テントで一夜を共に!?……と思ったら木をこすってた
金曜の夜。
駅前、仕事終わり。俺は、いつも通り彼女を待っていた。
「おつかれー風間くん!今日はさ、キャンプしよっか!!」
「……はい?」
耳を疑った。
いや、一応想定はしてた。
またカラオケ?それとも、魚の次は肉か?って。
でも――キャンプ!?
「えっと……キャンプって、あの……泊まりの、ですか……?」
「うん。テント立てて、焚き火して、星見て、ちょっと語ったりして?いい感じじゃん!」
「……テント……」
(え!?え!?これってつまり、一緒に寝て!?近くで!?でもテントって狭いし!!え、え、え!?)
俺の頭は暴走した。
心臓は馬鹿みたいに速くなり、脳内には“恋人と過ごす星空の夜”というポエムが全開で再生されていた。
だが、現実は――俺の想像など軽く超えていく。
*
キャンプ場に着くなり、梓さんはこう言った。
「じゃ、火起こしから始めよっか!」
「バーナー使います?それとも炭?」
「んーん。今日は……きりもみ式で!」
「……は???」
目の前にあるのは、
木の棒、木の板、麻ひも……。
ガチの原始人セットだった。
「やったことないんですよね〜!でも一回やってみたくて!」
「いや、今やる!?てか、それで火って本当につくんですか!?」
「回せば火はつく!理屈は合ってる!!」
「理屈だけで押し切るな!!!」
そう言いながら、
彼女は真剣な顔で棒を両手で挟み、ゴリゴリときりもみを始めた。
スーツ姿の女性が、夜の森で全力きりもみ回転。
これは現実なのか。夢なのか。
いや、もういっそ幻覚でもいい。
「……ちょっと煙出た!今きた!あともうちょい!!!」
「火事だけは勘弁してくださいね!!!」
「大丈夫!!火がついたら“めでたいキャンプ飯”するんで!」
「もう“めでたい”の使い方めちゃくちゃですって!!」
……それでも。
楽しそうに笑う彼女の横顔に、
また俺は、心を持っていかれた。
――ついた。
梓さんのきりもみ式。
誰もが無理だと思ったその行為は、奇跡を起こした。
煙が立ち、火花がちらつき、そして――
「……ついた……ついた!!!!!」
「ま、マジか……!!?」
「ついたぁぁああああああ!!!!」
真夜中のキャンプ場に、勝利の咆哮が響いた。
スーツとヒールの女が、素手で火をつけたその姿は、
もはや何のジャンルかわからないが、確かに神々しかった。
そして彼女は言った。
「この火はね。
私たちと、血と、涙と、汗の火なの。
絶やしてはいけない。」
――風間樹、22歳。営業マン。
今、恋人が火を“精神論”で守ろうとしている現場にいる。
「……え、いや、寝るんじゃ……」
「交代で見張りね。私、最初いくから。風間くんは後半。いい?」
「火番制度!?現代日本にあったんですかそれ!!?」
「焚き火は命。絶対に絶やしちゃダメ。
ちゃんと焚き火シート敷いてるから安全性はバッチリ!あとは気持ちの問題!」
「いや気持ちの問題が重すぎるんですけど!!!」
俺はもう何も言えなかった。
目の前の焚き火が、やけに神聖に見えてきたせいで。
それでも彼女は笑ってた。
焚き火のオレンジが、頬を照らして――
「……いい火になったなぁ」
「いや、どこの仙人ですか……」
その夜、
俺たちは愛と火を守るために、交代で眠るという試練のキャンプをやり遂げた。
恋がこんなに……体力使うとは思ってなかった。
でも――
夜が明けて、火が静かに消えていくその瞬間まで、
俺は、彼女の隣にいることを、誇らしく思っていた。
火が安定した頃、梓さんはカバンをごそごそ漁りはじめた。
「……え、なに出すんですか?」
「ふふん、これだあああ!!」
彼女の手の中にあったのは――銀色に輝くアルミホイル包みが2つ。
「焚き火といえば、これでしょ。焼き芋!」
「え!? そんなの持ってきてたんですか!?」
「当然。キャンプってのはね、事前準備で決まるの。
準備8割、火力2割。焼き時間は愛と根性!」
「いちいち名言っぽいのが重い……」
そう言いながら、彼女はその芋を――バッサリ焚き火の中に投げ込んだ。
「おいおい!置くんじゃなくて投げるんですか!?」
「大丈夫、アルミホイルは信じてるから」
「宗教的な意味で!?」
火の中でじんわりと熱される芋。
パチパチと音を立てながら、焚き火は静かに燃え続けている。
「これが今日の夕飯ね。時間をかけて、じっくり作るぞー!」
「まさかの芋2個でキャンプ飯フィニッシュ!?」
「いいじゃん!質素だけど味は濃厚よ!あと、デザートも焼くつもりだから!」
「……何焼く気ですか……?」
「ひ・み・つ♪」
予測不能の焚き火ナイト。
「……うまっ……」
そして風間は焚き火の前で、手にした焼き芋にかじりつく。
皮を破った瞬間に広がる、ねっとり甘い香り。口に入れれば、ほくほくで、やさしくて、まるで“ご褒美”だった。
「ね?美味しいでしょ?」
「うまいっす……いや、うますぎて涙出るかも」
「それはもう疲れてるんだよ。食べたらすぐ寝な。あとは私が見張ってるから」
「……すいません、ほんと」
「いいって。交代制だから。恋も火も、長持ちさせるには努力が必要!」
「うわ、また名言っぽいの出た」
「今の書き留めといて!」
「日めくりカレンダー作りましょう」
彼女が笑った。
その横顔が、炎に照らされて綺麗で――風間くんは胸が少しだけ、ぎゅっとなった。
「じゃ、寝ます……頑張ってください」
「いってらっしゃい夢の世界〜」
*
しばらくして――
風間くんが、薄明かりの中で目を覚ます。
焚き火はまだ生きている。ゆらゆらと、オレンジの火が静かに揺れていた。
「あ……梓さん、交代します」
火のそば、彼女は正座していた。真剣な目で、火を見つめている。
「んー、ちょうどいいタイミングだね。じゃ、バトンタッチ!」
風間くんが火の番に入り、彼女がやっとシュラフにくるまる。
……だが。
「ちょっと待ってて」
梓さんが、カバンをごそごそ漁りはじめた。
「え、もう寝るんじゃ……?」
「最後にひと仕事!」
そして取り出されたのは――トマト。
「は?」
「今夜のデザートはね、焼きトマトです」
「……なんで?」
「トマトって、焼くと甘くなるのよ。酸味が飛んで、旨みだけ残るの。これ、マジでびっくりするから」
「……芋で感動した直後に、それ……!?」
それでも彼女は、焚き火の端っこに、トマトをそっと置いた。
じゅう……と、皮が焼け、少しずつ弾けていく。
「このトマトみたいにさ。見た目は変わらないのに、熱を加えると味が変わる。恋も人も、そういうもんでしょ?」
「……名言が……ちゃんとトマトで来た……」
「寝る前にひとつぐらい、残したくてさ」
彼女はトマトを少し転がして、火加減を調整すると、ようやく眠りについた。
風間くんは焚き火の前に座り、じっくり焼けていくトマトを眺めながら、ぼそっとつぶやいた。
「……デザートで哲学すな……」
火は、今日も静かに、温かく、夜を照らしていた。