<第3話 そして新世界へ>
今回から異世界でのお話に移ります。
白い光に飲まれた俺が目を覚ましたのは、陽の光も疎らにしか入らないような森の中だった。
何処か高い場所から放り出されたのか、全身が軋むように痛む。
まず自身の周囲を見渡した。
森、森、森、そして見慣れたスーツ姿の自分とくたびれたビジネスバッグ。
(死んだ時の格好そのまんまかよ……)
まずは状況分析。
武器や防具の類は無い。
隣には同じく転生したであろう少女が眠っている。
今いる場所は何処かの森で、それも恐らく簡単に抜け出せるような場所ではない。
日の入り方を見ればある程度は分かる。
これは木々が生い茂るような森林の深い場所だろう。
(とりあえず……)
未だ隣で寝息を立てている少女を起こさなくてはならない。
今は鳥の囀りと虫の声が響くだけの静かな森の中ではあるが、ここは異世界だ。
何か予想もつかないような危険が訪れてもおかしくはない。
まず思い浮かぶのは魔物の存在だが、この装備では野生動物に襲われるだけでも命が危ういだろう。
「おーい、異世界、着いたみたいだぞ」
俺は軽く肩を叩きながら声を掛ける。
すると、ややあって少女が目を覚ました。
「ひゃ、誰っ!?」
「寝起きで目の前にオッサンがいたらそりゃ驚くか……。さっき女神の空間で一緒だっただろ。覚えてないか?」
「あ、そういえば……。すみません、急で驚いてしまって……。ここは、もう異世界なんですか?」
「ああ、多分な。とりあえず、立てるか?」
目を覚ました少女とそんなやり取りをする。
先に立ち上がった俺は、座り込んだままの少女に手を差し伸べた。
「あ、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
「そりゃ良かった。俺は塩谷 勇輝。27歳で会社員やってた。まぁ、成り行きだけどよろしく頼むわ」
「……あれ、思ったより若いんだ。私は桐生 真帆、です。あのバス停の近くにある、桜ヶ嶺女学院に通ってた高校生でした」
「……あー、めんどくさいし、敬語じゃなくていいぞ」
「そ、そっか。分かりまし……分かったわ」
ややぎこちないながらも、少女はそう答える。
桐生を名乗る少女は、やはり高校生だったらしい。
「とりあえず、自己紹介も終わったことだしさっさと進もうか」
「進むって、当てはあるの?」
「いや、全くない。兎も角、この森を抜けてからだな……」
「まぁ、そうよね……。とりあえず、あっちの方に進んでみましょうか」
そう言うと、少女は俺達のちょうど正面の方向を指差す。
「……うん?そっちに何かあるのか?」
「いや、何となくだけど、あっちの方向が明るく見えない?」
「ああ、言われてみればそう見えなくもないか……?」
彼女の指差す方向は、確かにこの辺りと比べるとうっすらと明るく見える。
恐らくは木々の生え方がこの場所よりも疎らなのだろう。
「じゃあ、とりあえず進むか。えーと……」
仕切り直そうとしてやや言い淀む。
自己紹介はしたものの、年下の少女をなんて呼ぶべきか迷ってしまったのだ。
「ああ、真帆でいいわよ。オジサ……お兄さんのことはなんて呼べばいいのかしら?」
「オジサンて……。俺のことは、そうだな、塩谷でいいよ。呼び捨てが気になるならさんでもなんでもつけてくれ」
「うーん、じゃあ流石に呼び捨てじゃ悪いし、塩谷さんて呼ばせてもらうわ」
「あいよ。じゃあ行こうか、真帆」
俺は足元に転がっていた手頃な木の枝を手に取り、真帆の指差した方向へと歩を進める。
「……なんで木の枝拾ったの?」
何故か白い目を向けられる俺。
「いや、仮にも異世界なんだから、魔物とか出てくるかもしれないだろ。それに、魔物じゃなくても森の中ならクマやイノシシが出るかもしれない。逃げられればそれが1番だけど、そうなった時の為に一応身を守る武器くらは持っててもいいかと思ってな」
俺は早口でそう説明する。
そう、あくまでも安全のためだ。
決していい感じの棒が落ちていたからつい拾ってしまったとかではない。
