戻らぬもの
村を離れて間もなく、ライネルと葛葉は森の中へと足を踏み入れた。
だが、その森はどこか異様だった。
片方の木々は青々と葉を繁らせ、隣の木々は白く枯れ落ちている。
地面の草は粉を吹き、指先で触れるとざらりと崩れる。
鳥の声はなく、虫の羽音さえ途絶えていた。
ただ風が吹き抜け、白い粉を舞い上げるばかりだった。
「白塩化がここまで進んでる……」
ライネルが呟く。
葛葉は煙管をくわえ、森を見渡して鼻を鳴らした。
「いや、順序が違う。龍脈が歪んだせいで理がねじれたんだ。白塩化はその結果にすぎねえ」
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葛葉は懐から小さな徳利を取り出し、振って見せた。
液体はほとんど残っていないように見えるが、底でわずかに光が揺れていた。
「ここじゃ一滴も湧かねえ。けど龍脈が正しく流れてる土地なら、この徳利は勝手に満たされる。
そいつを口にすりゃ、白塩化に呑まれかけた森や畑くらいなら、たやすく元に戻せるのさ」
葛葉はにやりと口端を吊り上げる。
「もっとも、今残ってるのは最後の一口だけだがな。酒は大事にする主義でよ」
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葛葉は徳利を傾け、ごくりと飲み干した。
煙管に火を移すと、吐き出された煙は濃く渦巻き、森へと広がっていく。
次の瞬間、枯れかけた木々に若葉が芽吹き、粉を吹いた草が瑞々しさを取り戻した。
空気は変わり、湿った土の匂いが鼻を打つ。
森が、確かに息を吹き返した。
ライネルは思わず息を呑んだ。
「……こんな魔法、初めて見た……」
葛葉は紫煙を吐き、肩をすくめた。
「俺のはただの幻だよ」
しばし煙が流れ、森はようやく息を整えたかのように安らぎを取り戻した。
葛葉はにやりと口端を吊り上げ、徳利を軽く振った。
「……こいつを呑んだ後は、それが本物になるけどな」
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ライネルは森を見回し、胸の奥にかすかな光を感じた。
「……じゃあ、村も……みんなも、元に戻せるんですか、」
葛葉は紫煙を吐き、しばらく黙ってから口端を歪めた。
「悪いが、既に無くなったものは作れねぇよ。飲まれかけに姿を示せば戻るが、跡形もなく消えたもんはそれこそ幻だ」
ライネルの表情から、再び光が消える。
葛葉は肩をすくめ、煙管を鳴らした。
「歪ませてる元を断たなきゃ、また別の場所で同じことが起きる。……ま、関係ないか」
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二人は森を抜け、さらに広い世界へと歩みを進めた。
風は穏やかに木々を揺らしたが、その静けさには言い知れぬ不安が混じっていた。