白塩化の残滓
翌朝、ライネルと葛葉は森を抜け、かつての村へと戻ってきた。
昨夜より幾分か顔色の良くなった葛葉は、歩きながら煙管をくわえる。
「ふう……やっと人心地だ」
その先端に、何もしていないのに赤い火がぽっと燻り始めた。
ライネルはぎょっとして足を止める。
「……今の、どうやったんですか? あなたは魔法使いなんですか」
ライネルの胸には動揺が広がっていた。
魔法使い――それは世間において、ごく一部の才ある者だけがなれる特別な職種だ。
生まれながらの資質を持ち、長年の修練を積んで初めて、火や水といった術を操ることができる。
村人の彼からすれば、まるで遠い世界の存在。
その力を目の前の男が、何の気負いもなく示したのだ。
葛葉は薄く笑い、紫煙を吐く。
「魔法使い? そんな大層なもんじゃねえよ。火は狐の得意分野だ。……ま、俺にできるのはせいぜい火種を作るくらいのもんだけどな」
軽く肩をすくめて見せるその仕草に、ライネルは疑問と戸惑いをないまぜにしたまま、再び歩みを進めた。
やがて二人の目の前に、白塩化の残滓に覆われた村が姿を現す。
⸻
朝靄の残る中、集落は不気味な静けさに包まれていた。
人の声も、家畜の鳴き声もない。ただ乾いた風が吹き抜け、白い粉を巻き上げる。
家々の戸は半ば開きっぱなしになっていた。
覗き込めば、そこにあるのは「死」よりもむしろ「止まった生活」だった。
竈の上には黒く冷えきった鍋があり、汁は干上がり、鍋肌には白い粉がびっしりとこびりついている。
土間には脱ぎ捨てられた靴。床板には粉が降り積もり、足跡の形だけが薄く残っていた。
織機には布が半ば織りかけのまま残り、糸巻きが転がり落ちて白い粉にまみれている。
寝室には布団の上で硬化した夫婦が並び、白く乾いた手が互いを求めるように伸びていた。
奥の部屋では、木の玩具を抱いたまま動かなくなった子供の姿があった。
どの家も同じだった。
人々は少しずつ衰え、動けなくなり、最後には横たわりながら白く乾いていった。
風が吹けば表面から細かな粉が剝がれ、静かな雪のように床や土間に降り積もっていく。
⸻
ライネルは何も言えなかった。
村が滅んだ現実を前に、言葉を紡ぐことすらできない。
葛葉はしばらく無言で見回していたが、やがて煙管を指で弾き、深く煙を吐いた。
「……なるほどな」
その声は先程までのの軽さを欠き、妙に低かった。
「これは病なんかじゃねえ。理が歪んでやがる」
ライネルは顔を上げる。
「理……?」
「この世界を巡る流れだ。命を育て、死へと還す筋道。
本来なら土に還るはずの命が、途中で止められてやがる。
流れが詰まっちまったんだな、龍脈の」
ライネルは首を捻った。
聞き慣れぬ言葉、理解できぬ理屈。
ただ、この光景が異常であることだけは、痛いほど分かる。
「……よく分からない」
それだけを呟いた。
葛葉は肩をすくめ、紫煙を吐きながら言った。
「だろうな。俺だって迷い込んでなきゃ気づかなかった。……まあ、ぼちぼち教えてやるさ」
⸻
風が吹き抜け、粉がまた舞い上がった。
白く乾いた残骸ばかりの集落を背に、ライネルと葛葉は歩き出した。
その異様な光景は、静かに遠ざかりながらも、ライネルの胸に重く刻み込まれていた。