悪魔のドミノ倒し
金曜の夜、
彼女の部屋に呼ばれて入った瞬間、悪寒がした。
床一面に広がる――ドミノ。
しかも、ガチ勢が使うやつ。
2000ピース。説明書には「推奨制作時間:4時間以上」。
「……これ、まさか今から?」
「そうだよ!風間くん!今日のテーマは“忍耐と愛”!」
「いや待って、ドミノで語られる愛、聞いたことねぇ……」
さらに追い打ちの一言。
「ちなみに、これ全部並べ終わったら……ご褒美、あるよ?」
「ご褒美……?」
梓さんが、にやりと笑う。
「もしかしたら、初キス、しちゃうかもね?」
おいおいおいおい。
爆弾の扱いが軽すぎる。
「……そ、それって……本当に……?」
「どうかな〜?“かも”って言っただけ〜?」
「その“かも”のせいで俺の心臓が毎秒140超えてるんですけど!?」
そうして始まった、悪魔のドミノ地獄。
・松葉杖の梓さん、ギプス姿で器用に並べる
・俺、汗だくで0.1ミリのズレと格闘
・2時間経過、沈黙と集中が続く中――
「風間くん、そこ0.2ミリずれてる。やり直し」
「俺の集中力のドミノが一気に崩れました」
だが、悲劇は突然やってきた。
「くしゅんっ」
→ ザザザザザザザザザザァァァァ……
……音もなく、全てが崩れた。
「い、今……俺……」
「うん。風間くんのせいだね。
でも大丈夫!4000個、買ってあるから!」
「なんで増えてんだよ!!!」
こうして、“悪魔のドミノ倒し”は、まだまだ終わらなかった。
(この先に、“かもしれないキス”が待っているなら――
俺は、戦う。何度でも……!)
そしてついにドミノを並べ終わった時、
部屋の空気は、いつになく張り詰めていた。
俺と梓さんは、向かい合って座っていた。
ギプスの足を庇いながら、梓さんがそっと言う。
「……じゃあ、いこっか」
「……はい」
ふたりで手を伸ばして、最初の1ピースに触れる。
カタン。
静かに始まった連鎖。
まっすぐ流れて、曲がって、ループして。
LEDライトの光が反射して、ハート型の中央でピタリと止まった。
完成だった。
「……すごい……ほんとにできた……」
「……地獄の集中作業でしたけど、なんか……達成感ありますね」
「風間くん、マジでありがとう。
足ケガしてなかったら、絶対途中で寝てたわ、わたし」
梓さんが、ほんの少し、俺に顔を寄せてくる。
距離が、近い。
その目がまっすぐすぎて、俺は息が止まりそうだった。
「ねぇ……風間くん」
「……はい」
「……さっきのご褒美の話だけど――」
(うわうわうわ……来る!?これ……ほんとに……!?)
「うーん、やっぱ“キスかも”は“かも”のままでいいかも……」
「……えっ」
「だって、ほら、こういうのってタイミングとか空気とかあるじゃん?」
「あ、はい……」
「風間くんの方からさ……“したい”って言ってくれたら、そっちの方が嬉しいかも」
「な……」
言葉が詰まった。
あかん、そういう爆弾、笑顔で置いてくのやめてくれマジで。
その時だった。
「……わっ!?」
梓さんが、バランスを崩した。
松葉杖がずれて、ぐらっと体勢が傾く。
反射的に俺が前に出た。
「危ないですって、梓さ――」
――ガンッ!!
「……んんっ!?」
顔面、クラッシュ。
そして、唇同士、ドッキング。
一瞬、時が止まった。
あった。
確かに、あった。
それはもう“触れた”とかいうレベルじゃなくて――
ちゃんと、キスしてた。
「……えっ……」
「ええええええええええええ!?!?」
叫んだのは梓さんだった。
顔、真っ赤。
耳まで赤い。
動揺MAXで、足バタつかせてバランス崩してる(やめて!ギプス!!)
「ちょ、ちょっと風間くん!?今のなに!?狙った!?事故!?どっち!?ねぇ!!」
「俺!?いやっ違……その、俺は支えようとして……結果的にっていうか……!」
「ちょ、え、初めてが……」
「すみません!……まじですみません!!!」
*
数分後、全身から湯気を出しながら落ち着きを取り戻した梓さんが、ぽつりと言った。
「……じゃあ……これもう、キス、済んじゃったってことになるのか……」
「はい、ええと、たぶん……」
「事故ってことにして……あんたの責任な」
「え、俺、ずっと謝罪する系ですか……?」
「……うん。でも」
梓さんが、顔をそむけながら小声で言った。
「事故じゃなかったら、もっとちゃんと受け止めてたよ」
……心臓が爆発するかと思った。
*
その夜、俺たちはドミノの横に寝転びながら、
スマホでラーメンのデリバリーを頼んだ。
「……あー……これ、“初キス記念”ってことになるのかな」
「言い方、やめてもらっていいですか。照れるんで」
「風間くん、チューされて照れるとか、かわいすぎかよ」
「やめてほんともう!そういう時だけ距離詰めないでください!!」
――恋も、ドミノも、事故から始まることがある。
でもその事故は、きっと運命だ。
ラーメン片手に、俺たちは初めてのキスを――
“事故ってことにして”、記憶に残した。