第4話・フレイア
「魔女様、こちらです」
「『リバースアンドビルド』」
リゼルが呪文を詠唱するや否や魔法が発動し、瓦礫が排除され、負傷した人々が姿を現した。
『もう止めなさい。これ以上はあなたの身体がもたないわよ』
ジーゼがそう忠告するのも無理なかった。
リゼルは怪我の大小に関係なく、街中の全ての負傷者を助けようとしていた。
そして、ジーゼの言葉を無視するかのように、手にする魔導書の呪文を詠唱し始めた。
「生きとし生けるもの全てに受け継がれし命の営みよ。それは豪雪の中から息吹く新芽にも似て、その力を持って輪廻の流れを断ち切らんとする魔に抗え・・・」
『止めなさい』
「やめない」
『・・・命を断とうとする全て邪を払い、命を奪おうとする全ての魔を撃て、その先で待ち受ける定めがどれほど過酷であろうとも、進む勇気を持ちて地獄の門を閉じ、命の炎を再び灯さん』
「『リカバリーヒーリング」』
すると、大怪我を負っていた人達が柔らかな光りに包まれまれ、全身の傷がみるみる治っていった。
「魔女様、こちらもお願いします」
「はい」
ヒルダに呼ばれ駆け出そうとした彼女は、脚をもつらせ転んでいた。
『あぶないっ』
ジーゼが慌ててバランスを取り、なんとか踏みとどまったが、糸が切れた操り人形のように、その場にへたり込んでいた。
「魔女様っ!?」
それを見たヒルダが慌てて彼女の元に駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
その身体を抱き起こし支える。
「・・大丈夫です」
心配そうに顔を覗き込むお姫様にリゼルは気丈にそう返したが、唇を真っ青にして小刻みに震えるその姿に、限界が近いことは誰の目にも明らかだった。
「魔女様、ひとまず休みましょう」
だがリゼルは、
「・・・王宮の魔導医療士の皆さんが到着するまでさせてください。お願いします」
そう言ってヒルダの身体につかまり立ちあがろうとする。
が、脚が“がくがく”震え、ヒルダに支えられて立っていられる状態だった。
『このままだと貴女自身が倒れてしまうわよ』
「でも・・・」
ジーゼの言うとおりだった。
街じゅうが廃墟がになってしまった今、リゼルがいくら瓦礫を取り除き、いくら治癒しても焼け石に水だった。
「姫様、魔女様。助けてください」
その時、彼女の言葉を掻き消すかのように、血まみれの女性が駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?今すぐ治癒魔法を」
リゼルがそう言って呪文を詠唱しようとすると、
「私じゃありません」
彼女はそう言ってリゼルの腕を掴んだ。
「え?」
「私の赤ちゃんが家の下敷きになってて、・・・こちらです」
女性は駆けつけた近衛兵に支えられ、なんとか家にたどり着いた。
が、そこに家はなく、高く埋もれる瓦礫の山しかなかった。
「この下です。この下に私の赤ちゃんが・・・」
女性はそう言って泣き崩れていた。
「任せてください」
リゼルはそう言うと、自分の周りを飛び回る魔導書の1冊を掴んだ。
『止めなさい。いまリバースアンドビルドを使ったら、意識を失うわよ。そうしたら治癒ができなくなる』
「え!?」
『赤ちゃんは瓦礫の間にできた空間で無事生きてる。誰かに掘り出してもらって貴女は治癒に専念すべきだわ』
「でも、そんなの放っておけるワケない」
『じゃあ助け出す?他の人たちの治療はどうするの?』
「そ、それは・・・」
「姫様、あれを見てください」
驚きを隠せない様子でそう叫んだ近衛兵の1人が指差す方を見ると、図書館がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。
「図書館が、なんで?」
