白煙を巡る報告
第二十五話
白煙を巡る報告
大河沿いの街道を走る馬車が最後の丘を越えた瞬間――
三人とハリス一行の視界に、水上都市パルディアンの城壁がどっしりと姿を現した。
白い石の外壁は陽光を鋭く反射し、東方の果てとは思えぬほど壮麗で、
その奥には縦横に走る水路と、空に届かんばかりの建物が層のように重なっている。
舟の往来、橋を渡る群衆、市場の喧噪が風に乗り、この都市の熱量を遠くからでも感じさせた。
「……ついに来たんだな……」
ライネルは胸に溜まっていたものが揺れるのを感じ、しばし見入った。
喪失と恐怖の旅路の果てにある“生の気配”が、少しだけ胸を温かくする。
ハリスは腰に手を当て伸びをし、豪快に笑った。
「いやぁ長ぇ道のりだった! ここからが本番だな」
ジャンは無言で頷き、フランは旅塵を払うように軽くスカートを揺らした。
「私たちは本部の呼び出しがありますので、先に向かいますね」
フランの声に、ネリンも歩みを合わせる。
「私は白塩化の報告を急ぎます。
ライネル、葛葉――先に城門を通って街へ入っていてください。後ほど合流します」
ギルド所属者は専用通路からすぐに街へ入れるため、ネリンが先行するのは自然だった。
「行っちまったな」
「仕事熱心な奴はああなるんだよ」
葛葉は紫煙を吐き、ライネルと共に一般の入場列へ向かった。
――この“二人だけ”という状況が、後の騒動の火種となる。
⸻
■ 門前の列と、怪しまれる葛葉
城門前は人と馬車で溢れ、外壁の影に入ると空気がひんやりと変わった。
列はゆっくり進むが、門番は忙しく人々の顔を見比べ、怪しい者がいないか目を光らせている。
そして、ある瞬間――
門番の視線がぴたりと葛葉に止まった。
「……そこで止まれ。お前だ」
葛葉の前に回り込み、門番は不審げに眉を寄せた。
「その服……どこの地方のだ? ここじゃ見ねぇ縫い方だな。荷も少なすぎる。何者だ、お前」
ライネルが緊張に肩を跳ねさせる。
葛葉は煙管をくわえたまま、いつものように気怠げに肩をすくめた。
「服の趣味まで詮索される筋合いはねぇよ。盗賊の恰好にも見えねぇだろ?」
門番はさらに葛葉の顔を覗き込み――ふと、動きを止めた。
「……耳が……尖ってるな。だが、エルフとも違う形だ。どういうことだ?」
葛葉の胸の奥で、ひやりとしたものが落ちた。
服装で怪しまれるだけなら軽く流せたが、耳を見られたのは誤算だった。
――しまったな。よりによってそこを見られるかよ……。
内心で舌打ちしつつも、表情は崩さない。
煙管を外し、曖昧に笑ってみせた。
「んー……あー……まあ、エルフの……親戚? みたいなもんでさ」
「深ぇ意味はねぇよ。ただの田舎もんだ。気にすんな」
雑すぎる説明。
だが逆に、妙な真実味と適当さが混じり、余計に掴みどころがない。
門番はますます疑いの目を細める。
「誤魔化すな。身元を証明できるものを見せろ」
葛葉は紫煙をふっと吐き、心底面倒そうに呟いた。
「証拠なんざ持ち歩いてねぇんだよ。旅の途中で、そんなもん気にしてられるかっての」
空気が張り詰め、槍先がわずかに上がった――
まさにその時。
「そのくらいになさってください」
ネリンの声が鋭く割り込むように響いた。
ギルド専用通路から戻ってきたらしく、杖を手に門番を睨みつけている。
「私は本部所属の精霊使いネリン。
緊急調査で二名を同行させています。不当な詮索はお控えください」
「し、失礼しました……!」
門番が慌てて槍を下ろしたそのタイミングで、
ネリンは小さく息を吐き、葛葉とライネルへ向き直る。
「……やはり、あなた達二人だけだと門番に疑われると思いました。
戻ってきて正解でしたね。これ以上、面倒を増やさないでください」
その声音は叱責というより“冷静な判断の結果”を告げるものだった。
葛葉は肩を竦め、気まずそうに煙を吐いた。
「へいへい。助かったよ、お役人様」
ライネルは胸を撫で下ろし、ようやく門を通れた現実に安堵した。
ライネルは安堵の息を吐き、三人はついにパルディアンへ入った。
城門を抜けた瞬間、視界いっぱいに水と光の眩い景色が広がった。
街全体に大小無数の水路が巡り、そこを舟が絶えず行き交う。
石造りの橋は幾層にも組み合わされ、その下を青い水がゆっくりと流れていく。
陽光は水面で反射し、建物の壁をきらきらと照らし、まるで街全体が煌めいているようだった。
「……こんな所があったなんて……」
ライネルは自然と息を呑む。
宿場町や村とは比べものにならぬ規模。
人々が生き、働き、笑っている。その圧倒的な“生活の熱”が真っすぐ胸に刺さる。
故郷の喪失が心の片隅で疼き、ふと痛む。
しかし同時に――この都を見渡す自分の目の奥に、かすかな光が宿る。
まだ前へ進める。
自分は、まだ旅路の途中にいるのだと。
葛葉は樽を積んだ舟を眺め、にやにやと笑みを深くした。
「へぇ……こりゃ退屈しねぇなぁ。良い匂いのする酒も多そうだ」
紫煙を吐きながら、既にどの酒場から手を付けるか思案しているらしい。
三人は石畳の坂を登り、街の中央部――冒険者ギルド本部へ到着する。
地方支部とは比べ物にならない威圧感。
重厚な扉は大人三人並んでやっと抱えられるほどの大きさで、内側からは冒険者たちのどよめきが絶えず響いている。
大広間へ入ると、壁一面には依頼票がぎっしりと貼られ、受付は行列を成していた。
長旅の埃をまとった冒険者、魔獣の角を肩に担ぐ男、泥に塗れた鎧の女、金勘定に余念のない商人――
ありとあらゆる人間の熱気が混ざり合い、まるで巨大な炉のような空間だ。
ネリンは二人を見て、真剣な表情で告げる。
「私は白塩化についての報告があります。本部の上層部へ提出しますので……少し時間をください」
ライネルは黙って頷き、葛葉は手を振ってひらひらと答えた。
「んじゃ、報告とやらを片付けてこいよ。
……こっちは大人しく座って待っててやるからさ」
ネリンは微妙に眉をひそめたが、すぐに踵を返して奥へと消えた。
広間の片隅に腰を下ろすと、周囲の視線が次第に刺さり始めた。
特に葛葉――尖った耳と異国めいた装い、そして煙管。そのどれもが目立ちすぎる。
「おい、見ろよあれ。耳は尖ってるがエルフには見えねぇな」
「煙草なんざ吹かして……曲芸師の成りそこないかよ」
「あのガキのほうもひょろいな。荷物持ちってとこだろ」
数人がにやつきながら近づき、ライネルの肩を乱暴に叩く。
「なぁ、坊主。お前、あの耳の変なのの手伝いか?
