妖
森には再び静寂が訪れていた。
血の匂いが残る中、ライネルは木の棒を握ったまま肩で息をし、まだ鼓動の速さを抑えられずにいた。
葛葉は煙管をくわえ、何事もなかったかのように紫煙を吐いている。
その落ち着きが、逆に不気味に見えた。
「……すごいですね、あなたの魔法は」
その言葉に、葛葉はちらりと横目を寄越し、鼻で笑う。
「だから魔法じゃねぇ。俺のは――妖術だ」
「ようじゅつ……?」
ライネルは聞き慣れない響きを反芻した。
魔法でも精霊術でも理術でもない。そんな言葉は、彼の世界には存在しない。
葛葉は煙管をくゆらせ、肩をすくめた。
「魔法ってのは、理に従って動くもんだろ。
俺のはその“理”そのもの。融通が効かんから、こういうことしか出来ない。
ま、似たようなもんだがな」
ライネルは口を開きかけて、言葉を失った。
理そのもの? そんな発想は初めて聞く。
魔法が“世界の法則”だと教わってきた彼にとって、それはほとんど禁忌にも思えた。
葛葉はその動揺を面白がるように笑い、煙を吐いた。
「肩の力抜けよ。別に難しい話じゃねぇ。俺がやってるのは、ちょっとした悪戯さ」
軽口の裏に、底の見えないものがあった。
ライネルは返事を失いながらも、その背に目を奪われる。
恐怖と憧れが、胸の奥で混ざり合っていた。
⸻
「……あの山賊、また来るかもしれません」
しばらくして、ライネルが口を開いた。声にはまだ緊張が滲んでいる。
葛葉は煙管をくわえ直し、薄く笑った。
「来たら追い払えばいい。さっきみたいにな」
「本気で言ってるんですか?」
「本気さ」
葛葉は片目を細め、あっけらかんと答える。
「ただ――殺生は好かん。地獄の連中が、あとでうるせぇんだよ」
冗談のように聞こえたが、その言葉の中にどこか現実味があった。
「地獄」などという言葉も、ライネルにとっては宗教的な絵空事にすぎなかった。
だが、葛葉の口から出ると、それがまるで“実感”を伴って響く。
彼は本当に、そういう場所を知っているのではないか――そんな考えがよぎり、ライネルは背筋を冷やした。
⸻
二人は森の奥へと進み、白露草の群生地へ辿り着いた。
薄明かりに照らされ、銀色の花弁が一面に揺れている。
湿った土の匂いが静かに満ち、さっきまでの血の臭いを薄めていった。
ライネルはしゃがみ込み、根を傷つけないように丁寧に摘んでいく。
「こうすれば、高く買い取ってもらえるんだ」
隣で葛葉がひょいと茎を引き抜き、鼻を鳴らした。
「なんだ、簡単じゃねぇか」
「待って! それじゃ根が切れる!」
ライネルは慌てて手を止める。
「……めんどくせぇな」
葛葉は舌打ちしながらも、結局はライネルのやり方に倣う。
「妖まで働かせる世の中かよ」
ぶつぶつと文句を言いつつも、どこか楽しげだった。
やがて籠は白露草でいっぱいになり、依頼には十分な量が揃った。
ライネルが息をつくと、葛葉は肩を伸ばして空を仰ぐ。
「……やれやれ、働かされたもんだ。
酒の一杯くらいは確定だろ?」
ライネルは苦笑しながら立ち上がる。
「はいはい、宿に戻ったらですよ」
⸻
帰り道。
西日が差し込み、長い影が森を染めていた。
鳥の声も次第に遠のき、代わりに風の音が耳に残る。
――ヒュンッ。
矢が枝葉を裂き、地面に突き立った。
ライネルは反射的に身を伏せる。
「くそ……!」
木々の奥から、甲高い笛の音が響いた。
それを合図に、闇の中から山賊たちが現れる。
だが前回と違い、彼らは距離を詰めず、木陰に潜んだまま弓を構えていた。
恐怖ではなく、慎重さが見えた。
「警戒して……安易に近寄ってこない……」
ライネルは唇を噛む。
矢が再び飛ぶ。
一本、二本。どれも外れながらも、位置を測っているように正確だ。
弓の弦が鳴るたび、森の空気が張り詰めていく。
葛葉は煙管をくわえ直し、ふう、と紫煙を吐いた。
「へっ……今度は頭を使ってきやがったか」
その声は低く、笑っているのに冷たい。
「……面倒なこった」
夕暮れの森に、息を呑むような沈黙が流れた。
矢羽の擦れる音が、次の一撃を予告するかのように響いていた。