図書館は、両手を広げてバランスを取りながら、幾つもある足で瓦礫を避けるようにぎこちなく歩いて来てリゼル達の前で止まった。
そして入り口のドアが開き、何事もなかったかのようにフレイアが降りてきた。
次の瞬間、女性を除く全員がフレイアに飛びかかり山のように覆いかぶさっていた。
〔痛い痛い。なにしてんのよ〕
『それはこっちのセリフ。そっちこそ何しにきたの?あなたはおとなしく閉じこもってりゃいいのよ』
〔なによ、人のことを貝みたいに〕
『食べれるだけ貝の方がましよ』
〔な、なんですって。私は天界一の美少女フレイア様なのよ〕
『なにが天界一よ。今じゃ地獄界の。でしょ?それに私、本当のこと知ってるんだからね』
〔ギクっ。な、なによ。本当のことって?〕
『地獄界一の美少女の座を悪魔姫のヘルに奪われて閑古鳥が鳴いてるんでしょ?だから地上に男漁りに・・・』
〔そ、そんなこと、あるわけないでしょ〕
『じゃあ、ヘルを召喚して本人に聞いてみようかな』
〔えっ!?〕
『本当だったんだ』
したり顔のジーゼ(リゼル)にそう返され、彼女は全てを察した。
〔あ、あなた、カマをかけたわね〕
『なによ。そうじゃなきゃ、わざわざ地上に男漁りに来ないでしょ?』
〔きぃ~~~~~っ。悪魔をだまそうなんて、あんた頭おかしいんじゃないの?〕
『な、なんですって。もとはと言えば、あなたが見境がないからこうなったんでしょ?バカなんじゃないの?』
〔あ~~~っ、バカって言った。知らないの?バカって言った方がバカなんだからね〕
『ほら。そんな子供みたいなこと言ってるのがバカな証拠。バ~カ、バ~カ』
〔うっき~~~~~っ〕
バカ呼ばわりされたのがよほど悔しかったのか。
フレイアは真上にいるジーゼ(つまりはリゼル)を“ポカポカ”叩き始めた。
『ちょ、ちょっと止めなさい。痛いでしょ』
〔うるさいうるさいうるさい〕
『なによ、このバカ』
いっこうに止めないフレイアに、リゼルも“ポカポカ”叩き返す。
『バカバカバカ』
〔うるさいうるさいうるさい〕
「痛い痛い。2人とも止めてください」
完全なもらい事故状態のリゼルが2人を止めようとするが、
〔バカバカバカ〕
『バカバカバカ』
2人はいっこうに止めようとしない。か
「誰か止めて~~~っ」
“ボカっ”、“ボカっ”
その瞬間、2人の頭に“げんこつ”が落ちていた。
『いった~』
〔痛い。誰よ、フレイア様の頭を叩くバカは〕
2人が見上げた先には、誰も見たことがないような怒りの表情で自分たちを見下ろすヒルダの顔があった。
「2人とも、止めていただけますか?」
〔『はい〕』
「それでフレイア様。わざわざ約束を反故にしてまでこちらに来られたのは、どのような要件ですか?」
その、王女としての威厳ある振る舞いは、場の空気を一変させていた。
そして、人間の小娘が自分さえも威圧するかのようなオーラを放つことが気に入らないフレイアは、
〔別に、そこの魔女が困ってるようだから冷やかしに来ただけよ〕
そっぽを向いてそう返していた。
『なによ。何も出来ないなら引っ込んでなさいよ』
〔何もできないのはそっちでしょ?〕
フレイアが小さく呟いたその一言を、ヒルダは聞き逃さなかった。
「フレイア様、皆を救う方法をご存じなのですね」
〔もちろんよ。私を誰だと思っているの〕
「では早くお願いします」
自信満々にそう話すフレイアにヒルダはそう懇願していた。
〔いいわよ。ただし、条件がある〕
が、それこそがフレイアの狙いだった。
「条件?」
〔あなたの近衛隊長を一晩貸して欲しいの〕
「えっ!?」
〔もうずっとご無沙汰だったんだから、一晩くらいいいでしょ?〕
「だめです」
今、街中の人々の命を救うには他には手はない。
だが、それでもヒルダは、その提案を一蹴していた。
〔なんでよ?姫様、あなた自分が何を言ってるか分かってるの?〕
