013 殴ればわかること
三人が村落跡の端、または間に入ろうというところで、再び霧の向こうから赤い瞳が待っていた。
「まただ、またですよ万里小路さん。またやばいのが出る」
「これで何度目?もういい加減いやになってきた」
「お二人も慣れてきましたね。いい傾向です」
この村落を抜ける間にも何回も赤い目を光らせた獣に襲撃されているため、鹿目も葛飾ももう慣れっこになってしまっていた。
自分たちが何もできないということがわかっているからか、半ばあきらめたような様子で一応スコップと鉈を構える。
「また殴ります?それとも踏みつぶすんです?」
「それとも妙な術を使いますか?そのほうが格好いいですけど」
「それは光栄ですね。また別の術でも見せたいところですが……」
万里小路はそこまで言って目の前に迫ってきているその獣の全容を見据える。後ろで控えていた二人にも、目の前でゆっくりと起き上がったそれを見て、目を疑う。
「マジか、マジかよ。俺が見えてるのウソじゃない?」
「嘘だろ?いろいろありすぎて疲れたかな?これ無理だろ……」
「なるほど、これはなかなか」
三人の前には二足歩行で立ち上がり、大きく腕を掲げている大型の動物の姿がある。先ほどまでの四足歩行の獣と同じく、炎のような燃える体毛に加え、赤く光るその瞳を向けてきている。だがその大きさが桁違いだ。
先ほどまでの獣が中型犬から大型犬程度の、全長一メートル程度の大きさだったのに対し、今目の前にいる獣は全長二メートルを超えている。分厚く、幅もある。巨大な体を支える太い脚、振り上げられた腕の先にある鋭い爪。そして開かれた口の中から覗く牙。
その姿は、一見すればクマのようだ。
「死んだふりしとく?もしかしたら助かるかもよ?」
「やったらそのまま死ぬことになる方に一万賭けるわ」
「両方同じ方に賭けたら賭けにならないじゃんよ」
「では三人とも助かる方に私が賭けましょう」
自らを鼓舞するように拳をぶつけ合いながら前に出る万里小路に、二人は正気を疑ってしまっていた。
「待って待って待って万里小路さんまずいって!」
「クマは無理だよ!さすがにクマは無理だって!逃げよう!さっきの壁出して迂回しましょう!絶対そのほうがいい!」
動物の中でもクマは最上位の捕食者に値する。少なくとも人間が真正面から戦って勝てるような相手ではない。二人は前に進もうとする万里小路の腕を取って後ろに引きずろうとするが、猛進する隆起した筋肉は二人が押さえようとした程度では全く止まる気配がなかった。
「まぁまぁお二人とも落ち着いてください。大丈夫です」
「何が大丈夫なんですか!?目の前にクマがいて大丈夫って言える状況だと思ってます!?」
「大きいだけです。ただの張りぼてですよ」
「さっきの犬みたいのだってやばかったじゃないですか!?感覚麻痺してたのが戻りましたよ!逃げましょう!?絶対に勝てませんって!」
「勝てないかどうかは殴ってみればわかることですよ!」
振り上げられていた腕が鋭い爪を伴って万里小路に襲い掛かる瞬間、二人を後方に突き飛ばし、同時に拳を振り上げ迎撃する。
腕と拳がぶつかり合い、周囲の霧を衝撃波で吹き飛ばしていく中、拳と腕、どちらが勝ったかといえば、勝利したのは万里小路の拳だった。
クマのような獣は腕ごと大きく後方に弾かれるように尻もちをついてしまう。
その様子を見て鹿目と葛飾は今日何度目か自分の目を疑う。
クマサイズの獣と人間が戦ってどちらが勝つかなど、考えるまでもない。論じるまでもなく獣の方が勝つ。どう考えてもそうなるはずなのに目の前にある結果が違うのだ。
一体何がどうなっているのかもわからない。だが目の前にいる拳を突きだした状態の万里小路は、満足そうに大きく息を吐いていた。
「うんうん、やはり殴ってみればわかるものですね」
この人はやばい。ようやく二人はそれを理解していた。非常に丁寧で穏やかそうな性格に隠されたその暴力性を、ようやく垣間見ることによってその危険性を理解したのだ。
だが、万里小路の本当の危険性を、やばさを知るのはもう少し先だ。
