

「だが……実際に人が死んでいるんだ……」


 誰も否定できなかった。

 瑠奈は由紀にしがみつくように寄り添い、必死に気丈に振る舞おうとしていた。

 

「……大丈夫? 顔、真っ青だよ」

「……うん、平気。でも……」

 

 瑠奈は亡骸から視線を逸らせずにいた。

 黒崎が静かに一歩前に出る。

 

「……偶然ではないでしょう。停電も、制御室のロックも、そしてこの死も」

 

 その声音は低いが、鋭く場を切り裂く。

 

「何者かが、この図書館を操っている。――俺たちは誰かに監視されている」


 人々の背筋に冷気が走った。


「監視……?」

「どういうことだ……?」


 誰かが呟き、誰かが首を振る。得体の知れない恐怖の影が背中を這い上がる。


 ふと、空気が震えた次の瞬間――これまで頼りにしていた赤い非常灯が、パッと消えた。

 

 一瞬の沈黙の後、館内は闇に覆われ、ざわめきが一気に広がる。

 人々は声も立てられず、手探りで互いの存在を確かめ合った。


「……非常灯が……消えた……」

 

 由紀の震える声に、周囲のざわめきが重なり、混乱の波が館内を駆け巡った。

 黒崎が素早く懐中電灯を取り出す。

 

「皆、落ち着いて下さい!」

 

 斎藤も手元のライトを点け、周囲を照らした。かすかな光が、凍りついたような空気の中で道を描く。


「懐中電灯だけじゃ不十分ね……」

 

 由紀が呟くと、瑠奈がすぐさま応じた。

 

「何かで見たんだけど、水の入ったペットボトルを使って、光を拡散させられないかな?」


 瑠奈は小さなペットボトルにライトを押し当てる。透明な水が光を屈折させ、周囲をぼんやりと照らす即席のランプが生まれた。

 斎藤も真似し、複数のペットボトルを並べることで、館内にわずかな光の帯ができる。


「よし、これで最低限、足元は確認できる」

 

 黒崎が深く息を吐く。手探りで移動する人々の混乱が少しだけ和らいだ。


 由紀は懐中電灯の光に照らされた平野の亡骸を目にし、恐怖に震えながらも冷静に灯りの位置を指示する。

 

「皆さん、こっちを見て。ここに光を置いて、通路を確保しましょう」


 小さな工夫が、閉ざされた館内で唯一の拠り所となった。人々は互いに協力しながら、かすかな光を頼りに座る場所や通路を確保していく。


 赤い非常灯が再び戻ることはなかった。

 闇の中、黒崎と斎藤、そして由紀と瑠奈の懐中電灯の光だけが、夜を乗り越えるための唯一の拠り所だった。

 ほのかな光が、皆の張り詰めた心をわずかに緩めていく。

 状況は何一つ変わらないが、胸の奥にかすかな安堵が芽生え始めていた。


「みんなでこの夜を乗り越えましょう」


 由紀が自らを奮い立たせるかのように、明るい声で言った。

 その時――


「村上さんっ!」


 鋭い叫び声が、エントランスの空気を切り裂いた。

 



 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