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朝敵、まかり通る  作者: 伊賀谷
最終章
38/45

白日

 山岡鉄太郎(やまおかてつたろう)はお満の目を見て頷いてから、足を踏み出した。

 太田垣蓮月(おおたがきれんげつ)と対峙する。

牙刀院狂念(がとういんきょうねん)も倒したのですね」

 蓮月の涼やかな声。

「ああ」

「鬼童衆を四人まで倒すとは、お見事です」

「すまぬ。この闘争が無ければ散らすことはない命であった」

「いえ。それはこちらも同じこと。それに――」

 蓮月は口元にうすい笑みを浮かべた。

「そんな山岡鉄太郎さまが、わたしには憎いというより愛おしいのです」

 蓮月は三味線をおろして、おもむろに鳥追い姿の帯を解き着物を脱ぎ始めた。

 中から現れたのは膝の上までの長さの短い栗梅(くりうめ)の小袖。透き通った滑らかな肌の足に脚絆をつけた動きやすい姿であった。

 腰に差してあった棒を手に持つ。

 棒の両端を握った手を互いに反対に捻った。左右に引っ張ると、棒は真ん中から二つに別れて中から鎖が伸びた。棒の両端から鎌状の刃が突出する。

 あれこそ藤沢宿で対峙したときの鎖鎌。変幻自在の武器だ。

 お互いの距離を隔てること三間(五・四メートル)。

 二人の間にきらめく初夏のような陽気が満ちている。一颯(いっさつ)の青い風が通り過ぎた。

 白い大地にふたつの影が描かれている。

「それでは参ります」

「うむ」

 蓮月の左手がわずかに動いたと見るや、鉄太郎の頭上に一本の鎌が飛んだ。

 鎌はそのまま落ちれば、鉄太郎の頭か肩に突き刺さる位置にあった。

 そして、その鎌を刀で受ければ、踏み込んできた蓮月が持つもう一本の鎌の攻撃を受けることは必定(ひつじょう)

 太田垣蓮月――。

 かつて相対(あいたい)したときもそうであったが、一つ一つの攻撃が必殺である。

 鉄太郎は蓮月に向かって踏み込んだ。

 蓮月は瞬時に身体を捻って鎖を巻き取る。

 藤沢宿のときと同じ。背後から宙に飛んだ鎌が迫る。前方では蓮月の鎌が光る。

 鉄太郎は軽く跳んで身体を背後に向けた。

 宙にある状態で飛んでくる鎌を刀で弾く。

 そのまま身体はさらに反転して再び前方を向いて着地した。

 同時に眼前の蓮月に向かって刀を振り下ろす。

 金属が噛みあう音。

 蓮月は鎌で鉄太郎の刀を受けていた。

「お強くなりましたね」

「一度見た技にやられるわけにはいかぬ」

 鉄太郎は笑みを浮かべた。

 蓮月も微笑していた。

北辰一刀流ほくしんいっとうりゅう塚田孔平(つかだこうへい)さま――」

「なぜその名を」

「大坂で」

「そなたの手にかかって倒されたのであったか。然もありなん」

「幕府を敵とすれば、きっとわたしたちの前に山岡鉄太郎さまが立ちはだかる、と言われていました」

「塚田先生が――」

 鉄太郎の全身の筋肉が瞬時にふくれあがった。

 鍔迫り合いをしていた鎌を押しやる。

 蓮月が身体を退く。

 鉄太郎はさらに距離をつめて全体重を乗せた右ひざを打ち込む。腹に当たれば臓腑は破裂する。

 しなやかに身体を捻って蓮月はかわす。同時に伸ばした指を揃えた左手を鉄太郎の顔に向けて刺した。

 その爪は刃物のように鋭く研がれている。

 鉄太郎は頭を振って避けた。数本の(びん)の髪が斬れ飛んだ。

 刀よりも鎌よりも近い間合い。肌が触れ合うほどの距離での攻防。

 互いの当身(あてみ)をことごとくかわし合った。

 蓮月が頭を振ると、長い黒髪が鉄太郎の顔を打った。絶妙に目の位置。

 その一瞬目を閉じてしまう。

 わずかに開いた目が蓮月が飛びあがるのを捕らえた。

 蓮月は背後に回った。

 鉄太郎は振り向きざまに刀を振った。着地した蓮月をあやまたずに薙ぐはずであった。

 ――消えた。

 そう考えたのが先であったが、鉄太郎は両肩にかかる重みに気づいた。

 驚くべし。蓮月は鉄太郎の両肩に手をついて逆立ちをしていた。

 気づいた時には優美な動きで蓮月は鉄太郎の背後に降り立った。

 それの隙を逃さずに鉄太郎は刀を打ち振り下ろす。

 蓮月の右肩に刀が食い込んだ。

 と見えたが、蓮月はぴんと張った鎖で刀を受けており、鉄太郎の刀は蓮月の肌にはわずかに届いていなかった。

 鉄太郎は死地に身をおきながらも歓喜を覚えていた。

 蓮月は強い。だが、おれはこの者と互角に渡り合っている。

 一瞬たりとも気の抜けない命のやりとり。

 此度(こたび)の闘争の最後の立ち合いに相応しい。

 この戦いが終わってもし生きていたなら、残りの一生において刀を手に持つことがなくても悔いはない。

 呼吸は乱れていない。

 左ももの痛みはいまのところは抑えることができている。だが、いつ傷が開くか分からない。そうなると、蓮月の動きについていくことは難しくなる。

 早めに決着をつけたいというのが正直なところだ。

 ――焦るな。

 鉄太郎は己に言い聞かせる。

 二人は自然と互いに間合いの外に身を置いていた。

「ひとつ聞かせてくれ」

「なんでしょう」

「地の龍、とはなんだ」

「それを知っていましたか」

「そしてお満――益満休之助が持っていて、それを駿府(すんぷ)に送り届けることが、この闘争の裏に隠された目的と見ているが」

「お見事でございます。西郷吉之助(さいごうきちのすけ)さまは言っておりました。地の龍を手に入れた方がまことの官軍となる。それは(にしき)御旗(みはた)よりも強い力を持つもの」

「なんと……」

 鉄太郎は思わずお満の方を振り返った。

 お満は不安な瞳でこちらを見つめていた。

「だが、地の龍なるものを当の益満休之助が存じていない」

「そうでしょうか」

「なんだと」

「あちらにおられるお満というおなごは存じていないかもしれませぬが」

「――そういうことか」

「どういたしますか。立ち合いを止めてわたしが益満休之助を駿府に送り届ければ、この闘争は終わります」

「西郷吉之助どのはおれが送り届けることを望んでいるのではないか」

 蓮月の美しい唇が笑みの形をつくった。

「山岡さまは底が知れぬお方ですね。ですが、わたしは八瀬童子衆として益満休之助を手に入れねばならなくなりました」

「地の龍にはまだ秘密が隠されているようだな」

「この先はわたしの息の根を止めてからお聞きくださいませ」

「そうしよう」

「では、あちらで決着をつけましょう」

 左手の鎌で街道の端から広がる森を指す。

 鉄太郎はうなずいて森に向かって歩き出す。蓮月も並んで進んだ。

 お満の姿が目に入った。

「そこで待っていてくれ」

「山岡さま」

 すがるような面持ちで鉄太郎を見つめている。

「きっと勝って戻ってくる」

 鉄太郎と蓮月は森の影に入って行った。

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