014 何よりも大事なこと
「そんな!私たちだけここに残るなんてできません!」
一方その頃、ようやく目を覚ました小暮一家は子供が一人いなくなっているという事実に慌てふためき、すぐにでも探しに行こうとして他の参加者やスタッフに止められていた。
普段ならまだ寝ている時間だろう。だがキャンプということもあり、真っ先に目を覚ました子供が起きたことで親も一緒に起きることになったのだ。
その結果、一人子供がいないということに気付いたのである。
「落ち着いてください!この霧の中で出ていったら戻ってこられません!それに!昨日見たあの動物だっているかもしれないんです!」
「ならなおさらすぐに探しに行かないと!子供一人でどこに行くかもわからないのに!」
「落ち着きなさい。まずは状況確認だ。この霧の中で島を探しても、遭難するだけだ」
「そうっすよ!うちのメンバーと万里小路さんが探しに行ってますから!お父さんお母さんが怖い顔してると、子供も不安になっちゃいますって」
母親は焦っているが、父親はまだ冷静さを保てているようだった。ただ、やはり心配なのだろうか、その顔には不安の色が濃い。
そんな二人を見てひとり残っている子供が確かに怖そうに物陰に隠れてしまっていた。
そんな中、鯖井が全員分のコーヒーを作って持ってきてくれる。
「どうか皆さん落ち着いて。まずはこれでも飲んでひとまず落ち着きましょう。現状、我々にできることは待つことだけです。落ち着くというのはできないかもしれませんが、それならば、これから探しに行くための準備をするべきでは?」
「鯖井さん、それはいくら何でも」
「先ほどスタッフの方が言ったように、この霧です。霧が出ている間は捜索は辞めたほうがいいでしょう。それまで我々ができることは、栄養補給と、いつでも探しに行けるように態勢を整えることです。違いますか?」
霧が出ている状態では外に出るのは難しい。何より、鯖井はこの状況に置いてあの日から遠ざかることが危険であると直感的に理解している。
そのため、何とか穏便にこの場にとどまっていてほしかった。理由は何でもいい。食事でもいいし休憩でもいい。どんな内容でもいいからこの場にいる理由を作りたかった。
とはいえ、子供の身を案じる母親がそんな理性的な言葉で落ち着くとも思えない。そのため、最悪の場合は動けなくすることも視野に入れていた。
「でも……でもあの子、まだ怪我したままで……」
「大丈夫です。万里小路さんや鹿目さん、葛飾さんの三名が既に痕跡を追う形で行動しています。ここで待っていないと、もしかしたら入れ違いになってしまうかもしれません。まずは、待つべきです」
昨日獣に真っ向から立ち向かった万里小路が既に行動しているという事実。そして周りにはまだそういった動物がいるかもしれないという恐怖。だがそれ以上に子供を守らなければいけないという母親の使命感がせめぎ合っている。
とりあえず持ってきたコーヒーを渡して少しでも落ち着いてもらおうとする中、鯖井は少し困っていた。
このままではいずれ外に駆け出してしまうだろう。ただそうなればあの獣が再びやってくる可能性だってある。
そんなことになったらもう止められない。少なくとも獣相手にどうこうできるだけの状態ではないのだ。
理性的に考えれば待つのが正解なのだろうが、常に理性的でいられるほど人間はよくできていない。
「小暮さん、奥さんを落ち着かせる方法、何かありませんか?」
「といわれましても……私も可能ならば探しには行きたいくらいです……ただおっしゃるようにこの霧ですから……」
「捜索者が二人になるのは大変です。何とか奥さんを落ち着かせてあげてください。何か必要なものがあれば用意しますので……」
「はぁ……あ、それでは、飲み物と食事を。私が睡眠導入剤などを持ってきていますので、それを妻に飲ませてみましょう」
「それは……なかなか……」
「妻が暴走するよりはマシかと。それに落ち着いて寝られるのであれば、それが一番でしょう」
睡眠導入剤が必要なくらい精神的に不安定なのだろうかと、小暮の精神状態と身体状態のことを気にかけながら、鯖井は配信者メンバーを集めて話を始めていた。
「皆さん、まずは食事を作りましょう。何よりもお腹が空いていることが良くないですから」
「鯖井さん、小暮さんの奥さんはどうします?必要なら押さえておきますよ?」
「いえ、小暮さんが睡眠導入剤を持っているそうなので、それを混入させましょう。あまり良い手段ではありませんが」
「うぇ……それは何とも……」
