<プロローグ 異世界は鈴の音と共に>
前作をあまりにもノープランで進めた結果、収集がつかなくなってしまったので、ある程度プロットと設定を考えた上で新しく小説を書いてみました。
よくある転生ものではありますが、よろしければ読んでいただけると幸いです。
誰もいないオフィスルームに、カタカタとキーボードを叩く音だけが響く。
既に外は闇に包まれており、目に映るのは少し切れかかった街灯のぼんやりとした光だけだ。
静寂に包まれたオフィスでは、ちょっとした機械の稼働音でさえやけに大きく聞こえる気がした
「はぁ、そろそろラストスパートか……」
眠気とドライアイでしばしばする目を擦りながら、俺は大きく溜息をついた。
そして、既に温くなったコーヒーを一気に呷ると、PCの画面に向き直る。
「あー、やっと終わった……!」
莫大な量の修正作業を終え、俺は力尽きたようにデスクに突っ伏した。
ふとPC画面の右下を見ると、時刻は23時30分。
急いで会社を出れば、まだバスの最終便に間に合う時刻だ。
「っと、さっさと帰って寝よう……」
俺は書類で散らかる机から立ち上がり、そそくさと帰宅の準備を進める。
明らかに終電を逃して徹夜コースだと思っていたので、先月子どもが生まれたばかりなのに、つい先程まで手伝ってくれた同期の田中には感謝しかない。
そもそも、この時間まで残っているのは、データをクラッシュさせたクソ上司が原因なのだが、その辺はめんどくさいので割愛しよう。
どうせ上に文句を言ったところで、ゴマを擦るのだけは上手いあのオッサンは、のらりくらりと責任から逃れるだけなのだろうから。
バスの時間が迫るなか、オフィスの戸締りを終え、会社を後にする。
真っ暗な部屋の中、機器類の光だけが点滅している光景はなんとも寂しいものだが、もう見慣れたものだ。
平々凡々とした大学生活を送り、新卒としてこの会社で働き初めてからはや5年。
なまじPC操作が出来たばかりに、あれよあれよと言う間に雑務を押し付けられ、いまや立派な社畜コースである。
今の仕事内容を黒か白かで言えば黒なのだろうが、徹夜やら休日出勤は(ほとんど)ないので、的確に表現するのであれば、グレー企業と言ったところか。
毎日残業続きなのは間違いないが、今どき定時ピッタリに帰れる仕事なんてそうそう無いだろう。
まぁ、そう思わないとやってられないと言うのも事実ではあるのだが……。
そんなくだらないことを考えながら、俺はバス停へと向かう。
定刻通りであれば、あと5分で到着する筈なので、停留所に着く頃にはちょうどいい時間だろう。
(……うん?珍しいな、このバス停に誰かいるなんて)
切れかかった街灯が照らすバス停に人影が見える。
都内とはいえ、駅から離れたこの辺りを訪れる人は殆どいない。
それこそ、人がいるとすればうちの会社の同僚くらいのものだろうが、この時間ともなればそれも有り得ない。
(あれは、女の子か……?)
月明りと街灯の光の中、ぼんやりと浮かぶシルエットは小柄で、どこか神秘的にも見えた。
薄暗い視界でも分かる程に明るい茶髪は長く、夜風に揺れてふわりと広がる。
グレーを基調としたブレザーはどこか優等生然とした印象を与えるが、校則を破らない程度に着崩していることが分かった。
(確か、この辺りでは有名なお嬢様学校の制服じゃなかったっけか……)
こんな時間に女子高生、それも有名なお嬢様学校の生徒がいるのは少し不自然だ。
もう2、3時間早ければ、進学校特有の補講で片付けられただろうが、既に時刻は日が代わる寸前だ。
そもそも、こんなところを警察に見られたら、この子が補導されるのではなく、俺がお縄についてしまうのではないだろうか。
冴えないリーマンとお嬢様学校のJK。
どちらが怪しいかと問われれば、100人中100人が俺を指差すだろう光景だ。
(怖いからちょっと距離取っとくか……)
弱冠27歳にして臭い飯を食うことになるのは勘弁だ。
この世界において、おっさんと言う人種に人権は無い。
俺が何もしていなくても、ただ横にいるだけで逮捕されかねないのが現代日本の縮図なのである。
「はぁ、なんで変な意地張っちゃったかなぁ……」
俺から少し離れたところで、スマホの画面と睨めっこしていた女子高生が大きく溜息をつく。
液晶画面に照らされる整った顔は、どこか曇っているような気がした。
「……っ!?」
俺が少女を発見してから大体5分弱。
ここまで来てようやく顔を上げた女子高生がこちらに気づいたようだ。
その顔に浮かぶのは、驚きと、少しの気恥しさだろうか。
恐らく、こんな時間、こんな場所に人がいると思っていなかったから気を抜いていたのだろう。
数秒、少女は驚いたように俺の姿を見ていたが、すぐにスマホの画面に視線を戻す。
良かった。どうやら、見た目だけで通報される程では無かったらしい。
(にしても、今日は随分と静かだな……)
いくら周りに何もないとは言え、すぐ傍には住宅街が広がっている。
普段であれば、この時間であっても車の数台は走っているものだが、今日に限ってはそれも見られない。
閑静と表現するには静かすぎる不気味さが、言いようのない不安を駆り立てる。
―――チリン。
(鈴の音、いや、風鈴の音か……?)