荷物だけは落とすんじゃねぇぞ」
ライネルは震える唇を噛みしめた。
葛葉は深く椅子にもたれ、煙を吸い込む。
「……あぁ、退屈しのぎにはちょうど良いかもな」
声は柔らかいが、底には微かな毒が混じる。
さらに別の数人が近寄り、嘲るように囲んだ。
「その耳、中途半端すぎるだろ。どこの森で拾われた?」
「煙管なんざくわえてイキってんじゃねぇよ、流れ者がよ」
葛葉は煙管を外し、ゆっくりと顔を上げた。
「……あぁ?」
睨みつけたその一瞬、空気がひやりと凍った。
男たちは思わず肩を跳ねさせたほどだ。
だがすぐに虚勢が戻り、怒鳴り返してくる。
「なんだその目は! 喧嘩売ってんのか!」
「上等だ、やってやるよ!」
ライネルは慌てて割って入る。
「ま、待ってください! 僕たちは別に……!」
しかし葛葉は静かに紫煙を吸い、すう、と吐いた。
白煙が渦を巻き、足元から巨大な蛇の形を象り、
壁際からは毛むくじゃらの巨大な蜘蛛がぬらりと現れる。
「うわあっ……!」
蛇の巨体が床を這う音に、男たちは腰を抜かし尻もちをつく。
蜘蛛が壁を登れば、隣の者の顔が真っ青になる。
葛葉は笑いを堪えきれぬように肩を震わせた。
「へっ……この程度で腰砕けか。これで冒険者名乗ってんのか?」
指で煙管の縁を弾くと、幻の蛇と蜘蛛はふわりと霧散し、ただの白煙へと還った。
沈黙。
怒りと羞恥が入り混じり、男のひとりが血走った目で叫ぶ。
「……くそっ、幻かよ!」
「俺たちを笑いやがって……!」
短剣を抜き、葛葉へ突っ込もうとする――。
だが、その瞬間。
「――何をしているんです!」
鋭い声が場を裂き、全員が動きを止めた。
奥の扉から現れたネリンが、杖を握り締めて睨みつける。
「ギルドの中で争いを起こすなど、恥ずかしくないのですか。
冒険者ならば最低限の規律くらい守りなさい!」
挑発者たちはたじろぎ、舌打ちを残して散っていった。
葛葉は肩を竦め、にやりと笑う。
「へっ……もうちょい遊んでやるつもりだったんだがな」
ライネルは安堵と疲労を吐き出すように深く息をついた。
ネリンは二人を見据え、静かに告げる。
「報告は終わりました。……ギルドマスターがお呼びです。
私の報告内容を受け、あなたたちにも話を聞きたいと」
葛葉は片眉を上げた。
「偉いさん直々とは……こりゃ面倒くせぇな」
三人は並んで歩き、ギルド奥の重い扉へ。
中は静謐で、壁には地図や報告書が整然と並び、
奥の壁には不釣り合いなほど巨大な銛が掛かっている。
刃には傷が無数に刻まれ、戦いの歴史が刻み込まれていた。
机の向こうに座る男は、まるで荒波に鍛えられた漁師のような風貌だった。
日に焼けた肌、深い皺、無数の古傷。
短く刈り込まれた髪の下から光る目は、海獣さえ睨み殺す勢いがある。
男は片肘を机に乗せ、低く問う。
「……お前らが“白塩の狼”を追った連中か」
ライネルは緊張で喉を鳴らし、葛葉はいつになく僅かな汗をかいていた。
ネリンは杖を揃え、一歩進んで告げる。
「はい。白塩化は“自然現象ではありません”。
魔族による意図的な力の収奪――私はそう判断しています」
ギルドマスターの瞳の奥が、ぐっと湖底のように沈む。
「……白塩化が魔族による“意図的な収奪”だというのが事実なら――
これは、人類全体の存亡に関わる重大事だ」
ゆっくりと手を組み替え、三人を正面から見据える。
「だからこそ、聞かせてもらいたい。
お前たちが見たもの、感じた違和感、些細な変化でも構わん。
どんな情報でも、判断を誤れば多くの命が失われる」
言葉は低いが、威圧ではなく重責の響きだった。
「慎重に、正確に話してくれ。
――これは、そのくらいの重さを持つ報告だ」




