007 母なる海は実は結構厳しめ
「さぁ!我々は今!大海原の見える場所へと移動してきました!どうです皆さんこの海!絶景!しかも綺麗!絶対これ魚も山ほどいるでしょってことで、皆さんにはすでに着替えてもらいました、はいドン!」
カメラを向けられた先には、動画配信者チーム、司会とカメラ以外の三人がこれからまさに海に出ますよという格好をしていた。
一人は銛を持ちウェットスーツにシュノーケル、足にはフィンをつけており、これから海で素潜りを実施する気満々の格好である。
一人は麦わら帽子にタオル、そしてタンクトップに半ズボンというザ・夏スタイル。その手には釣り竿と釣り道具一式が握られており、これから海に釣りに行くというのがまるわかりである。
そして最後の一人。一人だけ妙な格好になってしまっている。妙に大きなゴーグル。白和服に大きなタライ。そして足袋のような履物をしている。所謂海女に見えるような服装だった。
背景に広がる砂浜と今日も平静と穏やかな波を打ち続けている大海原。そして並んだ三人のそれぞれの格好は間違ってはいないのかもしれないが、どういうわけか猛烈に違和感を覚えさせる。
未だ午前中ではあるが気温は既に三十度を超えている。照り付ける太陽が白い砂浜を更に輝かせ、海の小さな波が光を反射して輝いている。
こんな服装でなければ全員単純に楽しめたのだろうが、あいにくとツッコミどころがありすぎるせいで楽しめるような余裕はなかった。
「いや皆さん海に行く気満々だね。ここまで来ると殺気すら感じられるよね」
「ちょっと待って。違うじゃん。俺だけなんか毛色が違うじゃん?なにこの格好?着替えてからなんだけどさ、これなに?」
「なに?知らないんですか?日本が誇る伝統的な海産系職業の一つ!海女さんですよ!テレビとかで見たことあるでしょう?」
「これのどこが海女さんだ!白い和服のなんか着せられたから死装束かと思ったわ!え?ナニコレ?どうすんの?」
「どうするって、そりゃ潜って海藻や貝殻取ってくんだよ。それ以外に何があんだよ。素手で魚取ってこれるのかってんだよ」
「お前魚舐めてんのか!?海の魚手づかみで取れるわけねえだろこの暑さで頭いかれたのか!?」
「これ決めたのクーラーの効いた自室だったんで何も問題はないです。文句ばっかり言ってねえでとっとと行ってくりゃいいんだよ」
「むしろこれだけ渡されて行って来いって言えるその神経を疑うわ!完全にネタ枠だろ!オチとして俺を使っただろ!」
「何言ってんだお前!失礼な事言うんじゃないよ!何がネタだ馬鹿野郎!全国の海女さんに謝れ!れっきとした職業としてあるんだから!」
「お前は俺に謝れ!大体この服ただの白い和服だろうが!どうせだったら本物の服用意しろよ!もはやただの白一色の服で海に行けって言ってるようなもんだろこれ!沈むぞ!着衣水泳舐めんな!」
「なんの為にそのタライがあると思ってんのさ。それを浮き輪代わりにするんだよバカタレが」
「お前がバカタレだ!あれはちゃんと練習した人だからできんだよ!いきなり素人が手を出せねえからプロがいるんだろうが!」
「っていうか、格好っていうならこっちもなかなか酷いよね。タンクトップに半ズボンに麦わら帽子だよ?夏の日差し舐めてんの?ってくらいのラフスタイルだよね。UVカット率ゼロにも等しいよ」
「いやいやいい格好ですよ?まさに夏の青少年って感じで!まぁ日焼けがやばそうだとは思いますが。っていうか肌白!不健康な色してますね。これを機に一気に焼きましょう」
「マジでこんがり焼けそうだよね。簡単に行くよこれ。上手に焼けましたレベルの話じゃないよ?せめて熱中症対策にパラソルとかそう言うものを標準装備でもらいたいんだけど」
「あ、パラソルは我々が休む場所で使うんで、もう在庫ないそうです」
「おいやっぱこいつ殺そうぜ!こいつが諸悪の根源だよ!もうそこのクーラーボックスにビールあるの見え見えだよ!絶対ビール飲んでダラダラする気だぜ!?」
「大丈夫ですよ。お二人が坊主だったとしても一人だけガチ装備を用意させていただきましたので、彼が頑張ってくれます」
「いや本当に。二人に比べてすごい本格的な装備だったのは嬉しいんだけどさ、これ俺の責任重大だよね?」
「そうですよ?今日の晩御飯は一番まともな装備を身につけている人にかかっています。あなたが失敗すると本日の晩御飯がすごく残念なことになるのでご注意を」
「責任重大だぁ……二人のどっちか交代……したくないなぁ……」
「これで俺が溺れたらこいつ訴えてやるよ。ちなみに制限時間は?」
「えーそうですね。現在が、午前十時ということなのでね、とりあえず二時間頑張ってきてくださいよ。それによって、ネタ枠二人を山に向かわせるかどうかを決めるので」
