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酒を乞う狐

 村を出て一日目の昼、ライネルはまだ見慣れた畑跡を歩いていた。

耕す者のいなくなった畑は荒れ、作物は半ば枯れ、風に揺れてざわついている。

鳥の鳴き声はなく、ただ乾いた風が耳を撫でるだけだった。


 背中の荷は軽い。だが心は石のように重かった。

行く先も知らず、ただ足を前に運んでいる。


――そのとき、藪の方でガサガサと音がした。


ライネルは咄嗟に身構える。

野盗か、魔物か。村を出て最初に直面する危機かもしれない。

乾いた喉を鳴らし、腰に差した剣を握りしめた。


 藪が割れて現れたのは、顔面蒼白の男だった。

この土地には似つかわしくない和装に身を包み、口には煙管をくわえているが、火はついていない。

乱れた髪、虚ろな目。ふらつきながら男はつぶやいた。


「……酒、くれ」


そのまま前のめりに倒れ込む。



 ライネルは思わず目を見開いた。倒れた男の胸に耳を寄せ、かすかな呼吸を確かめると、ようやく安堵の息を吐く。

「……生きてはいるか」

ため息混じりに呟き、結局その身体を抱え起こした。

死んでいるのではと疑うほど冷たい肌。


そのとき、男の腹が大きく鳴った。

空腹と渇きがどれほどだったか、嫌でも分かる音だった。


 ライネルは荷を探り、皮袋の水と固いパンを差し出した。

葛葉はそれを奪うように口にし、水をがぶ飲みし、パンをむさぼった。


ようやく落ち着いたのか、虚ろな視線でライネルを見上げ、口端に笑みを浮かべる。

「……見ず知らずの奴を抱き起こして、水まで寄越すとはな。律儀な坊主だ。

三日も何も口にしてねえんだが、やっと腹の虫が黙ったわ」


「三日も……そんな状態で。なのに、最初に口にしたのが『酒をくれ』ですか?」


葛葉は肩をすくめ、火のつかない煙管を咥えたまま鼻で笑った。

「腹は黙らせりゃそれでいい。けど酒は心を黙らせる。……どっちが先かって言や、俺にゃ心の方さ」


ライネルは呆れ返り、深く息を吐いた。

「……人間としてどうかと思いますよ」

「人間じゃねえしな。ただの妖狐だ。野干の葛葉ってんだ。――よろしくな」



ライネルは警戒を解かぬまま答えた。

「……僕はライネルです」


葛葉はにやりと笑う。

「ライネル、ねえ。堅物そうな名だな。

――で、こんな森の中で一人。もうすぐ夜だってのに、何やってんだ?」



 ライネルは焚き火の炎を見つめ、しばらく黙り込む。

そして低く答えた。


「……帰る村が、もう無いんです」


葛葉は目を細め、火のない煙管を咥えたまま肩をすくめる。

「ほう? 無い、ねぇ。村ごと消えたってか?」


ライネルは拳を握りしめ、声を震わせながら言った。

「白塩化っていう……病で。みんな、石のように……」


言葉は喉で詰まり、それ以上は続かなかった。

焚き火の爆ぜる音だけが、夜の森に響いた。

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