また、あなたに会いにきました
家庭は、最悪だった。
酔った父親の怒鳴り声、泣いてばかりの母親。
テレビの音より皿の割れる音の方がよく響く家だった。
学校も好きじゃなかった。
授業を真面目に受ける理由なんて、どこにもなかった。
早く大人になって、家から出たかった。
そう思って、何にでも噛みついて、俺はただの“不良”になった。
そんな俺に、初めて真っ直ぐ接してきたのが――
教育実習生だった、**七瀬 梓**先生だった。
「風間くん、また購買でアンパン? 他にも買えってば」
「……金ないんで」
「……ほら、あげる。今日の昼、甘いのしか買ってないから半分でちょうどいい」
うっとうしがられると思ってた。
目を逸らされると思ってた。
なのにあの人は、俺の目を見て話してくれた。
ちゃんと、名前を呼んでくれた。
その日から、俺の世界は変わった。
どこか違う場所に住んでいる人みたいだった。
同じ教室にいるのに、輝き方が違っていた。
綺麗で、頭が良くて、自由で、優しくて、ちょっとぶっきらぼうで。
俺には、なにも持ってなかったけど――
彼女の後ろ姿だけは、追いかけたいと思った。
実習が終わる前に、何度も連絡先を聞いた。
全部、断られた。
「教師と生徒でしょ」って、笑って流されて。
でもそれでも、好きだった。
最後の日、俺は言った。
「先生じゃなかったら、俺……絶対好きになってました」
七瀬先生は、少し困った顔で笑って、こう言った。
「……じゃあ、大人になったらまた言いにきなよ」
俺は、その言葉を冗談だとは思わなかった。
*
奨学金を借りて、必死に勉強した。
誰にも言わなかったけど、目指したのは――彼女が通っていた大学、都内の私立T大学。
俺には場違いだって言われた。でも関係なかった。
ただ、追いつきたかった。
隣に立てるくらいの人間になりたかった。
けど、大学で彼女を見つけることはできなかった。
先生に聞いても、「もう卒業したよ」とだけ言われた。
連絡先も知らない。
フルネームしか知らない。
それでも、心のどこかでずっと探してた。
結局、俺は一度も会えないまま、大学を卒業した。
だけど、あきらめたくなかった。
だから俺は、就職しても東京に残った。
同じ空の下にいるかもしれない、彼女を――まだ、探していたかった。
そしてある日。
駅前でナンパされている七瀬梓を、俺は見つけた。
あの瞬間、胸がぶっ壊れるかと思った。
息が詰まって、何も考えられなかった。
でも――身体が勝手に動いてた。
彼女の腕を引いて、間に割って入った。
「彼女、困ってるんで」って、誰かみたいなセリフを吐いてた。
目を丸くした彼女が、ゆっくり俺を見て――
「……風間くん?」
「はい。……また、あなたに会いにきました」
ずっと、ずっとずっと、探してた。
俺の名前は、風間 樹。
世界で一番、七瀬梓という女性を追いかけてる男です。