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006 朝のほんのわずかな静寂

 キャンプ二日目。初めて無人島で夜を明かした者たちはゆっくりと、何度か経験のあるものは日が昇るのとほぼ同時に動き出していた。


 真っ先に動き出していたのは鯖井だ。あらかじめ用意していた薪に火をつけ、浅野珈琲を飲むために湯を沸かし、夏ではあるのだが僅かに肌寒さを感じる早朝の空気を感じながらゆっくりと時間が過ぎるのを待っていた。


 僅かに木々の間を吹き抜ける風が、潮風と共に周囲にある木々や土、草木の香りを届けてくれる。


 小鳥の囀りが、すでに朝になったのだと告げる中、沸いた湯を使ってコーヒーを淹れる。


 こんなところで大したものはできないためにインスタントではある。だがコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる度に、体の内から満たされるものを感じる。


 強い熱を帯びたカップを手に、椅子に深く腰掛けると、コーヒーを口の中に流し込む。


 苦み、そして酸味。何より香りが口から鼻へと伝わっていく。熱が口から喉へ、そして腹の中へと落ち込んでいくところで、鯖井はゆっくりと息を吐く。


 一分、二分、コーヒーを飲みながら放心して、いったいどれほど経っただろう。カップの中に入ったコーヒーが無くなったところで、鯖井はゆっくりと人息を吐きながら朝食の準備を始めようとする。


 そんな時、少し離れた別のブースのテントから万里小路が出てくる。


「おや、早いですね」


 既にはっきりと目は冷めているようで、その口からは凛とした声を放っていた。昨日と同じ、ワイシャツにスーツ、そして輪袈裟と数珠を身に着けた独特の格好で大きく伸びをする。


「えぇ。朝のこの時間が、また最高なんです……よろしければ、一杯どうです?」


「いいんですか?それでは……遠慮なく」


 鯖井は紙コップを用意すると、コーヒーを淹れていく。香ばしいコーヒー独特の匂いが辺りに漂う。ここが室内であったなら、きっと辺りはコーヒーの匂いでいっぱいになっていたことだろう。


 だがその匂いも、僅かに湿気を帯びた木々の香りに紛れていく。


「あぁ、とてもいいですね。美味しいです」


「インスタントですが、こういう雰囲気が、また美味しさを引き立てるんです。キャンプに来て、一番好きなシチュエーションは、こういう朝のひと時かもしれません」


 ゆっくりとした時間が過ぎていく。コーヒーを二度、三度と口の中に流し込み、万里小路は大きく息を吐いて満足したように笑みを作る。


「ご馳走様でした。いや、良いものをいただきました」


「なに、大したものではありませんよ」


 日が昇り始め、徐々に気温も高くなってきている。今日は一日なにをして過ごそうか。鯖井がそんなことを考えながら朝食の準備を進めている中、万里小路はテントやベースキャンプから離れていく。


「もう出歩かれるんですか?」


「えぇ。今日は一日山にいようと思います。こういう場所に来られるのは、なかなか貴重ですからね」


「……そうですか。気を付けてください。何かあれば無線で連絡を」


「ありがとうございます。では」


 万里小路はそれだけを言って山の方へと向かっていった。


 一体山で何をしているのか。朝食もとらずに山に向かった万里小路の向かった先を見ながら朝食を用意する。


 朝食といっても、食材として用意してあったパンにウィンナーを焼いて、目玉焼きと一緒に食べるというシンプルなものだ。湯を使って簡単なコンソメスープも用意してある。


 軽く塩コショウをふって食べることで、塩気と胡椒独特の香りと辛さが口の中一杯に広がっていく。

 半熟の卵の黄身がその辛味を和らげ、また味に深みを与えてくれる。


 コンソメスープの香りと味が、舌から喉、そして腹へ熱を伝えながら力を内側から湧き上がらせるかのようだった。


 今日は天気もいいから海に釣りにでも行こうかと、朝食を食べつつ考えているところで残ったテントから動画投稿者のグループの一人、司会役をしていた葛飾という人物がゆっくりとテントから出てくる。