静寂に包まれる辺りに、澄んだ音色が響き渡る。
不意に辺りを見渡すが、目に映るのは、ぼんやり光る街灯と、青々と茂る街路樹ばかりで、風鈴など見当たらない。
そもそも、仮に風鈴がどこかに吊られていたのであれば、もっと前から、風が吹く度に音が響く筈だろう。
「……?」
音が聞こえたのは俺だけでは無いようで、目の前に立つ少女も不思議そうにキョロキョロと辺りを眺めている。
どうやら、疲れから来る耳鳴りなどではないらしい。
辺りに響いた場違いな音に、思わず俺と少女の視線が交わる。
そして、数分、いや、数秒だったかもしれない。
いくらかの時間が経過した時、静寂を破るように、けたたましい騒音が辺りを支配する。
(なんだ……?車……いや、バスか……!)
クラクションを鳴らしながら、俺達が乗る筈だったバスがこちらに突っ込んでくる。
運転手に何か起こったのか、それともバス自体が故障したのかは分からないが、バスは減速する様子も無く俺達に迫る。
そして、避ける隙すらない程のスピードで突っ込んできたバスが、俺を巻き込んで横転するまでに、それ程の時間は掛からなかった。
―――唐突な死を認識する暇もなく、俺の意識は闇に落ちていく。
◆◆◆
目を開く。
そこは、ただ白く、いつか見た雪国の景色よりも澄んだ色をした場所だった。
辺り一面を見渡しても、どこまでも続く白。
目に映る景色には、どこまでも終わりと変化が無かった。
「…………うーん」
どこまでも続く「白」に圧倒されていた俺は、ハッとしたように声のする方を振り向く。
そこに居たのは、同じバス停にいた筈の女子高生だった。
どうやら眠っているようで、少女は静かに寝息を立てている。
「なんだってんだ……?」
過労で幻覚でも見えているのか、はたまた実は会社で仕事中に寝落ちでもしているのか。
いよいよ過労死寸前なのだろうかと唸っていた俺の頭に、ふと一つの可能性が浮かぶ。
「もしかして、死んだんじゃねーか、コレ……」
俺が思わず口に出した途端、周囲の「白」が更に光り輝く。
思わず方向感覚を失う景色だが、それは確かに下に向かって降りてきていた。
『―――そう、貴方達は死んだのです。あの日、あの夜、あのバス停で』
上から降りてきたそれが言葉を発し、弾けるように光を散らす。
そして、光の中から出てきたのは、白い女だった。
ウェディングドレスを思わせる純白の衣に身を包み、処女雪のような白い肌、絹糸のように艶やかな白銀の髪。
その女は、ふわりと浮かんだまま、この空間に場違いにも思える真紅の瞳で、こちらを静かに見つめていた。
「あー、っていうと、俺はバスに轢かれて死んだって訳ね……。つまり、ここはあの世ってことか……?」
未だに覚醒していない頭を回転させながら俺はそう答える。
記憶が確かであれば、俺はいつものバス停で突っ込んできたバスにそのまま撥ねられたのだろう。
まぁ、今の非現実的な状況まで含めて夢を見ているという可能性も否定はできないのだが……。
『概ねその通りです。しかし、あの世、という表現は少し語弊があります』
混乱する俺に対し、白い女は尚も続ける。
『貴方は確かに死にました。ですが、此処はあの世でなく、私の精神世界。手違いで死んだ貴方を転生させる為に呼び出した、と言えば理解できるでしょうか……』
死んだと言う事実はまだ良い。
いや、まだ良いと言うのは少し語弊があるが、どうせこのまま仕事を続けていけば過労死かストレスで病死かのどちらかだっただろう。
だが、聞き捨てならない言葉が聞こえてしまったのだ。
俺は、手違いで死んだ。
レストランの注文ミスやら、商品の発送ミス所の騒ぎではない。
手違いで死ぬとは、一体どう言う状況なのか。
それも、明らかに人智を超えた何かの意思が働いたことが原因だろう。
