001 いざ無人島へ
上を見上げれば青い空と巨大な白い雲。そして照り付ける太陽。横を見れば大海原。背後には先ほど自分たちがいたはずの港がもうすでに遠く小さくなって、人の住んでいた場所からどんどんと離れていくという実感を強くさせる。
波を乗り越える度に船は大きく揺れ、乗っているすべてのものにこの大海原の雄大さを伝え、風が吹く度に磯の香りが全員の鼻腔をくすぐり、母なる海の存在を大いに感じさせてくれる。
夏真っ盛りの八月某日。数人の人を乗せた中型の船舶は、海に軌跡を残しながら高速で進み続ける。
一つの波を越える度に船が飛沫を作り、乗っている者たちに僅かな水気を与えていた。その様相は一種のアトラクションのようでもある。
飛沫が上がり、照り付ける太陽が反射する様子を見て船に乗っていた一人の女性が隣にいる男性の腕を掴む。
「やば!めっちゃ綺麗じゃん!」
「やべーテンション上がってくんな!無人島とかマジサバイバル。俺ら野獣になっちゃうかもよ?」
「野獣になんのはテントの中だけにしてよね。あたし外とか無理ぃ」
「解放的になろーぜ?たまにはいいじゃん?お!あれじゃね?これから行く無人島」
船に乗っている一組のカップルはこれから行く場所、船の進行方向の先に見える一つの島を見つける。
その言葉に気付いたのか、他の乗客たちも船の進行方向に意識を向けていた。
「お父さん!島見えたよ!」
「あぁ、良い場所だな。すごくきれいじゃないか」
「見えない!あたし見えない!」
「よし、肩車だ。これで見えたか?」
「きれー!すごくきれー!」
「あ!ずるい!ぼくも!」
「こら、喧嘩しないの」
船首にて二人の子供を連れた夫婦は、子供たちの相手をしながらこれから向かうであろう無人島の方に目を向けて楽しそうに笑っている。
微笑ましい光景の少し離れた場所。この船の上部デッキ部分で携帯を掲げて動画を掲げている男性は、船首にいる家族の様子を微笑ましく眺めながらも自分がこれから向かう無人島に対して解説を続けている他のメンバーの様子を撮影し続けていた。
それぞれ軽装で、程よく日焼けしている者もいれば、逆に白い肌を晒している者もいる。いかにも夏を満喫しているという風体をしていた。
「さて、それでは前回の相撲大会でまさかの敗北をしてしまったお三方には、今回!罰ゲームとして!無人島で三泊四日のサバイバル生活を送っていただきます!」
「マジかよ!無人島?え?無人島!?」
「なんか滅茶苦茶道具持たされたと思ったらそう言うこと!?サバイバルしろって事!?」
「三日とか死なない?大丈夫?死なない?」
「大丈夫!今回我々は株式会社YYグループさんの提供している無人島キャンプツアーに参加しています。安全面は確保済みでございます!ただし!安全確保してあるのは僕たち裏方だけなので、君達はガチのサバイバルをやってもらいます!」
「ふざけんな!お前もやれよサバイバル!何一人で楽しようとしてんだ!え?マジでサバイバル!?」
「えー、株式会社YYグループさんから提供していただけるのは、ベースキャンプにあります道具一式。これは参加する全員の人数分最低限ございます。それと三つ、ロッジがございます。一部の方はそちらで寝泊まりをするという形になりますね」
「ちょっと待って、三日?三日!?その間の飲食は全部?」
「自給自足でございます。頑張ってね。ビール片手に応援してる。いい感じのテロップを未来の俺が編集でつけてくれるから」
「だからお前もやれっての!せめて撮影しろ!飲んでんじゃねえよ!」
「うるせぇとにかくお前らは三日三晩サバイバルしてればいいんだよ!四の五の言わずにやれってんだ!」
「おいこいつ本性現したぞ!こいつの荷物漁れ!絶対要らねえもん持ってきてるぞ!」
「うわ!こいつマジでビール持ってきてやがる!没収だ没収こんなもん!」
「やめろお前ら!俺これがないとダメなんだって!」
「…………はい!掴みはこんなもんじゃね?わちゃわちゃ感あってオープニングの掴みはオッケーだろ」
撮影をしていた男性がオーケーを出すと、司会をしていた一人と、残りの三人が軽く返事をする。
僅かに揺れる上部デッキから見える島はどんどん近づいてきている。
「電波は通じねえんだろ?充電器とか発電機持ってきたか?」
「一応な。発電機はベースキャンプにもあるってことらしいけど、最低限しか使わねえからな?他のお客さんもいるし。あ、すいません騒がしくて」
撮影をしていた一人が申し訳なさそうに他にいた客に詫びる。そこにいるのは軽装ではあるがしっかりとアウトドア用の装備を身につけている男性だ。
「いやいや、こういう騒がしさもまた楽しいものですよ。必要なものがあったら言ってください。大抵の道具はもってきていますから」
「マジっすか!?ありがたいです。こっちもいろいろ準備はしてきたっすけど、何分素人なんで、わかんないことがあったら教えてほしいっす。その格好だと、アウトドアだいぶ慣れてるって感じっすね?」
「慣れてるって程でもないですよ。趣味なだけで。アウトドアは準備をしていないと悲惨なことになるから。逆に言えば、準備をしていれば全然問題はないですよ」
「おぉ……なんかベテランって感じっすねなんかあったらよろしくお願いします!」
配信道具を片づけながら、若者たちはベテランの風格漂う男性に頭を下げる。そんな中、片付けを終えた一人がふと客の一人の方に目を向けていた。
「……あっちの人は……どうなんだ?アウトドア……って感じじゃねえよな?」
その視線の先にいるのは、髪をオールバックにまとめ、サングラスをかけている男性だ。