 大きな欠伸を一つ二つと出しながら、まだ糸のように細い瞼をこする。そして大きく伸びをしたところで鯖井の存在に気付いたのだろう。


「わぁいい匂い……鯖井さんおはようございます。早いですね」


「ははは。こういう時はのんびりするほうが正解ですよ。皆さんはもう起きられたんですか?」


「いいえ、まだいびきかいてますよ。今……あぁ、まだ6時か。でも昨日も早く寝たから、こんなもんなのかな?鯖井さんは何時に起きたんです?」


「さぁ?こういうサバイバルの時は、帰る時以外は時計は気にしないようにしているんです。そのほうが、ゆっくりすごせる気がしましてね」


「あぁ、良いですねそれ。なんか、大人の余裕って感じ!渋い!」


「そんな大したものではありませんよ。あぁ、良ければコーヒーでもどうです?」


「え?良いんですか?あざっす!」


 少し話して目が覚めたのか、葛飾は笑いながら鯖井からコーヒーを貰っていた。


 一口、二口飲む度に体の中から漏れ出るようなため息を吐き、満足そうに笑っている。


 この人達は見ていて楽しいなと、鯖井は内心苦笑していた。


「おっし!目ぇ覚めた!こっちも火つけたりしてきますね。コーヒーご馳走様でした!」


 葛飾が目をはっきりと目を覚ましたころ、ロッジの方からも人が出てくる。家族連れの小暮だった。子供たちに引っ張られ、急かされるように外に出てきている。とはいえ、まだ両親の方は眠そうだった。


 無理もない、子供たちに付き合って遊び回っていたのだから。


 子供の体力というのは不思議なもので完全にゼロになるまでは動き続けられる。そして唐突に体力がゼロになった瞬間に電池が切れたように眠ってしまうのだ。


 そんな子供に振り回されていては親も大変だろうと、鯖井は朝食を終えて苦笑していた。


 葛飾が火をつけたあたりで残りの配信者メンバーが起きてきて、さっさと仕事をするように急かされている。


 最後に起きてきたのは二人組の阿部と勝府のカップルだ。のんびりと欠伸をしながら二人一緒に出てきている。


 なんというか、一気に騒がしさが出てきたことで朝の静かな雰囲気は一気になくなってしまっていた。


 これもまたキャンプの醍醐味と、鯖井は小さく微笑む。


「ほらほら君達さぁ、いつまで寝ぼけてんの。こっちはもう火おこし間で終わってんだよ?早く朝食作る!ほら寝ぼけてんな!」


「あー……いや、寝れたけどさ……なんか昨日俺のこと蹴った奴いなかった?何度かそれで起こされたんだけど」


「寝ぼけてたんだろ?さ、撮影始めるか。朝食食べるシーンから撮るから、それまではのんびりやろうぜ……ってか今何時?」


「もう7時過ぎ。あともうちょっとで8時だ。今日は海行って飯とってこなきゃいけないんだから、ちゃっちゃと支度しろ」


「うるせぇ……お前なんでそんなに元気なんだよ」


「ふふふ……早起きは三文の徳ってな。朝一でいい事あったし」


 コーヒーをご馳走してもらったことを言っているのだと、鯖井も何となくわかって苦笑してしまう。


 まだ完全に目を覚ましていないメンバーの尻を叩きながら、動画配信者チームは簡単に朝食を作っていく。

 といっても、本当に簡単なものだ。スタッフからパンとハムやソーセージ、ベーコンや野菜などを貰ってそれらを焼いて食べるだけ。


 彼らにそこまでのアウトドアのスキルはないため鯖井の朝食に比べれば見劣りしてしまう。だがそれもまたアウトドアだ。


「えー諸君。おはようございます。無人島キャンプ二日目!今日は君たちに、晩御飯のおかずをとってきてもらいます。方法はこちら!銛!釣り!これらを使って君達には魚や海の食材をたくさんとってきてもらいますので!よろしくお願いします」


「マジでさ、テレビじゃないんだからそこまで気合入れなくてもよくない?普通にキャンプじゃダメなの?」


「馬鹿垂れこのスカタン。せっかく無人島にまで来てるのに何生ぬるい事言ってんだよ!お前らはとっとと俺らの為に魚取ってくりゃいいんだよ!俺らビール飲んで待ってるから!」


「お前も来るんだよ!絶対逃がさないからな!」


「お前らも一緒に海に行って魚釣ろうぜ!何なら貝とかそう言うのでもいいんだろ?とにかく食えればいいんだ!」


 あぁでもないこうでもないと、五人は再び騒ぎ出す。今日もこんな感じなのだろうなと、鯖井はコーヒーを飲みながら笑っていた。



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