「おい今ネタ枠って言ったよな?やっぱり言ったよな?お前マジふざけんなよ!?っつーかお前らは何もしないのかよ!」
「失礼な!我々は我々で皆さんの雄姿を記録に収めなきゃいけないんですよ。いきなりカットして『二時間後』ってテロップ入れてもいいんですけど、さすがにそれじゃ視聴者も納得いかないでしょってことで、ほらあれをご覧ください。小型の手漕ぎボート、というか一人乗り用の小型カヤックを用意してもらいました」
葛飾が指さす先には一人が乗るのが精一杯、というか一人乗る分の穴しか開いていない完全な一人乗り用のカヤックがある。
必要な機材を載せるためのスペースもほぼないほどの、単純に乗って遊ぶためのものだ。この無人島キャンプのレンタル品として存在しているものを借りているのだろうが、それに乗り込んで撮影をするというのはなかなかに難しいということは素人でもわかる。
「あれを使って皆さんを追っかけます。なのでね、我々も一応仕事はすると。あ、釣りの人は自分で撮影してくださいね」
「仕事するのはいいけどよ、これ魚……っていうか食材取れなかったらマジで何も飯ないのか?」
「最悪は。なので司会役とカメラマンも皆さんがやる気を出せるように適度にヤジを飛ばしていくのであしからず」
「ヤジっつったよこいつ。いやマジで……タガやん!マジで頼むぞ!お前に今日の晩飯がかかってるんだからな!」
タガやんと呼ばれた、この場で一番マシな装備を身につけている人物、多賀屋代が非常に複雑な表情をする。
夕食がかかっていると言われても、素潜りで、しかも銛を使った経験など欠片もない。
というかこの中で、素潜りで食材をとった経験のあるものなどいない。全員が完全なる素人だ。釣りをしたことがある人物すらいない。
そのためこの道具一式をレンタル、レンタルしたのはウェットスーツやゴーグル、釣り道具や銛などでタンクトップや和服などは適当に買ってきたものだが、した時にスタッフは非常に不安そうにしていた。
実は先程からカメラに映らないように、少し離れた場所でスタッフが様子を見ていたりする。
万が一溺れていたらすぐにでも助けられるように準備をするべきか迷うところでもあるようだった。
そしてさらに離れた場所には家族連れの小暮一家が準備運動をしている。今日はこの二つのグループが海で過ごすようだった。
「ちなみにですね、この辺りで取れる魚としては、まぁ有名なアジ、スズキ、メジナなどを始め、いろいろな魚がとれるし釣れるということです。なのでもしかしたら食べきれないほどの大漁になるかもしれませんね!?」
「どの口が言うんだよこいつ。でもマジで気合入れていかないと俺の場合溺れるからな……」
「いや別に溺れてもいいんだけど怪我だけはしないで。問題になるから」
「お前人をなんだと思ってんだこの野郎!いい加減グーで行くぞ!」
「いや真面目な話さ?君ら自分たちの晩御飯のことばっかり考えてるかもしれないけどさ?たくさん取ってきたらそれこそ他のグループの皆さんにおすそ分けだってできるわけですよ。特に鯖井さんにはお返しをしたい!手伝ってもらったし助けてもらってんだからちょっとはおすそ分けをしたい!そう思わない?」
「……いやまぁ……それは思うけどよ」
鯖井に何度も手伝ってもらった側としては、こういう形で何か返しておきたいと思うのが人情というものだ。それは否定しない。
「やる前からできないなんて言ってたら魚も捕まってくれないよ!やるならやる気出していこうぜ!たくさん取って食い切れねえよってくらい捕まえておすそ分けしてやろうぜ!」
「……仕方がない。鯖井さんのためだ!やろう!」
「……よっしゃ!やるか!」
「頑張って魚取るぞ!」
「「「「「おー!」」」」」
「晩飯豪華にするぞ!」
「「「「「おー!!」」」」」
「取れ高取るぞ!」
「「「「「おー!!!」」」」」
司会やカメラ係も全員が一丸となって気合を入れて野太い掛け声を出す。それを遠くで見ていた小暮一家の長女は不思議そうな顔をしていた。
「ねぇお母さん。あの人たちなにやってるの?」
「えっと、みんなでお魚取ろうって言ってるのよ」
「へー……なんで?」
「それは……えっと……」
どう説明するのが一番わかるだろうかと、一瞬頭を悩ませてしまった母親の胸中など彼らは知る由もない。
見てはいけませんというべきだっただろうかと、少しだけ迷ってしまったのはまた別の話である。
海に駆り出した彼らはさっそく海の洗礼を受けていた。
波によって岩肌に打ち上げられた人間が二人。それはウェットスーツなどの本格的な装備と、なんちゃって海女の格好をした二人だった。
常に揺れる波。そして海に潜って行動し続けることがこれほどまでに体力を消耗するとは思わなかったのだろう。