「いや、意味が分からん。なんの手違いが起きたら人が死ぬんだ。そもそもアンタはなんだ。あと、転生ってなんだ」
『私の名は【ミルフ】。えぇ、手違いについては……そうですね、人違い……いえ、巻き込まれた、と言うのが正しいでしょうか……』
ミルフと名乗る女は、これまでの神聖な雰囲気から一点、イタズラを問い詰められた小学生かとでも言わんばかりの様子で、しどろもどろに語り出す。
いや、そんなことはどうでも良いのだ。
とんでもない事実が発覚してしまった。
手違い、人違いならまだしも、ただ巻き込まれただけ。
転生については、恐らくその手違いの詫びとで言うことだろう。
だがしかし、この展開は見覚え、というか読み覚えがある。
まさに、学生時代に読んでいたネットの小説まんまではないか。
きっと、手違いで転生することになった俺は、新しい世界で勇者……とまではいかなくとも、冒険者として活躍していくに違いない。
そんな、自分の死すらカバーできる程のチャンスに、俺は胸を踊らせる。
よく考えてみれば、この先死ぬまで社畜として働くのであれば、一回死んでもファンタジーライフを送れる現状の方がお得まであるのではないか。
そんな妄想に耽ける俺に対し、ミルフは言葉を続ける。
『……ええ、この際はっきりしておきましょうか。不幸にも、貴方はあの事故に巻き込まれました。転生候補であった人物の力があまりにも強く、運命が歪められてしまったのです」
ははぁ、なるほどな。
ここまで聞いて完全に理解してしまった。
この先の展開は手に取るように分かる。
所謂テンプレと言うやつだ。
『……そう、その人物こそ、世界を救う勇者となる筈でした。しかし、現実はそう上手くいかず、勇者に匹敵する力を持つ候補に吸い寄せられてしまったのです』
つまり、本当はどこか、恐らくは俺の近くに本当の勇者となる人物がいたのだろう。
そして、その人物は俺の代わりに今回の事故で死ぬ筈だった。
だが、勇者に匹敵する力を持つ者が近くにおり、それに引き寄せられる形で、なんらかの手違いが起きてしまったというのが俺が死んだ事故の原因なのだろう。
「……つまり、勇者に匹敵する力を持つ俺にその勇者の代わりに世界を救えってことか?」
そう、手違いやら不慮の事故やらは異世界転生ではテンプレなのだ。
まぁ、転生と言われているだけで異世界とは言われていないので、ワンチャン第二の人生を歩んでこいとか言うパティーンも有り得なくはないのだが、勇者云々の話が出ている時点でほぼ確定といって良いだろう。
ともかく、俺はミルフに対し、確信に迫る問い掛けをした。
『いえ、ご期待のところ申し訳ないのですが、全くもって全然違います。貴方に勇者の代わりが務まるどころか、むしろ、貴方は力の波長が小さすぎて……。あの場所に居ることすら気づかず、偶然にも、こちらのミスで巻き込まれてしまった村人A、と言ったところでしょうか……」
「は、今なんて言った……?」
『ですので、貴方は勇者候補どころか、ただの村人Aといった程度の能力しかありません』
まさに絶望、としか表現出来ない衝撃の事実。
俺は勇者どころか冒険者レベルでもなく、もはや一般人の村人Aでしかなかったと言うのだ。
結局、転生しても俺は俺。
異世界に行こうが、平凡な人生を送ることしかできないのである。
「はああああぁぁぁぁッッッ―――!?!?」
悲しみに暮れる俺の悲痛な叫びは、白い空間に虚しく木霊していくのであった―――
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次話、19時以降に投稿予定です。
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