016 終わりを告げる音
「ま、まだ、まだかキャンプは!?」
「もうちょ、もうちょっとのはず!こっちであってるよね!?」
『大丈夫よ。このまま、あと少しで到着するわ』
小暮の子供を抱えた鹿目と葛飾の二人は全力で森を疾走していた。もう近くでしゃべる謎の白い何かの存在など意に介してもいない。むしろ頼りになるおしゃべりなカーナビ程度にしか考えていなかった。
周りに湧いて出ている獣たちは二人に襲い掛かるよりも早く、続いて飛んできている炎の蛇に即座に飲まれて行っている。もはやその大きさは蛇というにはあまりにも大きすぎるものになってしまっているが、二人はそんなことを気にしている余裕はなかった。
とにもかくにもこの子供をキャンプに無事に送り届ける。それが今何よりも重要視されることだ。
万里小路がどうなるかもわからないのだ。おそらくは大丈夫だと思いたいが、それでもこの子が無事でいることは何よりも大事なことでもある。
『見えたわ。火の光よ』
「ようやくか!ようやくか!」
「よっしゃああ!生き残ったぁぁ!俺らは帰ってきたぞおおお!」
二人のその叫びを聞いたからか、少し遠くの方から誰かを呼ぶような声が聞こえてくる。それが二人のよく知る配信者仲間であるということを理解して自然と二人の走る速度は上がっていく。
あまりにも速度を出し過ぎてしまったせいか、何度か躓きそうになるが二人はそれでも走る。
草木をかき分けてベースキャンプの近くまでやってくると、そこで集まっていた面々が鹿目と葛飾を迎えてくれていた。
「おおぉぉぉおお!無事だったか!」
「あ!その子!大丈夫だったのか!?」
「あぁ!?あぁ!?よか、よかった……!よかった!本当に、本当に……!」
二人が連れてきた子供を父親である小暮が抱き上げる。
一見すると毛が一つない我が子に、心底安心しているのか、二人から子供を受け取るともう話さないとでもいうかのように強く強く、だが傷つけることのないようにその体を抱きしめていた。
「お二人とも、万里小路さんは?」
「え?あぁ、あの人、あの人は……ゲホ!ゴホ!」
「た、たぶん、大丈夫。あの人、死ぬ気が、しないから……!ぅぅぉおえ!」
あまりに長い距離を全力疾走し続けたせいか、鹿目と葛飾の二人はむせ返り、まともに喋ることもできていなかった。
だがまだ気を付けなければいけないことがある。それは二人についてきたあの白い何かと炎の蛇だ。
白い何かは、未だに二人の近く、もっと言えばあの子供の近くにいる。だが炎の蛇はこの辺りに見つけることはできなかった。少なくとも霧のせいで遠くまで見渡すことができないため、見つけられる範囲には存在していない。
「ちょ、ちょっと待って、なぁ!万里小路さん無事なの?そういうのわからないのか?」
「……え?わ、私ですか?」
「あぁ小暮さんじゃなくて……えっと……説明が難しい!そこの白いの!えっと……そうだ、ミサキさん!?この後どうすりゃいいわけ!?」
鹿目と葛飾が子供の近くを漂う白い何かに話しかける。だがその白い何かをほかの面々は見ることができていないのだろう。その場にいた全員が二人に対して怪訝な表情をしてしまっていた。
「おい、二人とも、大丈夫か?頭、打ったとか?それとも酸欠か?深呼吸しろよ?」
「いや俺ら頭がおかしくなったわけじゃなくて!そこにいるんだよ!なんていうのか……俺らもボヤッとしか見えないんだけどさ!見えないのか!?」
鹿目が指さしているのは小暮の子供の一メートルほど離れた空中だ。当然その辺りには何もない。強いて言えば辺りに立ち込めている霧があるくらいだ。そのさらに先にはロフトなど、ベースキャンプの施設がある。
一件何もない空中を示す鹿目に、全員が何やら気の毒そうな表情をする。疲れているのだとそう思いたいという考えが全員の表情から透けて見えるようだった。
「畜生!そんな目で見るな!いるんだってそこに!なんか、なんか万里小路さんと一緒にいた?なんか変なのが!」
