治療
重厚な扉が閉ざされ、部屋に沈黙が落ちた。
机の奥で腕を組む大男が、じろりと三人を射抜く。
「……俺はクラド・ハーケン。 ここ水上都市パルディアンのギルドを仕切ってる」
低く荒い声が空気を震わせる。 日に焼けた肌に刻まれた古傷、壁に掛かる巨大な銛。それすべてが、この男の苛烈なる来歴を、無言の碑銘のごとく雄弁に語っていた。
「ネリンからの報告は聞いた。 だが俺は、紙切れや伝言だけで信じるほど甘くねぇ。 だから呼んだ。――お前ら自身の口で話してもらう」
鋭い眼光が、三人を順に貫く。
「白塩の獣。 魔族。 そして――“それをどうにかできる外道の煙”だ」
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ネリンは杖を握り、まっすぐに言った。
「報告の通りです。 魔族が狼の前に立ち、力を奪っている光景を、この目で見ました」
ライネルも必死に声を張る。
「ぼ、僕も……! 狼が結晶に呑まれて、魔族の手に従っているのを……!」
ハーケンは顎に手をやり、短く唸った。
「……“そう見えた”って話だな。 だが、現場を見た人間が二人いる。軽くは扱えねぇ」
紫煙がふわりと漂う。 葛葉は煙管を外し、軽く笑った。
「ついでに言っとくとよ。 俺には“もっと見えた”。 狼から魔族へ、黒い糸みてぇなのが吸われていくのがな」
ネリンが目を細める。
「……根の流れ……」
葛葉は肩を竦める。
「ま、そういうやつだ。 で――俺の力なら白塩化は治る」
空気が、目に見えて張り詰めた。
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ネリンは一瞬だけ葛葉を見てから、静かに言った。
「……治療が可能なこと自体は、すでに本部にも報告しています。 ただし、再現性と限界は未確認です」
ハーケンが低く唸る。
「“できるらしい”って段階、か」
葛葉は紫煙を吐き、淡々と続けた。
「万能じゃねぇがな。 だが――“戻せる”」
ハーケンの目が、わずかに鋭さを増す。
「話は早く行こう。結果で示せ」
そして、呼び鈴を一度だけ鳴らした。
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ほどなくして扉が開き、一人の女が入ってくる。 灰色に濁った皮膚。指先には、まだらに白い結晶。 それでも――完全には固まりきっていない。
「元・調査班員、ルチナハだ」
ハーケンの低い声が落ちる。
「白塩に食われかけたが、完全に飲まれる前に引き上げた。 進行は止めてある。……治ってはいねぇ」
ネリンが息を呑む。
「……生きた症例……」
ルチナハはかすかに笑った。
「対処は早かったが、このザマだ。肘から先の感覚は何も無い」
ハーケンの視線が葛葉に戻る。
「さあ。 やれ」
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葛葉は短く息を吐き、懐から徳利を取り出した。 中身を確かめることもなく、躊躇なく口をつける。
ごく、と喉が鳴る。
煙管から紫煙が、ゆるやかに零れ出た。 いつもより、わずかに重く、温度を宿した色で。
「……見てろ」
葛葉は静かに言い、ルチナハへ向けて煙を吐く。
煙は拡散せず、 白く濁った指先へと――引き寄せられるように絡みついた。
「……あ……」
それは悲鳴ではなかった。 寒い日に、湯船へ浸かった瞬間の、あのじわりとした温もり。
凍えついていた感覚が、 内側から、ゆっくりとほどけていく。
白い結晶に、細かな亀裂が走る。 音もなく、塩は砂のように崩れ落ちて消えた。
濁っていた皮膚に、確かな血の色が戻る。
ルチナハは、呆然と指を見つめ、そっと動かした。
「……冷たく……ない…… ……動く……」
ネリンは、言葉を失って立ち尽くす。
葛葉は最後に、細く煙を吐いた。
「……ああ。 根っこから戻した。もう再発はしねぇ」
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沈黙。
やがてハーケンは、低く一つ息を吐いた。
「……十分だ」
その口元が、獣のように歪む。
「ネリン。お前は今、単独だな。 調査にゃ戦力が足りねぇ」
視線が、葛葉とライネルへ向く。
「妙な煙を吐く外様と、白塩の生き残り。 ――“穴”を埋める駒としては、悪くねぇ」
そして、声を落とす。
「ただし条件がある。 まずはCランクまで上がれ。 実績もねぇまま、機密調査には混ぜられねぇ」
ハーケンは立ち上がり、扉へ向かった。
「今回の件は軽く扱えねぇ。 俺も上と話を通す。 ――それまでに実力をつけろ」
重い扉が閉じる。
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残された部屋に、重苦しい沈黙。
葛葉は煙管を鳴らし、ライネルを見る。
「……で、ランクってなんだ?」
ライネルは目を丸くした。
「え、知らないんですか。Dから始まって、実績を積めばC。 Cからが、ギルド公認の一人前です!」
葛葉は鼻で笑った。
「つまり俺らは、まだ駒ですらねぇってか」
視線がネリンに向けられる。
「私はBランクです。 ……だから、この任務を任されました」
ライネルは驚き、葛葉は肩を揺らした。
「へぇ…… じゃあ俺と坊主は、あんたに抱えられて歩くガキ同然だな」
「そ、そんな言い方……!」
紫煙は、静かに天井へと溶けていった。
三人はそれぞれ、 **ギルド、白塩、魔族、そして“治したという事実”**の重さを胸に抱えたまま―― 次の一歩へ進む準備を始めていた。