「……ふぅん。確かに、何かあった時に素手で戦うよりはマシか」
真帆はそう言うと、かなり太い枝を手に取った。
天然の棍棒のようなその木の枝は、立派な武器として通用しそうだ。
片手で持ち上げるには些か重そうに見えるが、恐らくは女神の力とやらで基礎となる身体能力が上がっているのだろう。
「ともかく、だ。これで仮に何か出てきたとしても、最低限逃げる時間くらいは稼げるだろ」
「そうね。これがあれば、何か出てきても倒せそう」
そう言いながら真帆はブンブンと棍棒を振り回す。
バーサーク状態である。
ちなみに、試しに借りたその棍棒はかなり重く、俺では両手でなければ使えそうになかった。
既に結構なステータス差がついていそうだが、この先大丈夫なのだろうか……。
◆◆◆
ややあって、俺達は森を抜けた。
森をぬけた先には草原が広がっており、心地よい風が吹き抜ける。
「ねぇ、あれって村じゃない?」
真帆が示す方向に目を凝らすと、確かに街道の続く先に点々と家のようなものが見える。
「ああ、確かに。道なりに進んでいけばすぐ辿り着けそうだし、幸先がいいな」
「うん。あの女神は冒険者ギルド?を目指せって言ってたし、あの村で情報収集してみましょうか」
街道を進むにつれて、村の全景が明らかになる。
少しの畑と数件の家が立ち並ぶ小さな村だ。
特に何かあるというわけでは無さそうだが、街道沿いにある村なので、旅人や行商人なんかも通るだろう。
であれば、冒険者ギルドのことや、ある程度の情報も仕入れることができる筈だ。
「ねぇ、なんか聞こえない?悲鳴というか、叫び声というか……」
「ええ?特にそんな声は聞こえなかったと思うけど……」
真帆の言葉に俺は首を傾げる。
村まではまだ数百メートルはある。
仮に村で悲鳴が上がったとして、この距離では声は届かないだろう。
そんなことを考えていた時だった。
『――――――――ッ!』
そんな、声にもならないような悲鳴が聞こえた。
その声は村に近づくにつれ大きくなる。
誰のものかも分からないその声は、明らかに事態の緊急性を示していた。
「……ッ!急いで!行くわよ!」
「はぁ!?助けに行くのか!?」
「当たり前じゃない!」
そう言うと真帆は村へ向かって走り出した。
俺も後を追うように村を目指す。
村へ近づくに連れて、襲撃者の姿が俺の目にもはっきりと映し出された。
子供のような矮小な体躯に緑色の体表。
頭からは小さな角を生やし、手には粗雑な木製の武器を持っているようだ。
(恐らくはゴブリンだと思うが……)
ゲームなんかでも序盤に登場するような魔物。
それ程の戦闘力は有していない筈だ。
「おい、ちょっと待てって……!」
村の入口付近でようやく真帆に追いついた俺は、肩に手をかけて引き止める。
流石に引き止める俺を無視してまで突っ込む程に冷静さを失っている訳では無いようだ。
真帆はやや不機嫌そうに俺に向き直った。
「何よ、早く行かないと……!」
「……冷静になれって。あの武器の質を見るに、俺らの持ってる木の棒とそう大差ない。あの小柄なゴブリンが武器を持ったところで、当たり所が悪ければ気絶するくらいだ」
「……だから、目の前で助けを求めてる人がいるのに、ただ見てるだけって言うの?」
「そうじゃない。ただ、もう少し様子を見てからでもいいんじゃないかってことだ。いくら小さな村とは言え、一人くらいは戦える奴が居る筈だろ」
確かに、数匹のゴブリン程度であれば今の俺達でも倒すことはできるかもしれない。
仮に反撃を喰らったとしても打撲程度か、当たり所が悪くとも気絶する程度だろう。
だが、自分の戦闘力すら分からず、まともな武器もない状況で戦うのは、少し危険だ。
この村の人には申し訳ないが、戦いは避けて村を迂回するのが無難だ。
「襲われているのは子どもやお年寄りばかりじゃない!そんな人を見捨てていけないわ!」
「……わかった。ただし、助けに出るのは、あの物陰に隠れている人に状況を聞いてからだ。自警団か何かがいるのであれば、俺達がリスクを負う必要は無いからな」