ウェットスーツを着ている方はまだましだが、なんちゃって海女の格好をしている方は海水に体温を奪われ続け、体力の限界に達しようとしていた。
二人が海で活動している時間は一時間も経っていない。だがそれでも十分すぎるほどに二人は消耗していた。
「やばい……海舐めてた……これは死ぬ……」
「あいつら俺らを殺す気だよ……ってか主に俺を殺す気だよ……マジ、キツイ」
夏であるために海水の温度も上がっているはずなのだが、常に水の中にいるのと適度に外に出るのでは体温の回復の具合が全く違う。
その辺りを理解していない彼らは、一時間ずっと水の中で行動し続け体力を奪われる結果となったのだ。
「ちょいちょい、君らやる気ある?まだ魚もほとんどとれてないじゃん!海女もどきに至っては海藻と貝しか取れてないぞ!君らそれでも配信者か!取れ高作ろうって気概はないのか!」
「……あいつマジで殺そうぜ……!今なら殺しても許されるだろあいつ……!」
「落ち着いて。まずは海から上がって体力回復しよう。でも、少しは魚も取れたし」
網の中には二匹のそれなりに大きな魚と、少し小ぶりなタコが入っている。幸いにも取ることができた貴重な食材だ。
少なくとも今夜の夕食が何もないという事態は避けられたといえるだろう。
「っていうか、そっちもそっちでいろいろとってるじゃん。海藻とか、貝?とか」
「それしか取るもんがねえんだよ。くっそ、俺も銛があればもうちょっと違ったんだけどな」
なんちゃって海女の方はタライの中にいくつもの貝と海藻を入れている。同じように海の底で取れたものだ。
五人分の夕食に足りるとは思えないが、少なくともまったく食べ物がないという状況だけは脱することができている。
「おい!この調子だと俺らマジで死ぬぞ!午後はさすがに海は勘弁しろ!」
「まったくしょうがないな……君ら貧弱すぎません?あれだな、無人島から帰ったら筋トレ企画やろう。あまりにも体力がなさすぎる」
「海の中に入ってから言ってよね。結構きついよ?」
「こっちだってきついぞ!小さな波でもふらふらするからめっちゃ気持ち悪い!酔う!早く陸に戻りたい!」
「お前だってやられてんじゃねえか!そんな状態でよく俺らの事貧弱だのなんだの言えたな!いったん戻ろう……充分撮影はしただろ?食材は……まだまだ足りなさそうだけど」
「まったくだよ。釣りの方はどうかな?様子見てみるか。ほれ行くぞ!時間は待ってくれないんだから!」
「はいはい……っていうかあいつが釣ってなかったら俺らの晩飯すごく寂しいことにならないか?」
「可能性あるなぁ……その場合はスタッフさんから買おうぜ」
船で先行する二人を追いかけるように泳いでいくと、そこには今まさに魚を釣り上げているタンクトップ麦わら帽子の人物がいた。
バケツの中にはすでに五匹ほどの、大小問わずの魚がいる。
「おぉー!五匹もいるじゃん!ってことはそれ六匹目か!やるな麦わら!」
「マジか!ちゃんと撮影できてる?できてる!やったな麦わら!」
「やめてくれない!?麦わら呼ばわりはいろいろとまずいからやめてくれない!?っていうかお前らまさか坊主?」
「ざっけんな。こっちだって取るには取ったっての。ただ滅茶苦茶疲れた。海に潜り続けるってすごい疲れる。こんなに疲れるもんなんだな」
「こっちは暑いよ。ずっと日差しの下なんだからさ。午後はもうちょっと涼しいところに行きたい」
「もう君たち我儘だな。それじゃ午後は山に行く?日陰もたくさんあるし、池もあるって話だし?そこで釣りする?」
「あー、それいいな。池で釣りしよう。昨日、えっと、ま、まで……あの怪しい人も魚取ってたし」
「万里小路さんな。いい加減覚えろよ。あんだけ特徴的な名前なんだから」
「本名ではなさそうだけどな。まぁいいじゃん。午後は行ってみようぜ。というかその前に昼飯!腹減った……おい昼飯はどうするんだ?まさかなしとか言わないよな?」
「大丈夫。俺らも腹減ったから飯にしよう。けど簡単なものでいいだろ?カップラーメンとかそう言うのにしよう。午後頑張って夕食は豪華にすればいいだろ」
「確かに。ササッと食べて休憩してからいこう。そうじゃねえと持たねえよ。っていうか、お前の釣ったこれ、食えるの?」
「人の事言えるかよ。お前のその……海藻?食えるの?」
「そう言うのも含めてアウトドアだ!鯖井さんに見てもらえばたぶんわかるはず!いろいろと聞いてみようぜ!」
「またそうやって鯖井さんの負担を増やす。一番いい魚を鯖井さんにおすそ分けするのは確定だな」
「ウニとか取ってくればよかったのに。おい海女もどき、今からでも潜ってウニたくさん取って来い」
「殺すぞ」
まだ正午にはなっていないが、体力の限界を感じた五人はわいわい騒ぎながら一旦ベースキャンプに戻ることにしていた。