「……万里小路さんは、ここにはおひとりで来ていたと思いますが……」
「そうなんですけど!そうなんですけど!」
「おい鹿目、あの火の蛇見せればまだ信じられるんじゃね?あれは見えないってことはないだろ?」
「そうだ!あのでかいの見せればさすがに」
鹿目が森の奥、先ほどまで自分たちがいた方角に目を向ける。その瞬間、辺りに僅かな振動のような、鼓動のような空気の揺らめきが起きる。
そして大きく風が巻き起こっていく。山の中心めがけて、万里小路のいるあの洞窟目掛けて、周りの霧全てを連れていくかのような穏やかではあるが確かに流れる、早歩きをしているかのような風が辺りを満たし蠢く。
『あぁ、終わったみたいよ?もう大丈夫』
不意に聞こえてきた、先ほどまで自分たちを誘導してくれた声に鹿目と葛飾は大きく反応する。
「え?終わった?何が!?」
「ちょ!終わり!?終わりって?」
『あっちで仕事が終わったってことよ。もう、変なことに巻き込まれることもないわ。安心しなさいな』
安心しろと一言で言われても、そう簡単に信じられるはずもない。だが、その言葉を証明するかのように辺りに満ちていた霧は取り払われていく。徐々に薄くなり、そしてやがて木々の切れ目から夏の日差しを強調するような日差しが降り注ぎ始めていた。
少し開けたベースキャンプではその変化は顕著に表れていた。雲の切れ目に入ったかのように太陽の光が入り込む。光をさえぎっていたものが無くなっていくのが目で見えるほどにはっきりと、海の方から太陽の光が島の中心めがけて広がっていく。
「もう、大丈夫なの?本当に?」
『えぇ、あともう少ししたら、たぶん戻ってくるわ。そうしたら、またただのキャンプに戻れるわよ』
「……マジか……よかったぁ…………!!」
二人はどこからか聞こえてくるその声と降り注ぐ太陽の中、力なくその場に座り込んでしまう。先ほどまでの緊張感もどこへやら、その強張りは一切なくなり全身の力を抜いてしまっていた。
「おい二人とも、マジで大丈夫か?」
「……え?あぁ、うん……もう大丈夫だって」
「あと、しばらくしたら万里小路さんも戻ってくるってよ……あー!よかったぁ……」
あの場に残してきた万里小路が無事であったこと、そしてこの一件の騒動が終わりを迎えたことに、鹿目と葛飾は心底安堵していた。
これで、この奇妙な体験も終わる。
少しだけ、本当に少しだけ残念な気がしなくもない。特に万里小路の活躍を映像に残せなかったのは痛恨のミスだった。
だが、同時にそれを残しておかなくてよかったと、そうも思ってしまう。
真上に登った太陽が、もうすでに昼近い時間になっていることを示し、二人は緊張が解けたからか、腹から大きく空腹を知らせる音を鳴らしていた。
何もない空中に話しかけ、なおかついきなり脱力して安心しだした二人を休ませるべく、キャンプに残っていた面々はそれぞれ食事を用意したり、二人を安静にさせようとしたりと気を回していた。
本人たちからすれば、そんな必要はないと突っぱねるところではあるのだが、おそらく言っても信じてもらえないだろうというあきらめの方が先に来てしまい、もうなるようになれという、今日何度目かのやけくそ感を抱きながら用意してもらった昼食に舌鼓を打っていた。
「おや、いい匂いですね。私の分もまだあるでしょうか?」
そんな状態を知ってか知らずか、山の方から少しだけ疲れた表情を見せた万里小路が草木をかき分けて戻ってくる。
「万里小路さん!あぁ無事でよかった!お二人が先に戻ってこられたのに、一人だけ戻ってこないから心配してたんですよ」
「申し訳ありません。少々野暮用を片づけていましたもので……っと」
朗らかな笑みを浮かべながらも、万里小路の腹からも空腹を知らせる音が鳴る。
それを聞いて、その場にいた全員が笑ってしまっていた。これで終わったのだ。誰もが何となく、それを理解していた。




