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精霊使いのエルフ

 森に満ちていた白い光が、ゆっくりと沈んでいった。

 鹿の結晶体は砕け、核は粉となって消える。

 脈動も止み、空気の重さが少しずつ薄れていく。


 それでも――森はまだ死んでいた。

 木々は白く乾き、草は粉を吹いたまま。

 土は冷たく、息をしていない。


 ライネルは膝をつき、右腕を押さえた。

 皮膚が淡く濁り、白い膜が浮かんでいる。

 指を動かしても感覚がなく、氷のように冷たい。


「……根は、もう絶たれています」

 エルフが杖を下ろし、静かに首を振った。

「広がりはしません。けれど、触れた場所は……戻らない。

 このまま少しずつ、身体が新しい皮を作るのを待つしかないでしょう」


 ライネルはその言葉に小さく息を漏らした。

「じゃあ……このまま、なんですか」


 エルフは視線を落としたまま答えられない。

 その代わり、隣で煙管を弾く音がした。


「“元”がねぇなら、戻せる」


 葛葉が口の端を吊り上げ、懐から徳利を取り出す。

 液体を一口飲み込み、紫煙を長く吐いた。

 煙は風とともに森の奥へ広がり、白い枝々に絡みつく。


 ――風が止む。

 粉を吹いていた草がゆっくりとしなり、木々の皮が色を取り戻していく。

 冷たかった土が湿り、どこからか小さな水音が響いた。

 白い粉が崩れ落ち、代わりに緑が顔を出す。


 ライネルの腕を包んでいた白も、すっと薄れていった。

 色が戻り、指がわずかに動く。


「……治ってる……」


 その声にエルフは息を呑み、思わず立ち尽くした。

「……こんなこと、見たことがありません。

 精霊を使ったわけでも、癒しの魔法でもない。

 まるで、森ごと時間を巻き戻したみたい……」


 葛葉は徳利を軽く振り、肩を竦めた。

「巻き戻しじゃねぇよ。元の形を“思い出させた”だけだ」


 エルフは言葉を失い、数歩、彼に近づいた。

「思い出させた……? そんなの、どうやって……?

 外から治すなんて、出来るはずがない。

 あれほど壊れたものを……あなたはいったい何者なんですか」


 葛葉は煙管を弾き、紫煙を吐いた。

「さあな。話しても信じねぇだろ。

 ――まあ、仲良くなったらそのうち教えてやるよ」


 紫煙が風に流れ、森を包む。

 エルフは眉をひそめたまま、何も言わずに彼を見つめた。

 その背で、風が緑を揺らしている。


 森は息を吹き返し、空の色が少しだけ明るくなった。


 やがて、静けさが戻る。

 夜鳥が鳴き、遠くで小さな焚き火がはぜた。

 三人はしばらく黙って森の息遣いを聞いていた。


 葛葉が空になった徳利を見て、ぼそりと呟く。

「……寝酒分が消えた。つくづく割に合わねぇ仕事だな」


 ライネルが小さく笑った。

「でも、助かりました。本当に」


 葛葉は答えず、煙管を弾いて立ち上がる。

「行くぞ。ここに長居しても仕方ねぇ。……森が起きたなら、次は街だ」


 エルフはその背中を見つめながら、そっと呟く。

「“思い出させた”……。

 もしそんな力が本当にあるなら、いったいどんな存在が使えるの……」


 風が三人の間を抜け、白い粉をすべて運び去った。

 森にはもう、死の匂いは残っていなかった。



 翌日。


 ギルドの一角。

 報酬の小袋を机に放り出した葛葉が酒をあおり、紫煙をくゆらせていた。

 ライネルは隣で真面目に帳面へ署名し、報告を済ませている。


 少し離れた席に腰を下ろしたエルフが、ふと口を開いた。

「そういえば、名をまだ伝えていませんでしたね。

 私はネリン。この辺りの調査を任されている精霊使いです」


 葛葉は杯を揺らしながら軽く笑った。

「俺は葛葉。好きに呼んでくれていい」


 ライネルも慌てて立ち上がり、頭を下げる。

「僕はライネルです。……改めて、よろしくお願いします」


 ネリンは小さく頷き、表情を引き締めた。



 葛葉は煙管を弾き、横目でネリンを見やった。

「ひとつ気になってたんだが……。あんた、白塩化の場所じゃ精霊の力をろくに引き出せねぇだろ?