半袖のワイシャツに、おそらくはスーツのものだと思われる黒いズボン。そして首からは妙な帯のようなもの、彼らはその名称を知らないが、僧侶などが身に着ける輪袈裟と呼ばれる奇妙な柄の帯を身に着けている。その腕にはかなり長めの数珠が身につけられており、手には指輪がいくつか見受けられる。靴は黒の革靴だ。手入れもされているのだろうしっかりと黒革独特の光沢が主張している。
体は筋肉質なのか、ワイシャツの下からでも主張する各部位の筋肉がよくわかる。肌も程よく焼けており、全体的に健康的な印象を与えていた。
荷物は小さな肩掛けかばん一つ。とてもアウトドアに使うようなものではない。
妙な格好のサラリーマンが迷い込んだのだと言われたほうがまだ信じられるような外見だった。
「……妙な格好だよな。確かにアウトドアって感じではないよな」
「話しかけてみろって。実はこのツアーの会社の人かもしれないだろ?」
「あー……そっか、営業の人とか?それはあるかも。聞いてみるか……」
配信者という人種だからか、彼らは好奇心に勝つことができずに外の景色を眺めている妙な格好の男性に話しかけることにしていた。
「あのー、すいません?」
「ん?どうしました?」
オールバックにサングラスというなかなか強気なファッションをしている割には、物腰柔らかで明るい声音であることに若者たちは少しだけ安堵していた。
声音やその顔から判断するに、年齢は二十代半ばといったところだろうか。
「俺ら動画撮影とかしながら無人島でキャンプする予定なんで、その、もし迷惑とかかけちゃったら嫌だなと思って。撮影とかそう言うのに映っても大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫ですよ。まぁ、そこまで私を大きく映すこともないでしょうから」
「すいません。なるべく迷惑はかけないようにするんで。ところで……その……お兄さんは……なにを、しに?」
普通であれば、この無人島キャンプのツアーに参加している時点でキャンプに行くのが当然なのだが、どうしてもそう聞かずにはいられない。
何せほかの人が全員アウトドア、最低でも割と動きやすい格好をしているのに対してこの人物だけがスーツに輪袈裟という奇妙すぎる格好をしているのだ。腕についている妙に長い数珠も非常にインパクトがある。
これでもしキャンプに行くのだと言おうものならこの人物の脳内がどこか暑さでやられてしまっていると思わずにはいられない。
「あぁ、私はキャンプではないんです。仕事みたいなものですね。あぁ名刺を渡したほうが分かりやすいでしょうか」
仕事と聞いて、やはりこのキャンプツアーの関係者なのではないかと思っていたが、渡された名刺を見て全員が一瞬目を丸くする。
本来であればシンプルであるはずの名刺には無駄に装飾が施されており、所属を示す文字は金色に輝いて『語部除御寺流混剛式祈祷術開発事務所第三課営業部係長 万里小路道満』と書かれていた。
「ご……かたりべ?ん?なん、なんて読むんですか?これ?」
「あぁ、テラージョージ流って読むんですよ。開祖が外国人でしてね。祈祷術を主に行っていまして。といっても、外国の流派やら日本の流派やらを取り込みすぎてもう本流がわからない状態になってしまっていますが」
つまりこの名刺には『語部除御寺流混剛式祈祷術開発事務所』と書かれているのだ。初見の人間にはまず読めないであろう読み方をしている。
何より、この名刺があまりにも胡散臭い。このような見ていると目がちかちかしてくるような名刺を持っている人間がこの世にいたのかと疑いたくなる。
「えっと……あとこれ。名前ですよね?なんて読むんです?」
「万里小路と読みます。万里小路道満と申します。今回はあの島に修業に来ていましてね」
「……修業?」
普段の生活では聞くことがないであろうその単語にその場の全員が一瞬きょとんとした表情を浮かべてしまう。
「えぇ、師匠からの紹介なんですが、今回の無人島は非常に修業に適していると。なんでも気が満ちているということらしいんです。あ、気というのは空間に存在している力のようなもので」
その辺りの説明を始めたところから、配信者の人間は『この人物に関わってはいけない!』と全員が想いを同じくしていた。
延々と気や自分が身につけている術などの説明を話しているあたりで、話を聞いていたカメラマン役の男性は申し訳なさそうに引き攣った笑顔を作って話を遮った。
「す、すいません、専門的なことわかんなくて……とにかくよろしくお願いします。迷惑かけないようにはしますんで」
「あ……えぇ、基本的に山の方をふらふらしていると思いますので、大丈夫だと思いますが」
物腰は柔らかなのだが、その柔らかなところがまた妙に恐ろしい。いかにも怪しい、胡散臭い宗教家に付き合っていると面倒なことになりかねないのは何となくわかっていた。
「おいどうする?あんなのいるって思わなかったじゃん。島の内側散策する企画の方、やめとくか?」
「んー……いや、さすがにいきなり遭遇するとかはねえだろ。島だってそれなりに広いだろうしさ。出会ったら……クマにでもあったと思え」
「スタコラサッサで逃げる自信あるな。見た目は……ヤンキーっぽいのになぁ?」
サングラスにオールバック。程よく焼けた肌にしっかりと筋肉を搭載した肉体。ほとんどスーツ姿ということもあってやんちゃしているサラリーマンのように見えなくもない。
だがなんというか、あまりにも先ほどの自己紹介の灰汁が強い。
可能ならばキャンプをしている最中に深くかかわることがありませんようにと、動画配信者たちはひそかに祈っていた。