「わかっています。でもジークはダメです」
〔だから、なんでダメなの?〕
「だってジークは私の・・・」
ヒルダはそこまで話すと、顔を耳まで真っ赤に染めてうつむいてしまっていた。
それを見て、フレイアとジーゼは全てを察した。
〔まさか、あなた達付き合ってるの?〕
『マジで?』
2人が驚くのも無理なかった。
いくら近衛隊長とはいえ、ジークは平民の出だ。そんな2人が恋に落ちるなど許されるはずがない。
このことが知れたら、王家を汚したとしてヒルダは生涯幽閉され、ジークは断頭台で処刑されるだろう。
『へぇ~、やるじゃない』
〔ね、どっちから告白したの?〕
「えっ!?」
だが、ジーゼとフレイアから返ってきた言葉は、ヒルダ達の予想とは真逆のものだった。
『なによジーク。「お姫様には指1本触れてません」みたいな顔して、しっかりやることやってるじゃん』
〔姫様もそうよ。「私、まだ殿方と手も握ったこともありません」みたいな顔して!ねぇ、どっちから告白したの?〕
「え、えっと、あの、その・・・」
ヒルダはしどろもどろになりながらジークの手を“ぎゅっ”と握りしめていた。
『お姫様からかぁ』
〔やるじゃん。・・・よし、決めた〕
『えっ!?決めたって、なにを?』
〔姫様安心して。私が2人を結婚させてあげる〕
「えっ!?どうやって?」
〔悪魔には悪魔のやり方があるから。その代わり、条件があるわ〕
それは正に悪魔の囁きだった。
〔私の自由を保障しなさい。大丈夫、貴女の王子様には絶対手は出さないから〕
「分かりました」
「姫様っ」
彼女があまりにもあっさりと要求を受け入れたことに、ジークは驚きを隠せない様子だった。
「分かっています。でも、これ以上あなたへの気持ちを抑えることは、私にはできません。それに、まだ接した時間は短いですが、フレイア様は根っから悪い人ではないと思いました」
〔さすが姫様。私が見込んだだけのことはあるわ。そういうワケだから、みんな早く私の上からどきなさい〕
「皆さん、早く」
ヒルダに急かされ、皆が退くと、フレイアはジークにエスコートされ悠々と立ち上がっていた。
が、彼女はなかなか魔法を発動させようとしなかった。
『ほら、もったいぶらないで早くやりなさいよ』
ジーゼがそう急かすと、
〔それがね、今の私にはできないの〕
フレイアから返ってきたのは驚愕の言葉だった。
「えっ!?できない?できないとはどういうことですか?」
この期に及んで、しれっとした態度でそう話すフレイアに、ヒルダがそう声を荒げるのも無理なかった。
〔落ち着いてお姫様。《私には》、そう言ったでしょ?〕
フレイアはそう言うと、リゼルを見た。
「えっ!?私」
『ちょ、ちょっと、あなたまさか・・・』
〔察しがいいわね。そう、悪魔の魔術、極獄魔術を使うの〕
「極獄魔術?」
〔私がアラストールにしたみたいに、街中の全ての負傷者を光に変えて黒水晶に封印するの。あれの中は時間も止まっているから、どんな大怪我をしてても死ぬことはないし、1人ずつ水晶から出して治療すればいいわ。そしてこれは、魔眼石を持つリゼルにしかできない〕
その一言で、皆が一斉にリゼルを見た。
「えっ!?でも、私、極獄魔術なんて知りません。図書館にもそんな本はなかったし。それに、人間が悪魔の魔術を発動させたら、一瞬で全ての生命エネルギーを吸い取られて死んじゃうって・・・」
『なに言ってるの?無限のエネルギーを持つ魔導石があるのよ。大丈夫に決まってるでしょ』
〔私が教えてあげる。これから呪文を詠唱するから復唱して〕
「わかりました」
「待ってリゼル」
決意を固めた彼女を止めたのはヒルダだった。
「極獄魔術を使うのは最大の禁忌です。このことが王家や教会による知られたら、あなたは断頭台ですよ」
「でも」