そう言うと、俺はやや不満気な真帆を先導する。
そして、道沿いに並ぶ露店の裏を縫って、建物の陰まで辿り着いた。
「あの、何があったんですか……?」
怯えるように襲撃の様子を伺っていた老婆に、俺はそう尋ねる。
「ひぃっ!?どうか命ばかりはお助けを……!」
「ちょ、静かに……!落ち着いてください……!」
「おぉ、冒険者様……!どうかお助けを……!村の若い衆が狩りに出てしまって、戦える者がおらんのです……。このままでは、村の食料がゴブリン共に奪われてしまう……!」
「な、なるほど。状況は理解しました」
やや切羽詰まった様子で詰め寄る老婆に、俺はそう答える。
どうやら、都合の悪いことに、期待していたような戦える者は今のこの村にはいないようだ。
恐らく、村人達の命が脅かされるようなことは無いだろうが、どうもゴブリン達は村の食料を狙っているらしい。
狩りや農業で生計を立てているであろう小さな村だ。このまま放置してしまえば、飢えに苦しむ者が出てくるだろう。
「……ねぇ、塩谷さんは、ゲームとか詳しい方?」
「……は?急にどうした?別に、それなりには好きだったが……」
「いや、それなら、あの緑の奴がどのくらい強いかとか、分かる……?」
「まぁ、あくまでもゲームの知識でいいなら……」
そう前置きをした上で、俺は真帆にゴブリンについて話始める。
「見た目通り知能も攻撃力も低い。端的に言えば、雑魚扱いされることが多い、かな……」
「……ほんと?じゃあ、あいつらと戦って、勝てると思う?」
「……まぁ、倒せるかは兎も角として、ちょっと頑張れば追い払うくらいは簡単なんじゃないか?」
「分かった!じゃあ、行ってくるわ!」
「って、ええ!?もうちょっと慎重に……!」
引き止める間も無く、ゴブリンに向かって走り出す真帆。
「……えいっ!」
やや気の抜けるような掛け声と共に、真帆が横薙ぎに棍棒を振り払う。
『ゲギョオォッ……!?』
数匹のゴブリンが間抜けな悲鳴を挙げて吹き飛び、壁に叩きつけられる。
「うわぁ、えげつねえな……」
ぴくりとも動かないゴブリンを見た俺は、誰にともなくそう呟く。
多少重いだけの木の棒を振り回しただけであの威力だ。
勇者として世界を救うという、一見荒唐無稽にも思える話も、案外現実的なものに思えてしまう。
(まぁ、とりあえずは俺が出る幕はなさそうか……)
一転して逃げ惑うゴブリンを追い掛ける真帆の姿を遠目に見ながら、俺はそう思うのであった。
◆◆◆
「……ふぅ、まぁ、こんなもんか」
真帆によってなぎ倒されたゴブリン達を縄で縛り上げながら、俺はなんと言えない虚脱感に苛まれていた。
ただの木の棒で何匹ものゴブリンを相手取り、難なく倒してしまう少女。
あれ、もう全部あの子1人でいいんじゃないのかな……。
勇者の荷物持ちが現実味を帯びてきたかもしれない。
「……まぁともかく、お疲れ様さん」
「塩谷さんも後片付けであっちこっち動き回ってくれてありがと。そいつら、どうするの?」
「ああ、定期的に巡回に来る騎士団とやらに引き渡すらしい。知能は低いが、扱いとしては魔物じゃなく亜人なんだとさ」
「ふぅん、そうなんだ」
これは助けた村人から聞いた話だ。
あくまでも亜人という扱いなので、犯罪をすればそれ相応の罪を償わせるらしい。
とはいえ、ゴブリンでは大した労働力にもならなければ、何か生産性のある特技がある訳でもないので、物を運ばせるような単純な仕事を強制する程度の罰らしいが。
「まぁ、殺されたりしないなら良かったわ。そうなっちゃったら、流石に可哀想だしね」
「その割には、かなり容赦なくぶん殴ってたけどな……」
「いや、それは……。やっぱり、人を襲ってたし、魔物かと思ってたし……」
「ま、なんにせよ一件落着だ。お礼に今夜は泊まっていけとよ。なんか女衆総出で飯を作ってくれるらしいぞ」
「え、そうなんだ!お礼が欲しくてやった訳じゃないけど、やっぱり嬉しいわね!」
