第4話:迷い猫は笑わない
翌晩、くーちゃんと一緒に廃ビルへ向かった。
場所は駅から少し離れた、閉業したホテルの跡地。
建物はすでに半分崩れかけていて、風が吹くたびにガラスがカタカタ鳴る。
人の気配はまったくない。
でも、どこかで“誰か”がこちらを見ている気がした。
「ここに、“人間帰り”がいるんだよね……?」
> 「ああ。名前は“ゆづ”。もともとは、お前みたいな“半猫”だった」
「……その人、どうなったの?」
> 「自分が猫になりかけてるってことに、耐えられなかったらしい」
「言葉がわかることを否定して、全部“幻覚”だと思い込もうとした」
心が拒絶したら、“言葉”は毒になる。
その人は──“理解できること”が壊れる原因になったんだ。
階段を上り、3階の踊り場まで来たときだった。
ふいに、誰かの気配を感じて立ち止まる。
その先に、一人の少女がうずくまっていた。
ボロボロのセーラー服。
長い黒髪に、目元は影に隠れて見えない。
そして──周囲には、猫たちが一匹もいなかった。
「……あなたが、“ゆづ”さん?」
少女は顔を上げた。
その瞳は、人間のものでも、猫のものでもなかった。
> 「……うるさい、聞こえる。聞こえたくない。黙れ」
彼女は、何かを必死に振り払おうとしていた。
まるで、見えない何かに追われているみたいに。
「わたしも、猫の言葉が聞こえるの。あなたと、同じかもしれない」
少女は震えながらつぶやいた。
> 「違う……違う……私は、猫なんかになりたくない……!」
「人間でいたい……でも……でも……!」
その瞬間、彼女の背中から“何か”が飛び出した。
影のような猫耳。もやのような尻尾。
それは形を変え、空間を歪ませながら、呻くように唸った。
> 「おい、aiko、下がれ!」
くーちゃんが前に出た。
> 「これが、“拒絶”だ。魂が壊れかけてる」
影の猫は、うずくまる少女を覆い尽くすように暴れた。
わたしは咄嗟に叫んだ。
「──聞こえるなら、答えて!」
「あなたが怖いのは、猫になることじゃない! 自分が自分じゃなくなることが怖いんでしょ!?」
影が一瞬、止まった。
その隙に、わたしは少女に手を伸ばす。
「“違ってしまう自分”を受け入れるのは、怖いよ。
でも、逃げ続けたら、本当に“誰でもない”存在になっちゃう!」
影がゆっくりと消えていった。
少女の目に、涙がにじんだ。
> 「……あたし……まだ、人間でいたい……」
そして──彼女の中にいた猫の“影”は、静かに眠りについた。
くーちゃんが言った。
> 「選んだんだな、“人間であること”を」
「それも、ひとつの生き方だ。……ただし、代償はある」
代償。
その言葉の意味は、まだわからなかった。
でも、私ははっきりと思った。
どっちを選ぶにせよ、“逃げない”ってことが、一番大事なのかもしれない。