リゼルは辺りを見渡した。
「今、皆を救えるのは私だけだし。それに、」
「それに、なんですか?」
「その時はフレイアさんがなんとかしてくれるはずだから大丈夫です」
リゼルはそう言って微笑みながらフレイアに抱きついていた。
〔な、なに?〕
あまりに突然の出来事にフレイアは驚きを隠せない。
そしてそれは、他の皆も同じだった。
「フレイアさん。ありがとうございます」
〔えっ!?〕
「街の人たちを助けてもらうお礼です。私、極獄魔術を使ったら気を失うとおもうから今のうちに言っておこうと思って」
〔私のことが怖くないの?〕
「さっきまでは、・・・でも今は違います」
〔OK〕
その笑顔に誘われるように、フレイアも微笑みながら手を差し出した。
すると、皆が一斉にそれを見た。
その指が、黒水晶を掴んでいたからだ。
〔バルバドスから取り返したのよ。じゃあ、いくわよリゼル。準備はいい?〕
「はい」
〔全ての命〕
「全ての命」
〔その灯火の営みを、我が主、サタナエルの名を持って今一度断ち切らん〕
「・・・切らん」
〔命を闇の光りに変え、神が与えし時間の呪縛、神が定めし時間の流れ、その全てを全能なる魔の力を用いて超越し、永遠を手にいれん〕
「・・・いれん」
〔「トラウエルムジーク」〕
2人が声を重ねてそう唱えた刹那、リゼルの胸元に埋め込まれた魔導石が赤い輝きを放ち始めた。
が、それは今までのような神々しいものではなく、どす黒い毒々しい光りだった。
その光りはあっという間に、辺り一面を飲み込み、それを浴びた負傷者たちは小さな赤い光りの粒子へと姿を変え、次々に黒水晶へと吸い込まれていく。
そして、黒水晶を持つフレイアは、魔導石の光りを浴びながら呪文を唱え始めた。
〔全能なる魔導石よ。外見、財産、学歴でしか人を判断できぬ愚かな者どもを更なる堕落へと導きたまえ。妬みと恨みと憎しみをもって心を苛み、不義と不徳と不倫を貪る背徳の世界に引き入れ、その沼に未来永劫溺れさせる力をお与えください。・・・メイクアップ・ツートーデ〕
そう叫ぶや否や、フレイアの爬虫類のような身体が絶世の美女へとその姿を変えていた。
〔よっしゃ~っ〕
大喜びする彼女を尻目に、最後の1人を黒水晶に閉じ込め終えたリゼルは意識を失い、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちていた。
が、彼女は目を閉じ寝息を立てたまま“むくり”と起き上がると、
『あなた、これが目的だったの』
フレイアにそう詰め寄っていた。
〔まあね。でもいいじゃない〕
彼女はそう言うと、ヒルダとジークを見た。
〔安心して、約束は守るから〕
そう言い残してフレイアは煙のように姿を消した。
そしてこれこそが、国の根幹をも揺るがす大スキャンダルの始まりだった。
フレイアはメイドとしてお城で働き始めると、いつの間にか王族の身の回りをお世話する給仕係になっていた。
そして、いつの間にか王子たちの家庭教師になっていた。
そして、いつの間にかその美貌で王子たちの身も心も虜にしてしまっていた。
いや、あのフレイアが王子たちだけですむはずもなく。
案の定、王様もその毒牙にかかっていた。
それを知った王妃は激怒し、王様を隠居させ、王子たちを留学という名の国外追放にしてしまった。
するとフレイアは容姿を変え、今度は女性カウンセラーとなって落ち込むお妃様の心の隙間に入り込み、いつの間にか彼女ともそういう関係になっていた。
そしてそれらのスキャンダルを、彼女自身が主婦の井戸端会議や夜の酒場で風潮し、あっという間に国内はおろか諸外国に知れ渡りるところとなってしまった。
結果としてお妃も失墜し、ヒルダが女王に選ばれ、彼女が自らジークを婿として迎えると宣言し、2人は晴れて結ばれたのだった。
〈つづく〉