「ああ、どうせ情報収集はするつもりだったし、今日はゆっくりさせてもらおう」
ゴブリン退治の後始末を終えた俺達は、村で一晩過ごしてから次の目的地を目指すことになった。
夕食まではまだかなり時間があるので、その間は情報収集に努める。
「なんと、冒険者の方ではありませなんだか!では、これから冒険都市ラビュアドネに向かうところですかな?」
「ええ、まぁそんなところです。ちなみに、ここからだとラビュアドネの街まではどのくらいかかりますかね?」
「おお、やはりそうでしたか!ラビュアドネまでは歩けば3日はかかりますが、ちょうど村の者が仕入れに向かうそうです。その者の馬車に乗れるよう都合いたしますので、一晩もあれば辿り着けるかと思いますぞ」
「それは、ありがとうございます。是非よろしくお願いします」
最初に出会った老婆はどうやらこの村の村長だったようで、助けた礼にと俺たちの為に色々と手を尽くしてくれた。
村長によると、今いる場所はオーディウス大陸のフェルメウス地方に位置する、名前もない小さな集落であるという。
そして、俺達の目的地であった冒険者ギルドは、この先の街にある冒険都市ラビュアドネに本部を構えているとのことだ。
流石に三日も歩くには装備も何もかもが心許なかったので、馬車に乗せてもらえることになったのはかなり助かる。
「―――という訳で、明日の朝には馬車に乗って出発することになる」
「へぇ、馬車に乗るのって初めてだわ。ちょっと楽しみかも」
「あの婆さん……村長のクレアさんが、旅支度までしてくれたみたいだ。制服に木の棒じゃこの先困るだろうし、貰った服に着替えておいてくれ」
「ええ、分かったわ。うわ、マントみたいなのもある!なんか、本当にファンタジーって感じね……」
「まぁ、これから冒険者になって世界を救う訳だからな。俺もまだゲームみたいで実感が湧かないよ」
村長のクレアは、旅装にと動きやすそうな布の服に外套、やや古いが丈夫そうな革製の鞄に保存食、更には護身用にとナイフまで用意してくれた。
鏡が無いのでいまいち分からないが、恐らくはこの世界で街を歩いていても違和感はないだろう。
そして、1番大きな収穫はナイフという武器を手に入れたことだろう。
流石に本格的な戦闘には不向きだが、少なくとも木の棒片手に戦うよりは余程生存率が上がるだろう。
最初はどうなることかと思ったが、結果的に装備を手に入れ、目的地の情報どころか、目的地までの足まで手に入れることができた。
情けは人の為ならずと言うが、案外その通りなのかもしれない。
(とは言え、本当に実感が湧かないな……)
大学を卒業してから5年間、毎日働いては帰っても飯を食って寝るだけのような生活だった。
いつも通りの残業からの帰り道で事故にあったかと思えば、それは手違いで、更には勇者と共に世界を救うために異世界で旅をしろという。
(そういや、昔読んでたライトノベルにもそんな設定の話があったっけ……)
あの頃は確か高校生くらいだったか。
まさか、自分がブラック企業に勤めて社畜になるなんて夢にも思っていなかったな
好きだったゲームも漫画も、ライトノベルも、大学卒業を機に触れる機会が無くなってしまった。
と言うよりは、仕事に忙殺されてそんな時間も気力もなかったというのが悲しい現実ではあるのだが……。
ぐるぐるとどうでもいい事を考えながら、俺は村の様子を眺める。
どうやら、そろそろ夕食の準備ができてきたようだ。
「―――塩谷さーん!もうすぐご飯できるって!」
「あいよー、今そっち行くわ!」
どうせなら、この異世界での旅をとことん楽しんでやろう。
そんなことを考えながら、俺は賑わい始めた村の広場へと歩を進めるのだった―――。
少しでも面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマークを頂けると励みになります。
よろしくお願いします。
次話は20時に投稿予定で、いよいよ冒険者になるお話です。