 なんで一人で動いてやがる」


 ネリンはわずかに目を伏せ、困ったように息をつく。

「……実は、協力してくれていた方もいたんです。けれど……喧嘩をしてしまって」


「はぁ? 喧嘩ぁ?」

 葛葉は思わず吹き出し、肩を揺らした。

「命がけの場に来て仲違いか。おっちょこちょいにも程があるな」


 ネリンはむっとして、頬をわずかに赤らめる。

「……言い方というものがあるでしょう」


 ライネルは苦笑し、二人のやり取りをなだめるように口を挟んだ。

「でも……それなら、僕たちが代わりに力になれます。

 三人なら、一人よりずっと安全ですから」


 ネリンはしばし黙し、それから小さくため息をついた。

「……そうかもしれませんね」



 ネリンは机に置いた杖へ視線を落とし、静かに言葉を紡いだ。

「白塩化は、もともと人類領と魔族領の領境で僅かに見られた現象でした。

 辺境の災厄として片付けられ、人々の記憶からも薄れかけていたのです」


 ライネルが驚いたように顔を上げる。

「じゃあ……ずっと昔からあったんですか?」


「ええ。ただ、ごく狭い土地だけに留まっていました。

 ところがここ数年、他の地域でも同じ現象が確認されるようになってきたのです。

 森の奥へ、人の暮らす領域へと――少しずつ、報告が増えている。」


 葛葉は紫煙を吐いた。

「なるほどな。境の向こうで燻ってた火が、こっちに延焼してきたってわけか」


 ネリンは重々しく頷いた。

「自然に拡大しているのか、それとも……」


 葛葉は口の端を歪め、にやりと笑った。

「ひとつ聞いておくが――誰かがわざと起こしてるって可能性は、無いのか?」


 ライネルが息を呑み、ネリンに視線を向ける。


 ネリンはしばし沈黙し、やがて小さく首を横に振った。

「……完全には否定できません。

 力の大きい者が関わっていれば、結晶を生み出すことも理屈の上では可能です。

 ですが、これまで証拠は一度も見つかっていない。

 白塩化は、常に“災厄”として現れ、誰かの意思を感じさせたことはありませんでした」


 葛葉は鼻を鳴らし、杯を傾ける。

「証拠がねぇから安心、って話でもねぇな」


 そして煙を吐きながら、問いを投げた。

「「……で、あの鹿や狼はなんなんだ? ただの動物が歪んだだけか?」


ネリンは静かに首を横に振った。

「違います。白塩の核は、その土地で取り込んだ生命の記憶を――最も強かった形を模倣するんです。

肉体は結晶に変わり、命そのものは消えています。

けれど、結晶は“強さの記憶”を頼りに動き続ける。

鹿の姿だったのは、あの森で最も強く、核が“完全な器”と認めた存在だからでしょう。」


ライネルの表情がこわばる。

「じゃあ……あれは、生きてるんじゃなく……」


「ええ。生きてはいません。森に残った命の記憶が、結晶の中で形を取っているだけです。」


葛葉は煙管を弾き、紫煙を吐いた。

「……なるほどな。生き物の“強さ”ってのは、死んでも厄介なもんだ。」


ネリンは小さく頷いた。

「ええ。鹿であの強さです。他の地で何が“最も強い”と見なされるか……それを想像すると、背筋が冷えますね。」


ライネルは唇を引き結び、視線を落とした。「じゃあ……他の場所でも、同じような獣が現れているってことですか。」


「はい。報告はいくつか上がっています。」

ネリンの声は淡々としていたが、その奥には警戒がにじんでいた。

「結晶がどこで生まれるかは分かりません。

 けれど、あの“白い狼”もまた、どこかで核に触れたはずです。放置はできません。」


 葛葉は紫煙を吐き、薄く笑った。

「面倒だな。だが、あの森を見りゃ放っとけねぇのも分かる。」


 ライネルが立ち上がる。

「僕も行きます。あの狼を討たなきゃ。」


 ネリンは二人の顔を順に見て、小さく息をついた。

「……分かりました。では、痕跡を追いましょう。

以前見たという場所を教えてくれますか。」


葛葉は煙管を弾き、紫煙をくゆらせた。

「それはいいが、酒を補充してからだな。」


 その軽口に、ネリンはわずかに眉をひそめたが、何も言わなかった。

 三人の間に、淡い静けさが落ちる。


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