尻もちをつかされた大型の獣はゆっくりと立ち上がる。その腕は先ほどの拳の一撃のせいか、霧散してしまっている。他の獣たちと同じように衝撃か、あるいは強い攻撃を当てられると霧散してしまうのだろう。
だが体ももう一つの腕もまだ残っている。まだまだ戦えるようだと警戒していると、周囲の霧が集まって弾き飛ばしたはずの腕が再び元に戻っていた。
「はぁ!?治るの!?ずるいぞ!」
「やばいですって!やっぱ迂回しましょう!?」
「迂回している暇はありません。このまま押し通ります」
再び襲い掛かる獣の腕を、万里小路は先ほどよりも深く踏み込んで殴り飛ばす。
結果は先ほどと同じだ。獣の腕が大きく弾かれ、腕を霧散させながらその体も同様に後方へと弾き飛ばされる。
だがここからは先ほどまでとは違った。クマが後方に弾かれたと同時に、万里小路はさらに踏み込んだ。
「治るのなら!」
踏み込んでその胴体目掛けて拳が振るわれる。深々と突き刺さった拳は、獣の体を更に霧散させる。
「治らなく!なるまで!」
胴体への攻撃により顔の位置が若干下がったところにすくい上げるように拳を叩き込む。アッパーに近い軌道で放たれた拳は獣の顎を直撃し、その顔を跳ね上げると同時に顎の部分を霧散させた。
「殴ればいい!」
ふらついた体めがけて、肩へ、腕へ、足へ、顔へ、次々と拳がめり込んでいく。拳が叩きつけられる度に、その体の一部が霧散していく。もはや動物虐待と見えてしまうような光景だが、大きな獣はまだ殺意をあきらめていなかった。
霧散しかけている腕を振り上げ、万里小路目掛けて振り下ろす。軽くこぶしを叩きつけただけで、その腕は完全に霧散してしまうが、その腕を振り下ろした勢いのまま、体ごとぶつけようと体当たりを仕掛けてきた。
拳では止められない。そう判断した万里小路は姿勢を低くし、両足にすべての力を込めながら獣の体を掴む。
体がぶつかる衝撃によって、踏ん張っていた地面が僅かにめり込むが、一メートルも押し込まれずにその場にとどまる。完全に力は拮抗しているように見えたが、この状態では万里小路は攻撃をすることができそうになかった。
「なるほど、なかなかしぶとい」
「や、やばいですって!顔!顔治って来てます!」
先程攻撃した顔は既に周りの霧を吸収して治ってきている。体を止められている状態でも、顔が治れば牙で攻撃できるという腹積もりだろう。だが万里小路とて何も考えずにこの状態になったわけではない。
「音の泉に住まう」
「やばい!顔!」
先程地面から生える刃を作り出した呪文を詠唱しようとする。だがすでに顔は治っている。その牙が万里小路の体に向けられた瞬間万里小路は数珠を強く握りしめる。
「以下省略!」
瞬間、万里小路の足元から先ほどのものと同じ無数の透明な刃が突出し、獣の体を貫いていく。
体中を串刺しにされた獣は、力なくその場に崩れ落ちていく。だがその腕は未だに万里小路の体にのしかかろうと力をかけていた。
その両腕を掴み、持ち上げてから一本背負いの要領で勢いよく地面に叩きつけるとその巨大な獣の体はかけらも残さずに霧散していく。
「さぁ進みましょう!まだまだ先は長いですよ」
「待って待って……さっきのなんすか!?以下省略って!あの詠唱みたいなの省略していいものなんですか!?」
「えぇ問題はありませんよ。多少威力と効果範囲が狭くなるというデメリットはありますが、あぁいう場合であればさっさと潰してしまうほうがいいです。何より、今は急ぐ必要がありますからね」
そう言いながら万里小路は特に気にした様子もなく前へと進んでいく。当たりの霧は未だ濃い。少しでも離れてしまってはその姿を見失ってしまうことだろう。
「ま、待ってくださいって。でもこのまま進んでいいんですか?あの洞窟目指してるって言ってましたけど……」
「方角は大丈夫です。問題なのは時間です。ほら、また来ましたよ」
進む先の霧の向こうにはまた赤い二つの光が三人を捉えている。
明らかにこちらを見つめ、殺意を放っているのがよくわかる。
ここまで来るともう何でも来いという気持ちになってくるが、同時にこれ以上出てこないでくれという気分にもなってきていた。
再び万里小路の拳が振るわれるまで、あと五秒もなかった。