「この状況で暴走されるよりはましだと。私も同意見です。皆さんは阿部さんたちと一緒に奥さんや小暮さんとそのお子さんをなだめてあげてください。私がその間に食事を作ります」
「うっす。任せてください。朝飯は何にします?」
「味噌汁に米、それとちょっとしたおかずです。漬物なんかもあるそうなので、おにぎりとかでもいいかもしれませんね」
「なら俺手伝いますよ。小暮さんのところにあんまりたくさんいても邪魔になるでしょうし。そっちの方が手伝えそうな気がします」
「ではお願いします。すいませんね」
「構いやしませんって。んじゃ俺らは阿部さんらと小暮さんのとこ行ってきますわ」
配信者メンバーと阿部と勝府の二人が小暮夫婦と子供をなだめている間に、スタッフが鯖井の方にやってくる。
「ありがとうございます。落ち着いている方がいてくれるとすごく助かります」
「いえいえ。申し訳ありませんが皆さんの分の食事を作りたいので、食材をいただけますか?それと、無線などはどうでしょう?昨日確認していたと思いますが」
「……それが、未だ通じず」
「…………そうですか……万里小路さんたちが戻ってきたら、一度対策を練らないといけませんね」
一体いつ戻ってくるのかはわからないが、既にベースキャンプを出発して一時間が経過しようとしている。
この島自体はそこまで大きくないが、山道を歩くとなればその分時間はかかってしまう。
いつ戻ってくるのかもわからない人間をいつまで待つことができるかもわかったものではない。
食事に睡眠導入剤を入れて母親を眠らせたとしてもそれにだって限度はあるのだ。
「申し訳ありません、皆さまにこのような思いをさせてしまって……」
スタッフの一人が申し訳なさそうに、そして不安そうにうつむく。それを見て鯖井はどうしたものかと少し悩んでから小さく息を吐く。
「アウトドアには危険がつきものです。それに今回のこれは皆さんのせいではないでしょう。スタッフの人が不安そうにしていると、なおのことその不安が広がります。皆さんは例えウソでも、毅然とした態度で、堂々と振舞ってください。それが仕事です」
それはスタッフとして参加している人間に対する叱咤であり激励でもあった。このような不条理な状況、彼らスタッフとしても全く予想すらしていなかっただろう。
予想できたとしても一体何ができるだろうか。このような摩訶不思議な状態になってしまって、常人にできることはたかが知れている。
だが、その中でも重要なことがある。それは不安をばらまかないことだ。
不安というのは伝染する。そしてその不安は恐怖を呼び、恐怖は恐慌へと変わり、恐慌は暴走を引き起こす。
無人島という閉鎖空間において、限られた人員しかいないこの状況において、一人でも混乱し暴走を引き起こせば歯止めが利かなくなる。
一人、二人、そしてまた一人と次々と精神に負担を強いられているものから順に壊れていくのだ。
それを防ぐためには、誰かが主柱とならなければならない。カリスマ的なリーダーシップとでも言えばいいだろうか。それを発揮するしかない。
この人がいれば大丈夫だという、そういう風になってもらうしかない。
スタッフは、いわばこの無人島を知り尽くしている人種だ。そんな人種が不安そうにしていれば、周りに不安がどんどん伝播する。
だからこそ、少しでも不安を和らげるためにも、スタッフには堂々としてもらわなければ困るのだ。
それが嘘でも構わない。例え本心では怯えていても、それを表に出さない。それがいま求められることなのだ。
「阿部さんたちも、不安を見せまいと明るく振舞ってくれています。皆さんが不安そうにしていてはそれを台無しにしてしまいます。どうか、少しでもいいですから、不安な様子を見せないようにしてください」
「…………わ、わかりました。努力します!」
このスタッフがどういう立場でこの無人島ツアーに取り組んでいるのかは不明だが、酷なことを言っているという自覚はある。
鯖井も少し気を抜いてしまえば恐怖が湧き出てくるのだ。だがそれでも、少しでも平静を保とうとする努力をしなければならない。
少なくとも万里小路に頼まれてしまったのだ。そしてあの炎の周りにいれば大丈夫だと言っていた万里小路の言葉を信じるほかになかった。
「まずは食事です。お腹が減ればその分不安もますでしょう。少しでも良い状況を作っておいて損はありません」
なにはともかく食事。それはどのような状況においても大事なことだ。
空腹のときは碌なことを考えることがない。それは極限な状況においても同じこと。まずは腹ごしらえをするべきだと、鯖井たちは料理を始めていた。




